森の奥深くへと進むオレとアンナ。適性試験のターゲットである残り一体のゴブリンがなかなか見つからず、気づけばかなり奥の方まで来てしまっていた。鬱蒼と茂る木々のせいで、陽の光がほとんど差し込まず森の中は薄暗くなり、アンナもさすがに少し不安になっているようだ。
「ねぇ、エミル。本当にこっちにゴブリンがいるのよね?」
「いや……オレは、ただアンナの後をついていってるだけなんだけど……」
「は?アタシのせいにするつもり!?男のクセに、女に頼るなんてダサいわよ!あなた、それでも男なの!?」
アンナは、急に語気を強め、プンスカと怒りながら先に進んでいく。オレは、彼女の背中を追いかけるようにして後に続いた。
あーもう。めんどくさい。だが、彼女の機嫌を損ねるわけにはいかない。適性試験の立会人としての責任もあるし、とりあえず今は黙ってついていくことにしよう。
それから、さらに30分ほど歩いたところで、ようやく一体のゴブリンを発見した。薄暗い森の奥でぼんやりと緑色の体が揺れる。
「ん?いたぞ、ゴブリンが」
「やっと見つけたわね!それじゃ、アタシの力を見せつけてやるわ!」
アンナは、待ちかねたように杖を構えた。オレはこれで試験も終わるかと少し安堵した、その時だった。ゴブリンの背後から、ぬっと巨大な影が現れた。その異様な姿を見た瞬間、オレは驚きの声を上げた。全身の血の気が引くような感覚に襲われる。
「おい、アンナ!逃げろ!そいつは、ゴブリンロードだ!」
ゴブリンの上位種であり、普通のゴブリンとは比べ物にならないくらいの強さを誇る魔物。ランクはDとされているが、その強さはCランクに近いとも言われている……はず。過去にリリスさんたちがそんなこと言っていたし。
なんで、こんな王都近くの森にいるんだよ!?完全に想定外の事態に頭が真っ白になる。オレは急いでアンナの元へと駆け寄った。アンナは杖を構えたまま、きょとんとした表情でオレを見返した。
「何よ!?まだ戦いは終わってないわよ!?」
「早く逃げるぞ、アンナ!あいつはヤバイ!初心者が敵うような相手じゃないんだ!」
「何よ!アタシをバカにする気!?」
「いいから逃げるぞ!」
オレは、アンナの細い腕を掴んで、無理やり後ろへ引っ張ろうとした。しかし、ゴブリンロードの動きは素早く、巨大な棍棒を地面に叩きつけながら、アンナの目の前に立ちはだかった。ズシン、という地響きのような音が森に響き渡る。その巨体から放たれる威圧感に思わず体が竦む。
「邪魔よ!ファイアボール!」
アンナは、咄嗟にゴブリンロードに向かって魔法を放った。掌から放たれた小さな火の玉は、ゴブリンロードの巨体に吸い込まれるように直撃する。だが、信じられないことに、ゴブリンロードは全くの無傷といった様子だった。まるで、小さな石ころが当たっただけとでも言うように。
「えっ?なんで効かないのよ!?」
驚愕の表情を浮かべるアンナに向かって、ゴブリンロードは巨大な棍棒を振り上げた。その棍棒が振り下ろされる軌道上に、アンナがいる。体が勝手に動いた。
「危ない!!」
アンナを庇い、ゴブリンロードの棍棒はオレの背中を直撃する。鈍い衝撃が全身を襲う。呼吸が苦しい。肺が潰れたかのような痛みに立っているのがやっとだった。視界が白く霞み平衡感覚が揺らぐ。
「ぐぅ……ッ!」
思わずうめき声が漏れた。鈍い痛みが、神経をじくじくと蝕んでいく。
「エミル!!大丈夫!?」
アンナの悲痛な叫び声が聞こえる。大丈夫なわけ、ないだろ……こんなデカいの一撃食らって無事なわけない。だが、ここで弱音を吐くわけにはいかない。オレは適性試験の立会人だ。アンナを無事に帰らせる責任がある。オレが倒れたら、アンナまで……そう思うと、体の奥底から微かな力が湧いてくるのを感じた。
