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第18話 では、問題です


 急ぎ足でギルドに戻ると、カウンターでジェシカさんが冒険者から何かを受け取っているのが目に入った。冒険者の男はどこか申し訳なさそうな顔をしている。そしてジェシカさんの手元にあるのは……ポーション?


 一瞬、嫌な汗が背中を伝った。ジェシカさんが怪我をしたのか?まさか何かあったのか?


「ジェシカさん、そのポーションどうしたんですか!?」


「え?」


「どこか怪我でもしたんですか!?すぐに治さないと!」


 思わず声を荒げて駆け寄ると、ジェシカさんは驚いたように目を丸くした。その隣にいた冒険者の男も、オレの剣幕に気圧されたように後ずさりする。ジェシカさんの顔色はいつも通りに見える。それでも、ポーションを持っているということは、やはり何かあったとしか思えなかった。


「マスター。私は怪我してないよ。この冒険者の方がエドガーさんに渡して欲しいって」


「エドガーさんに?」


「はい。実は昨日、魔物討伐依頼の最中にドジを踏んで。盾騎士のエドガーさんに助けてもらったんですよ。最近このギルドで見かけるからお礼をしたかったんですけど……私は明日にはこの王都を出発しなきゃいけないもんで、だから預かってもらおうと」


 冒険者の男はそう言って、申し訳なさそうに頭を下げた。彼の言葉に、オレは張り詰めていた気持ちがゆっくりと溶けていくのを感じた。ジェシカさんが怪我をしたわけじゃない。ホッと胸をなでおろす。肩の力が抜け全身の緊張が解けていくのがわかる。


「なんだ、そういうことですか……ジェシカさんに何もなくて良かった……」


「え、そんなに心配してくれるの?」


「当たり前じゃないですか。心配しましたよ。ポーションなんて持ってるから……」


「そんなに心配してくれるなんて、ちょっと照れちゃうかも……でもありがとう……」


 ジェシカさんは頬を少し赤らめてオレから視線を外した。そのやり取りを見て、横のカウンターにいるリリスさんからいつものように華麗な毒が吐かれる。


「エミルくん邪魔です。ここは冒険者の受付カウンターですよ?そんなところで突っ立ってては冒険者の方が受付できないじゃないですか。しかも、今は仕事中ですけど?まさか、ジェシカちゃんに色目を使っていたわけじゃないですよね?困ります、職場の風紀が乱れるじゃないですか」


 リリスさんの声はいつものように美しく響くのに、その内容は針のように鋭い。まるで氷の刃が心臓をえぐるようだ。


「いやオレは心配しただけで……」


「それはジェシカちゃんだからでしょ?どうせ私がポーションを持ってても、何とも思わないじゃないですか。あ~ギルド冒険者の女性は損ですよね。特に私みたいな最強のギルド冒険者の銀髪美人だと心配してくれる人がいませんからね?」


 リリスさんはそう言いながら、長い銀髪を指でくるくると弄ぶ。その仕草すら絵になるのがさらに腹立たしい。彼女の銀髪は、まるで月の光を浴びた絹糸のように滑らかで指先で弄ばれるたびに微かに揺れる。


「いや、そんなことは……リリスさんがポーションを持ってても心配しますよ」


 オレが反論すると、リリスさんは一瞬だけ目を見開いた。すぐにいつもの涼しい表情に戻ったが、ほんの少しだけ口元が緩んだように見えたのは気のせいだろうか。その一瞬の隙は、まるで固い氷の表面にできた小さな亀裂のように、彼女の意外な一面を垣間見せた気がした。


「ふぅん……まぁいいです。それにしても、ジェシカちゃんはチョロいですね?こんな口先だけのエミルくんに、いちいち赤くなっていてはこの先が思いやられますよ?もっとこう、私みたいに大人の女性としての立ち回りをするべきですけどね?」


「あっ赤くなんかなってないから!」


 ジェシカさんの反論に、リリスさんは楽しそうにクスクスと笑う。本当にリリスさんはオレたちをからかうのが好きだよな。


 でも、もしかしたら少し寂しいのかも?最強のギルド冒険者……確かに、彼女ほどの強さを持つ女性だと心配してくれるような相手はなかなかいないのかもしれない。そんなことを考えていると、ふとリリスさんの視線がオレを射抜いた。いけない、またスキルで心の声を読まれたら大変だ。オレは慌てて思考を打ち切った。




 そして、その日の夜。自室に戻って、溜まっていた書類の整理をしていると不意に扉をノックする音が聞こえた。ギルドの建物はすでに静まり返り、廊下からはわずかな風の音が聞こえるだけだ。ランプの光が部屋の隅に影を長く伸ばしている。


 コンッ コンッ


「エミルくん。少しいいですか?」


「リリスさん。どうかしました?」


 扉を開けると、そこに立っていたのはリリスさんだった。いつもと変わらない涼やかな表情だがどこか真剣な雰囲気が漂っている。


「……あの盾騎士のエドガーさんのことは分かりましたか?」


「あー……はい。色々、ルシーナさんから聞けました」


 オレはルシーナさんから聞いたことを話した。エドガーさんがかつて所属していたパーティーのこと、そして彼がなぜ一人で活動しているのか。リリスさんは静かにオレの話を聞き終えると満足そうに頷いた。


