ギルド『ストレイキャット』の昼下がりは、温かな陽光に満ちていた。朝の喧騒がようやく落ち着き、冒険者たちの慌ただしい出入りも一段落。広々としたギルド内は、いくらか静けさを取り戻している。
カウンターでは、陽光を浴びながらリリスとジェシカが書類の山と格闘していた。ペンが紙の上を滑る音と、時折響く紙をめくる音が、静かなギルドに穏やかなリズムを刻む。窓から差し込む光は、空気中に舞う微細な埃をキラキラと輝かせ、時の流れをゆったりと感じさせていた。
「マスター、大丈夫かな。あの子と一緒に、変な強い魔物にでも襲われてないといいけど……」
ジェシカは、書類の山から顔を上げて不安げに呟いた。その視線は、ギルドの扉の向こう、エミルとアンナが向かったであろう方角へと向けられている。
「あれ?私の記憶が正しければ、エミルくんを適性試験の立会人に選んだのはジェシカちゃんじゃないですか。あー。『マスター……私。心配したんだからね』からの『本当に無事で良かった』っていう、ツンデレヒロインアピールですか。不器用ですねジェシカちゃんは。まぁ、それも今どき流行ってませんけど。その、ベタな物語のような思考と行動が若すぎて可愛いっていえば可愛いですけどね?」
リリスは、茶目っ気たっぷりににっこりと笑った。その瞳は、ジェシカの動揺を面白がるかのようにきらきらと輝き、ほんの少しの悪戯心が滲み出ていた。まるで姉が妹をからかうような穏やかな声がギルドに響く。
「ち、違う!私はただ、その時暇なのがマスターだったから!べ、別に深い意味はないよ!」
ジェシカは、顔を真っ赤に染めて必死に否定した。熟れたリンゴのように頬を染め、ぶんぶんと首を横に振る。その必死な様子は、かえってリリスの言葉を裏付けているようにも見え、リリスは小さく笑みをこぼした。
「またまた~、そんなこと言っちゃって~。でも、違うなら、私のお昼を買ってきてください。今日はヘルシーに女子力の高い野菜多めのお弁当がいいですかね?」
「え?なんか、それは違う話じゃ……」
「じゃあ認めるんですか?」
「なによそれ……はぁ……分かった。お昼を買いに行ってくるから、お留守番お願いねリリスさん」
「はい。いってらっしゃい」
ジェシカは、大きなため息をつきながら、観念したように席を立った。渋々といった様子ではあったが、彼女はギルドの扉を開けて外へと出て行った。穏やかな風が、一瞬ギルドの中を吹き抜けジェシカの髪をふわりと揺らした。
「まぁ……そんなに心配することはないんですけどね。エミルくんは危険なことには遭遇するかもしれませんが、そう簡単には死なないと思いますしね」
ジェシカを見送った後、リリスは、ふとカウンターに残されたアンナの登録用紙に目を落とした。そこに書かれた文字を追うように、彼女の視線がゆっくりと滑る。紙には、幼い子特有の可愛い文字でアンナの名前が記されていた。
「ふむふむ。ん?アンナ=グランメール。なるほど……最強の天才魔法少女ですか……あながち、間違ってはいないかもしれませんね。懐かしいお名前です。そうですか」
リリスは、クスッと小さく笑った。その笑みには、何かを知っているかのような含みがあった。彼女の口元に浮かんだ笑みはいつもの冷静さの中に、少女のような無邪気さが垣間見えた。
そして再び、書類の山へと視線を戻し、慣れた手つきで仕事を再開した。ペンの音が再びギルド内に響き始める。すると、ギルドの扉が再び開き、少し前に素材屋へ換金に行っていたエドガーが戻ってきた。彼の足元には、素材の入っていたであろう空の袋がいくつか転がっている。彼はそれをカウンターの脇に置き、慣れた様子でギルドの中を見渡した。
「今、戻ったぞ」
「おかえりなさい。早かったですね。もう終わったんですか?」
「ああ。ジェシカは?」
「ジェシカちゃんはお昼を買いに行ってます。あっそうだ。ちょうどお昼を食べようと思ったんですけど、少しだけ用事が出来ました。エドガーさんに私の分のお昼あげますね?あと、ジェシカちゃんが戻ってくるまで、ギルドの留守番をお願いしてもいいですか?」
リリスは、すとんと椅子から立ち上がった。彼女の纏うギルドの制服がふわりと揺れる。
「それは構わないが、どこかへ行くのか?」
「……少し、お散歩がしたいんです」
リリスは、そう言ってにっこりと微笑んだ。その瞳の奥には、何か特別な期待が宿っているかのようだった。彼女はそのままギルドを出て行く。
街に出たリリスは、まるで目的の場所があるかのように、足取り軽く歩いていく。石畳の上を軽やかに響く足音は、まるでスキップでもしているかのようだった。
その表情は、まるで遠足に向かう子供のように、目的地に着くのが楽しみで仕方ないといった様子だった。彼女の瞳は、街の喧騒を映しながらも、目的の場所、ただ一点を見つめている。太陽の光が彼女の髪を照らし、まるで彼女の背中を押しているようだった。