「大丈夫だ……それよりも、早く逃げるんだ。ここはオレがなんとかするから」
震える足に鞭打ち、痛む背中を庇いながら、なんとか立ち上がる。アンナの前に立ちはだかると、目の前のゴブリンロードがさらに巨大に見えた。奴の視線は完全にオレたちを獲物と見定めている。
「そんなのできるわけないじゃない!エミルは弱いんだから!」
心臓がドクドクと警鐘を鳴らす。ゴブリンロードは、一歩、また一歩とゆっくりと近づいてくる。その巨体から放たれるプレッシャーは、まるで重い岩がのしかかるようだ。奴の目は、血のように赤く獰猛な光を宿している。
「くそっ、どうする……!このままじゃ、本当に二人とも……!」
王都近くの森に、まさかゴブリンロードが出るとは……完全に想定外だ。こんな事態、適性試験の規定にもない。完全にオレの判断ミスだ。森の奥にどんどん進んでいくアンナをオレが止めなかったからこんな事態になったんだ。これはいよいよ本格的にまずい。死ぬかもしれない。いや、確実に死ぬ。せめて、アンナだけでも逃がさないと。オレが時間を稼いで、その隙に……!
その時、ゴブリンロードの足が止まった。奴は、獲物を狙う獣のように身を低くし、再び巨大な棍棒を振り上げた。風を切る音が聞こえる。脳裏に死がよぎった。走馬灯のように、これまでの人生が駆け巡る。まだ、やりたいことがたくさんあったのに……
「アタシは……最強の天才魔法少女なんだから……お願い……おじいちゃん、力を貸して……!」
絶体絶命の状況で、アンナは握りしめていたペンダントに祈りを込めた。その声は震えていたが、それでも力強く、森の空気に響き渡る。
すると、不思議なことに、ペンダントが眩い光を放ち始めた。その光は次第に強くなり、オレたちの足元に、巨大な光の魔法陣が展開される。見たこともない古代文字が、禍々しい輝きを放ちながら浮かび上がった。その光にゴブリンロードは振り上げた棍棒を止め、一瞬怯んだ。
「な、なんだこの魔法陣は?」
「これは……おじいちゃんの最強魔法よ!きっと、アタシを助けてくれる!」
アンナは、希望に満ちた表情でそう言うと、魔法陣に浮かび上がった文字を読み上げ始めた。
「我求めるは聖なる炎と猛き雷。我が魔力を糧とし、その力を顕現せよ!『ボルテックルージュ』!!」
アンナが魔法を唱え終えた。しかし何も起きない。ただ、森の静寂が、オレたちを包んでいるだけだった。ゴブリンロードは再び巨大な棍棒を振り上げ、オレたちに向かって振り下ろそうとしていた。もう、ダメだ……
どうすれば……!その時だった。
「まったく……世話が焼けますね?こうやって使うんですよ?」
突然、どこからともなく、謎の女性の声が聞こえた。森の木々の隙間から、まるで幻のように現れたその声にオレは思わず耳を疑った。
「え?」
すると、その直後、強力な轟音と共に天空から真っ赤な稲妻が、まるで意思を持っているかのように一直線にゴブリンロード目掛けて落ち、そしてそのままゴブリンロードを地面へと叩きつけた。
その威力は凄まじく、爆発の中心から炎が広がり、辺り一面が一瞬にして火の海になる。その熱風がオレたちの顔を撫で、焦げ付くような匂いが鼻腔を刺激する。
「す、すごい……」
あまりの光景にオレは言葉を失った。それは、間違いなく最強の魔法と呼べるほどの破壊力で、あのゴブリンロードを、跡形もなく消し炭にしてしまったのだから。
地面には、巨大なクレーターがぽっかりと口を開け、そこからまだ炎が燃え盛っている。信じられない光景にただ立ち尽くすしかなかった。