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第19話 価値のない化石ですか?


 翌日、リリスさんに出された宿題の答えは、オレの心の中で確かな形を成していた。今日も、きっと盾騎士のエドガーさんがいつものようにギルドに姿を見せるはず。そして、何も言わずにクエストボードを眺め、静かに去っていくのかもしれない。


 ……だけど今日は違う。


 床掃除を終え、カウンター周りの書類や備品を整頓していると、背後からどことなく今日は少し楽しげなリリスさんの声が聞こえてきた。


「エミルくん。昨日の宿題の件ですが、答えは分かりましたか?」


「ええ。きっとリリスさんのご期待に応えられると思いますよ」


 オレは振り返り、リリスさんの少し意地悪そうな笑顔に自信を持ってそう答えた。昨日のルシーナさんとの会話、そしてリリスさんがさりげなくくれたあの意味深なヒント。全てがオレの中で繋がり一つの明確な答えを示してくれた気がした。


「ふふ。それは楽しみですね。では、開店したらエドガーさんに直接答え合わせをしてもらいましょうか?」


 リリスさんは、意味深な笑みを浮かべながらカウンターに腰掛けた。オレもリリスさんの言葉に小さく頷き、開店の時間を待った。今日はきっと何かを変えることができる。


 エドガーさんの……そして、オレたちのギルドの未来を。


 やがてギルドの扉が開く時刻になり、数人の冒険者がそれぞれの目的を持ってギルドに顔を出し始めた。彼らの足音が床に響き、ささやき声がギルド内に満ちていく。


 そんな喧騒の中、いつものようにあの大きな背中が見えた。寡黙な盾騎士、エドガーさんがゆっくりとギルドの中に入ってきたのだ。いつものように、まっすぐクエストボードの方へと歩みを進めた。


 そして、いつものように掲示された依頼書を一つ一つ、丁寧に確認している。まるで何か特別なメッセージを探すかのように彼の指先が紙の端をなぞるたびにかすかな音が響く。その横顔には相変わらず多くを語らない、静かな決意のようなものが漂っている。


 エドガーさんは、一通りクエストボードに貼られた依頼書に目を通すと、いつものようにそのままギルドの奥にある休憩スペースへと移動し、壁際の少し薄暗い隅の椅子に腰を下ろした。


 そして、背負っていた大きな盾を、丁寧に壁に立てかけた。金属が壁に触れる音が静かなギルドに小さく響いた。このタイミングだな。オレは1度深呼吸をして声をかけることにする。


「エドガーさん」


「ん?……何か用か?」


「……こんにちは。オレはギルド『ストレイキャット』のギルドマスターのエミルと申します。少しだけお時間をいただけませんか?」


 オレはエドガーさんの目をしっかりと見つめながら思い切って切り出した。


「単刀直入に言います。オレはあなたを『正義のヒーロー』……この冒険者ギルドの専属冒険者として、このギルドに迎えたいと考えています。この『ストレイキャット』で、あなたの経験と力を貸してくれませんか?もちろんしかるべき報酬もお支払いします」


 ギルド内にはオレの声だけが響き、他の冒険者たちの視線がかすかにこちらに向けられているのを感じた。


「このギルドでオレが?なぜこんなオレを?それに、オレはもう37歳になる。こんな年寄りよりも、若くて将来性のある冒険者の方が、あんたたちのギルドには、ずっと役に立つんじゃないか?」


 エドガーさんは、信じられないといった様子で、言葉を詰まらせながらそう問い返してきた。その声にはわずかな自嘲の響きがあった。年齢を気にしているのか。長年、第一線で活躍してきた冒険者にとって、年齢は常に付きまとう現実なのかもしれない。


 でも、それはオレたちの『ストレイキャット』にとっては何の問題もない。むしろ、その積み重ねてきた経験こそが、このギルドには何よりも必要だと感じている。


「失礼なことだとは思いましたが、昨日。孤児院に行き、ルシーナさんに少しお話を伺いました。あなたが、なぜそれほどまでに盾騎士というジョブにこだわってきたのか。その理由も」


