翌日、オレはリリスさんとジェシカさんにギルドを任せ、エドガーさんが昨日立ち寄っていた孤児院へと足を運んだ。毎日ギルドに来る盾騎士のエドガーさん。昨日のルシーナさんから詳しい話を聞けば、エドガーさんの真意、そしてこの孤児院との繋がりが見えてくるかもしれない。
重厚な木製の門をくぐると、途端に子供たちの元気な声が飛び込んできた。それはまるで、閉じ込められていた光が一気に解き放たれたような眩しいほどの躍動感に満ちていた。その声を聞いただけで、オレの心にも温かいものがじんわりと広がっていくのを感じた。
庭では、小さな子供たちがボールを追いかけ、きゃっきゃと楽しげな笑い声を上げている。その無邪気な姿を見ていると、自然と顔がほころんでしまう。そしてどこからか、焼きたてのパンの甘く香ばしい匂いが漂ってきて思わず深く深呼吸をした。
この孤児院には穏やかで平和な日常が息づいている。それは、ギルドの喧騒とはまるで違う別の時間が流れているようだった。
門のすぐ横には、古いながらも手入れの行き届いた花壇があり、色とりどりの花が生命力にあふれるように咲き誇っている。その向こうには、真っ白な洗濯物が風に揺れて、ひらひらと軽やかに舞っていた。
建物自体も年季が入っているが、壁のひび割れ一つなく丁寧に管理されているのが見て取れる。人の温かみがこの場所全体を包み込んでいるようだった。この孤児院の隅々まで愛情が注がれているのが、ひしひしと伝わってくる。
「あの、すみません……」
オレは近くにいた、エプロンをつけた女性に声をかけた。彼女は地面に落ちたボールを拾い上げ、子供に手渡しているところだった。その女性がくるりと振り返った瞬間、昨日のルシーナさんだと気づき、少しだけ緊張が走った。
「あら、こんにちは。どちら様でしょうか?」
「すみません、突然。オレは、この近くで冒険者ギルド『ストレイキャット』のギルドマスターをしております、エミルと申します。あの……エドガーさんのお知り合いですか?」
オレがそう言うと、ルシーナさんの表情にわずかな驚きが浮かんだように見えたがすぐに穏やかな表情に戻った。
「はい……あのエドガーさんが何か?」
「少しお話をお聞きしたいんですけど、よろしいですか?」
「分かりました。立ち話もなんですからどうぞこちらへ」
ルシーナさんはオレを孤児院の中へと案内してくれた。案内されたのは簡素だが清潔な応接室だった。陽光が差し込むその部屋はどこか懐かしい温かさに満ちていて、座っているだけで心が安らぐのを感じた。窓の外からは子供たちの楽しそうな声が微かに聞こえてくる。
「それで、エドガーさんのお話とは?」
ルシーナさんが座を促し、優しい眼差しで問いかけた。その真っ直ぐな視線に、オレはわずかに気圧されたが意を決して切り出した。まずは彼女とエドガーさんの関係性を確認しておこう。
「あの失礼ですが、エドガーさんとどういうご関係で?」
「エドガーさんとは、元冒険者パーティーの仲間なんです。私は、今は冒険者を辞めてここで小さな孤児院を経営しています」
そうルシーナさんは静かに語った。元冒険者パーティーの仲間……それは予想以上の繋がりだった。それなら、話は早いかもしれない。遠回しな言い方はやめて単刀直入に本題を切り出すことにした。
「実は……エドガーさんはこのところ毎日のように、うちのギルド『ストレイキャット』に来られては、特に依頼を受けることもなく、クエストボードを眺めた後、そのまま帰って行かれるんです。何か心当たりはありますか?余計な詮索かもしれませんが、どうしても気になってしまって……」
ルシーナさんの表情が一瞬だけ曇ったように見えた。彼女は、静かに目を伏せ、何かを考えるように沈黙した。そして、少し間を空けて話し始める。
「……そうですね。きっとエドガーさんは、新しいパーティーを探しているんだと思います。彼は長年、盾騎士としてやってきましたから……」
ルシーナさんは静かに語り始めた。その声には、エドガーさんへの深い理解と、そして少しの寂しさが混じっているように聞こえた。彼女の言葉から、エドガーさんの抱える苦悩がじわじわとオレの心に染み渡っていく。
ベテランの盾騎士。しかし、長年ランクがCという状況は、実力主義の冒険者の世界では、どうしても周りの若い勢いのある攻撃職の冒険者たちからは『時代遅れのジョブ』『役に立たないタンク』と陰で馬鹿にされることも少なくなかったらしい。
そして、せっかく組んだパーティーも昨日見たように追放され、今はソロで何とか生活する資金を稼いでいるらしい。
「若い頃はもっと無鉄砲なところもありましたけど、経験を積むことで、より冷静に、そしてより強く仲間を守ることに徹するようになりました」
「長年、盾騎士として第一線で活躍されてきたんですね。ソロでの活動となると、やはり危険も伴うでしょうし精神的にも負担が大きいですよね」
「はい。だからこそ、エドガーさんは新しい仲間を求めているのだと思います。ソロだとどうしても報酬額の良い危険なダンジョン攻略は難しいし、魔物討伐も攻撃力に特化したジョブに比べると効率が悪い。それは、エミルさんもよくご存知でしょう?」
ルシーナさんの問いにオレは深く頷いた。と言ってもこの前リリスさんやジェシカさんに教えてもらったんだけど。エドガーさんが日々、何のためにギルドに来ているのか、その理由が少しずつ見えてきた気がした。彼は、ただクエストを探しているだけじゃなかったんだな。
「エドガーさんは盾騎士というジョブに強い誇りを持っているんです。それは、彼がまだ幼いころに故郷の小さな村が、凶悪な盗賊団に襲われた際、たった一人の盾騎士の冒険者が村人たちを守り抜いてくれたことがきっかけだったそうです。その勇敢な姿に憧れて、盾騎士というジョブに強い自信と誇りを持つようになったと聞いています。パーティーを組んでいた時も『困っている冒険者や仲間をどんな危険からでも守りたい』って、口癖のように言っていましたから。もちろん、私の孤児院の可愛い子どもたちのことも、誰よりも気にかけてくれています」
ルシーナさんはそう言って優しい温かい笑顔を浮かべた。その笑顔は、エドガーさんへの深い信頼と尊敬に満ちていた。どれだけ周りから時代遅れだと馬鹿にされても、盾騎士というジョブに誇りを持ち続けている。それはエドガーさんの揺るぎない強い信念の表れなのだろう。彼の胸の奥に秘められた熱い炎が見えるようだった。
「なるほど……色々と、貴重なお話を聞かせていただき、本当にありがとうございます。お時間を取らせてしまい申し訳ありませんでした」
「いえ。あの、エミルさん」
「はい?」
「こんなこと言うのはご迷惑かもしれませんけど……エドガーさんの力になってあげてください。彼は、本当に優しくて……私にとっても、そしてあの子たちにとってもかけがえのない『正義のヒーロー』ですから」
ルシーナさんはそう言って再び優しく微笑んだ。彼女の言葉が、オレの心に深く響いた。オレはその言葉を胸に孤児院をあとにし、ギルドへと戻った。