 その表情には、すべてを見通しているかのような余裕が漂っている。まるでオレがどんな情報を手に入れてくるか最初から分かっていたかのように。


「そうですか。あっそうだ! ギルド冒険者に全くと言っていいほど興味ないエミルくんに、ぜひお伝えしたいことがあったんですよ」


 冒険者にまったく興味ないは余計なんですけどリリスさん。オレがそんな顔をしていると、リリスさんは茶目っ気たっぷりの笑みを浮かべて話を続けた。その笑顔は夜の闇に咲く一輪の花のように部屋の空気を一変させた。


「ここで問題です。冒険者ランクを上げるには一般的にどのくらいの数の依頼を達成する必要があるでしょうか?」


「えっと……確か、FランクからEランクに上がるのが大体、依頼を100回とかじゃなかったっけ?あれ?違ったかな……」


「そうです。ちなみにCランクの冒険者になるには一般的に1000回以上の依頼達成が必要になります。もちろん受ける依頼の難易度や貢献度などによって、多少の変化はありますから絶対ではありませんけどね。ちなみに、CランクからBランクに上がるには、その3倍、3000回程度と言われています。そしてBランク以上の冒険者になるには、ただ依頼をこなすだけではなく、ギルドからの信頼や社会的な実績なども、総合的に考慮されて初めてBランクの冒険者になれます。まぁ私は最強Sランクの冒険者なんですけどね?」


 なにドヤ顔してんだリリスさんは?……すごく可愛いんだけどさ。


「それは分かりましたが、なぜそれをオレに?」


「さぁ……なぜですかね?あー……どこかの盾騎士の冒険者は今まで律儀にその膨大な回数の依頼を地道にこなしているのかもしれませんね?このギルド『ストレイキャット』に来てくれている、初級冒険者の何倍もの依頼をこなしているのなら……さぞかし素晴らしい知識や経験を持っているんでしょうね?まぁ、私には到底敵わないでしょうけど?」


 まぁ、リリスさんに敵う冒険者はそうそういないと思うけど。だってあのSランクの冒険者だしな。


「さて……では、エミルくん。もう1つ問題です。ギルド冒険者が一番不安で大変な時は一体いつでしょう?」


「え?」


 オレは思わず聞き返した。リリスさんの問いかけは、まるで迷宮の入り口のようにオレの思考をぐるぐると巡らせる。部屋の空気が一瞬にして重くなった気がした。


 ギルド冒険者が一番不安で大変な時……?


 新しい依頼を受ける時?


 それとも、強敵と対峙する瞬間?


 いくつか頭に浮かんだが、どれもしっくりこない。リリスさんの表情はまるでオレの困惑を楽しんでいるかのようだ。その目はオレの心の奥底を見透かしているかのように感じる。


「……これは、宿題にしておきますね? ふふっ」


 リリスさんは意味深な笑みを浮かべながらオレの部屋を出て行った。扉が静かに閉まる音だけが部屋に響き、オレはペンを握ったまま固まっていた。


 部屋はすでに夜の帳に包まれ、窓の外は漆黒の闇が広がっている。机の上のランプが、その小さな光でオレの手元の書類とその先に広がる部屋の輪郭をぼんやりと照らしている。普段なら集中できるこの静寂が、今はやけに耳につく。リリスさんの言葉が、まるで部屋のどこかに隠された謎のようにオレの頭の中で反響していた。


「ギルド冒険者が、一番不安で、大変な時……」


 オレは腕を組んで深く考える。リリスさんがわざわざオレにこんな問題を出した意味は何だろう?冒険者に興味がないとからかいつつも、何か重要なヒントを与えようとしているのは明らかだ。ランプの光が思考の迷路に差し込む一筋の光のように感じられた。


 そして冒険者ランクの話。エドガーさんのことが脳裏をよぎる。確かにエドガーさんはオレたちの想像をはるかに超える相当な場数を踏んでいるはずだ。依頼を1000回以上もこなし、それでもジョブを変えずにひたすら盾騎士を続けている。彼の信念は、オレが想像していた以上にずっと強く、そして深いものなのかもしれない。


 そしてルシーナさんの話。エドガーさんは新しいパーティーを探していると言っていた。つまり、彼は今、一人で活動せざるを得なくなっているベテラン冒険者……


 点と点が、ゆっくりと線で繋がっていくような感覚がオレを襲った。まるでバラバラだったパズルのピースが、音を立ててはまっていくかのようだ。


 待てよ……


 ギルド冒険者が、一番不安で、大変な時……


 なら、オレがやるべきことは1つしかない!これは初級冒険者のためになるし、きっと、ギルド『ストレイキャット』にとっても大きなプラスになるはずだ。そう思いながらオレは、無意識のうちにそっと拳を握りしめる。夜の闇がその決意を静かに見守っていた。

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