 オレがルシーナさんの名前を出すと、エドガーさんの表情に微かな動揺が走り、その目がわずかに見開かれた。


「ルシーナが?」


「はい。それで思ったんです。あなたはこれからオレたちのギルド『ストレイキャット』にとって、絶対に欠かすことのできない存在だと」


「必要?オレが?」


 その声にはまだ信じられないといった響きがあった。その言葉の裏には、長い間、誰にも必要とされなかった寂しさが隠されているように思えた。


「はい。うちは、主に、冒険者になったばかりの初心者や、まだ経験の浅い初級冒険者をターゲットとしている本当に小さなギルドです。それこそ、今日初めて依頼を受けるという冒険者も多い。だからこそ、あなたのような経験豊富な盾騎士にこそ、このギルドで『正義のヒーロー』として、冒険者たちを守ってほしいんです」


 それを聞いていたリリスさんは、カウンターの中から突然、手をポンッと叩き、何かを納得したように話し始めた。その声は少しばかり楽しげな響きを帯びていた。


「あー。つまり、そういうことですか。エミルくんは、依頼を受けに来た、初級冒険者から追加料金を徴収して、その依頼に、エドガーさんを共に参加させようとしているんですね?ふむ。さすがは元・商人ですね。お金が稼げるなら、どんな手でも使うというわけですか。なるほど。納得です!」


 ……いや、リリスさん。確かにそういう側面があるのは、否定できないけど……もうちょっと、こう……言い方ってものがあるじゃんか?


「こほん。オレたち『ストレイキャット』は、冒険者になったばかりの初心者でも、不安を感じることなく、安心して依頼を任せられるような、安心安全で唯一無二のギルドにしたいと思っています。そのために、長年の経験を持つあなたの力が必要なんです」


「オレの力……?」


「はい。初めて依頼を受ける冒険者は、右も左も分からず、不安でいっぱいのはずです。魔物と戦うことへの恐怖、道に迷うことへの心配、様々な不安が彼らの小さな胸を締め付けているでしょう。だからこそ、そんな初級者をエドガーさんの豊富な知識と経験で導いてほしいんです。あなたにはこのギルド『ストレイキャット』で、みんなの『正義のヒーロー』になってほしいんです。どうか力を貸してください!お願いします!」


 これが昨日の答えだ。そう言って、オレは、心からの願いを込めて深々と頭を下げた。エドガーさんのような、経験豊富で頼りになるベテランの冒険者がいてくれればそれがきっと実現できるはずだ。


「話しはよく分かった。しかし……」


 エドガーさんはオレの言葉に顔を上げたものの、すぐにまた俯いてしまった。その表情は険しく、決断を下せない様子が窺える。彼の眉間には深い皺が刻まれ何かを深く考えているようだった。長年、自分の信じてきた道を貫いてきた男にとって、新しい環境に飛び込むことは大きな勇気がいることなのだろう。


 そんな彼の様子を見て、カウンターからリリスさんが苛立ちを含んだ溜め息をつき話し始めた。


「はぁ……これだから無駄に経験のある人は頭が固すぎて困ります。固めるのは防御だけにしてもらえませんか?それに、自分の年齢を言い訳にするなんて、見苦しいですよ。年齢を重ねるごとに魅力が増す人もいるというのに、あなたは一体何を積み重ねてきたんです?ただ年を取っただけの、価値のない化石ですか?」


 リリスさんから、いきなり研ぎ澄まされたナイフのような鋭い毒舌が放たれる。その言葉は、まるで冷たい氷のようにギルドの空気を凍らせた。


 どうしたんだリリスさん!?オレはエドガーさんを仲間にしようとしてるんだけど!?オレは思わず、リリスさんの方を振り返った。するとリリスさんは、何食わぬ顔でにこやかに微笑んでいた。

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