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第20話 捨てていいもの、ダメなもの


 リリスさんの表情は、いつもの意地悪そうな笑みとは違い、どこか真剣で真実を突きつけようとしているようにも見えた。その瞳は鋭い光を宿し、一切の妥協を許さないという強い意志があった。


「この際、はっきりさせておきましょう。その年齢で冒険者ランクC。ハッキリ言って、冒険者としてはもう終わっています。それこそ、さっきあなた自身が言ったように、将来的に可能性のある若い冒険者の方がよっぽど需要があります。誰も、あなたをパーティーに誘うことなんてないでしょうね。あと盾騎士の誇りだか何だか知りませんが、意地になってるだけですよそれ。ただの自己満足です」


「……だろうな」


 エドガーさんの声は消え入りそうに小さかった。その言葉は、彼自身の諦めと、長年積み重ねてきた努力が報われない現実への絶望を滲ませているかのようだった。


 ……リリスさん。あまりにもストレート過ぎやしないか?もう少しオブラートに包んであげても……


 目の前で繰り広げられるリリスさんとエドガーさんのやり取りに、オレはただ固唾を飲んで見守っていた。リリスさんの言葉は確かに辛辣で、聞いているこっちまで胸が締め付けられるような思いだったけど、その中に確かな真実とエドガーさんを案じる気持ちが込められているようだった。


「そして、あなたは盾騎士。攻撃力も低い、ただの盾持ち。ソロでの高額な依頼なんて最初から無理な話です。危険なダンジョン攻略なんて夢のまた夢でしょうね?あと、最初から気づいてましたが、毎回毎回クエストボードのパーティー募集を確認してますよね?でも、自分に合った募集がない。それならなぜ自分からパーティーを募集しないんですか?Cランクの冒険者が初級冒険者のFランクやEランクの冒険者にお願いするのが恥ずかしいんですか?そんな銅貨1枚にもならないプライドが何の役に立つんですか?本当に不思議です」


 まるで決壊したダムのように、次々と容赦のない辛辣な言葉がエドガーさんに浴びせかけられる。


 うーん……これは、さすがに止めるべきだろうか?でも、リリスさんの表情は、いつもの意地悪そうな笑みとは違い、どこか真剣だ。その瞳の奥には確かな光が宿っていて、それがエドガーさんへの本気の思いであることを示しているようだった。


「私は、元Sランクの冒険者です。あー。最強の。だからこそよく分かります。本当に捨てていいものと、絶対に捨ててはいけないものを。あなたもいい大人ですから、もうお分かりですよね?」


 なんか、さりげなくSランクを強調した気がするけど、今はそんな細かいことを気にしている場合じゃない。それを聞いたエドガーさんは下を向いたまま押し黙ってしまった。彼の肩が、鉛のように重く沈んでいるのが見て取れた。まるで、これまで背負ってきたものが、一気に彼を押し潰しているかのようだった。それでもリリスさんは畳み掛けるように言葉を続ける。


「エミルくんに聞きましたよ。毎月、欠かさず、自分のわずかな稼ぎの中から孤児院にお金を送っていると。このままではまともな仕事もない。パーティーにも誘われない。依頼もこなせない。そんな状況が続けば、孤児院の罪のない子どもたちは食べるものもなくなり、温かい寝床もなくなり、路頭に迷うことになる。ハッキリ言って、あなたは冒険者としての中途半端な誇りは今すぐに捨てるべきです。でも……盾騎士として、孤児院の未来ある子どもたちを守る『正義のヒーロー』としての誇りは絶対に何があっても捨ててはいけない。違いますか?」


 リリスさんの言葉は、彼の心の奥底に眠る、最も大切なものを揺さぶるかのようだった。その声には、冷徹さの中に深い愛情が込められており、エドガーさんの心を抉り取るかのように響いた。


「…………」


 その核心を突くような痛烈な問いかけに、エドガーさんは何も答えることができない。ただ、その大きな肩が震えているのが見えた。彼の震えは、まるで抑えきれない感情の奔流が彼の中で渦巻いているかのようだった。


「あなたはまだ、やり直せるはずですよ。だって、まだ37歳じゃないですか。まだまだ、これからでしょう?少なくとも、このギルド『ストレイキャット』にはあなたの力を必要とする人がいて、あなたは必要とされる。そして、かつてあなた自身も憧れた、孤児院の子どもたちを守る、本物の正義のヒーローとして生きる。これほど幸せなことはないと思いませんか?」


 リリスさんの言葉は、まるで暗闇の中に差し込む、温かい光のようにエドガーさんの心をゆっくりと照らしているようだった。その声は、先ほどまでの冷徹な響きとは打って変わって、まるで母が子を諭すような優しさに満ちていた。


「……本当に、オレを、必要としてくれるのか?」


 エドガーさんはゆっくりと顔を上げ、その潤んだ瞳でオレたちを見つめた。彼の目には、絶望の淵から這い上がろうとする微かな光が宿っていた。


「えぇ、もちろん。私たちのマスターがそう言っていますから」


 そう答えるリリスさんの顔は、先ほどの冷たく厳しい表情とはまるで別人のように、とても優しい温かい笑顔だった。その笑顔は、母性的な温かさに満ちており、エドガーさんの心を包み込むかのようだった。


「オレは……オレは、困っている人を少しでも助けてあげられるような、そんな正義のヒーローになりたいんだ!孤児院の子供たちのためにも!」


 エドガーさんの目から、大粒の涙が堰を切ったように溢れ出した。その涙は、長年の苦しみと、それでも決して諦めなかった彼の心の強さを物語っているようだった。それは、彼の胸の奥に押し込められていた、熱い思いが解き放たれた証でもあった。


 もしかしたらエドガーさんは、心の奥底ではずっとそう願っていたのかもしれない。でも、長年の挫折と周りの冷たい視線が、エドガーさんから踏み出す勇気を奪っていたのかもしれない。


 誰かにそっと背中を押してもらいたかったのかもな……


「もちろんです。あなたは今日から、この冒険者ギルド『ストレイキャット』の一員となって、困っている冒険者たちをその大きな盾で守ってください。それでいいですよね、エミルくん?」


 リリスさんがオレに視線を向け、微笑みながら尋ねる。その視線にオレは力強く頷いた。


「はい。心から歓迎しますよ、エドガーさん」


 オレは、差し出した手にエドガーさんの大きく温かい手がしっかりと握り返されたのを感じた。その力強い握りには、彼の決意と、新たな希望が込められているようだった。


 彼の掌から伝わる熱がオレの心にも確かな温かさを灯してくれた。そしてそれは、新たな絆が生まれた瞬間を告げるようだった。


「ありがとう。……よろしく頼む」


 エドガーさんの声は少し震えていたけれど、その言葉には確かな力が宿っていた。彼の表情には、これまで見たことのないほどの穏やかさと、未来への希望が満ち溢れていた。こうしてオレたちの、まだ小さな冒険者ギルドにまた一人、かけがえのない心強い新たな仲間が加わったのだった。

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