「だめだだめだ。身分を証明できるものがないなら、中へ入れることはできん」
若い番兵は、厳しい口調で言った。
城塞都市クレサメの入り口。ふたりは威圧感のある厳めしい門をくぐり中へ入ろうとしたが、そのさなか呼び止められ、身分を証明できるものの提示を求められた。しかし、ヴァルダもキルイもそのようなものを持ち合わせていない。そのため番兵に入場を阻まれてしまったのだった。
「昔はこんなことなかったんだがなあ」
ヴァルダは門を抜けた先を見ながら嘆いた。家々が立ち並び、その奥には市場らしき景色がわずかに見える。キルイは覗き込もうと前のめりになるので、番兵は面倒くさそうに睨みを利かせる。
「前は何もなく中へ入れたんですか?」
問われたヴァルダは、「ああ」と首肯した。
「仕方あるまい。魔王の復活が分かり、警戒を強めておるのだろう。このまま聖剣の洞窟へ向かうとするか」
ヴァルダは踵を返したが、その言葉に慌てたのは、ほかならぬ番兵だった。
「お、おい。今、聖剣と言ったか?なぜその場所を知っている」
「知っているも何も、観光資源として扱っていたのは、ここの街の者たちだろう」
ヴァルダが振り返りそう言うと、番兵は呆気にとられた顔をする。
「街の長老にでも聞いてみるといい。おかげでこれだけ立派な城門を築けたわけだし、聖剣様々だな」
話し終えたヴァルダは前を向き、キルイとともにクレサメを立ち去った。
「以前は観光に来る者たちに踏みならされて、歩きやすかったんだがな」
そんなことを言いながら、ヴァルダは道なき道を進む。あたりは一様に草でおおわれており、当時の面影をしのばせるものは何もなかった。
「聖剣って精霊の加護があれば抜けるんですよね。誰かに持っていかれたりしないんですか?」
ヴァルダのあとについて歩きながら、キルイは疑問を口にした。
「それは大丈夫だろう。あの剣は、勇者の資質があるかを判断するだけで、戦うためのものではないからな」
「えっ、そうなんですか?」
キルイは意外そうな顔を見せる。
「ああ。昔は聖剣を抜いた者に、伝説の金属であるオリハルコンで作られた剣が授けられたとされている。それらが同じ剣だとする伝承もあるが、まったくの別物だ。
それに今は、聖剣を使わずとも、各国にいる神官が判定できるからな。判定は極秘で行われるから詳しくは分からんが、精霊の加護を持つ者が触れると光る玉を使うとも、精霊の加護を持つ者以外が座ると尻に猛烈な痛みが走る椅子を使うとも言われておる」
「だからクルードさんが勇者だと、リヴラ王国で判定できたんですね」
そんな話をしていると、あっという間に目的の場所に着いた。そこでは岩の壁にぽっかりと、洞窟が口を開けていた。
「いかにもな洞窟ですね」
キルイはすたすたと近づき、中を覗き込む。
「ああ。前は入り口のところに掘っ立て小屋があって、入場料をとっていたのだ。なかなかの金額だったが、それでも行列ができておってな」
ヴァルダは苦々しげに言った。
「そうやって金儲けをしていたんですね」
「そうだ。中は真っ暗だが、火を使ってはならんと言ってな。小屋にいた魔法使いに先導してもらうには、さらに金がかかった。もちろんワシらには必要なかったが」
そう言ってヴァルダは魔法で杖の前に明かりを灯し、キルイとともに中へ入っていった。すると、ほどなくして円形の広い空間に出る。ヴァルダはよく見えるよう明かりを強めた。いびつな岩壁に囲まれた中央に小さな台座があり、そこに一本の剣が刺さっている。
「あれが聖剣ですね。勇者にしか抜けないっていう」
「そうだ」
ふたりで剣のそばに近づく。すると不意に、剣がきらめいたように見えた。ヴァルダが気のせいかと思ったそのとき、剣を中心に、あたりがぼんやり青白く光り出した。
「やあ、久しぶりのお客さんだね」
聞こえた声は、頭の中に直接、響いてくるように感じられた。それはヴァルダだけでなくキルイも同じだったようで、警戒しながらきょろきょろと周囲を見回している。
「こうした方が分かりやすいかな」
再び頭の中で声が聞こえたあと、半透明の小さな人間のような姿をしたものが、剣の中からすっと抜け出すように姿を現した。そして背中の羽をはばたかせ、キルイの目の高さまでやってきて止まる。
「ネトだよ。この剣に宿る精霊なんだ」
そう名乗り終えると、ネトは仰々しくお辞儀をする。ヴァルダはそれがよく見えるように、魔法の明かりを弱めた。
「精霊って、勇者が持つ精霊の加護の精霊ですか?」
キルイは訊きながら、指でネトに触れようとする。しかし、その指はネトの体をすり抜けた。
「精霊にはさわれないよ」
明るい声でそう言うと、ネトはひらりと舞い上がり、今度は剣のそばに止まった。
「それから精霊の加護のことだけどね。あれはネトの加護とも言えるし、そうでないとも言えるかな」
キルイはネトの言わんとすることが理解できなかったのか、難しい顔をする。
「精霊はこの世界のどこにでもいるんだ。ネトは今、こうして姿を見えるようにしているけど、君たちに見える場所だけにいるわけじゃないんだよね。だから、声もネトの口からじゃなくて、頭の中で聞こえるでしょ。それに精霊は、みんな同じなんだ。剣に宿っていようと、杖に宿っていようと、洞窟に宿っていようとね。もちろん何にも宿っていないこともあるよ」
ネトはいたずらっぽく笑い、またキルイの目の前まで飛んできた。
「だから精霊の加護っていっても、それはネトや他の精霊のものじゃない。でもネトたち精霊の加護なんだ」
キルイはまだ険しい顔をしている。
「ネトの言ってること、難しかったかな?」
ネトは今度はヴァルダのそばまで飛んで訊いた。
「そうだな。人間には理解の及ばない世界ということだ。まあ、理解したところで何が変わるわけでもない。あまり深く考えないことだ」
「うん。こんなこと分かっても、いいことなんてないよ」
ヴァルダの言葉にネトがうなずく。それでキルイはようやく表情を緩め、「よくわからないですね」とはにかむように笑った。
「じゃあ、剣が抜けるか試してみよっか」
「え、いいんですか?」
軽い調子で勧められたキルイは、ネトを見つめた。
「もちろんだよ。剣を引っ張って抜けるか抜けないか、それだけさ」
ネトはそう言って、キルイの周りをくるりと回る。ヴァルダは胸の鼓動が速まるのを感じた。
ヴァルダは、キルイが聖剣に手をかけることについて、ずっと考えないようにしていた。聖剣を抜けるとすれば、魔王討伐に向けてこれ以上の福音はない。しかし、反対に抜けなかったときのことを考えると、落胆しない自信がなかった。きっと魔王討伐は無理だと言われた気がしてしまうだろう。それなら何も知らず旅を続けた方がいい。ヴァルダは、オリハルコンをこんなところに隠したのは間違いだったと悔やんだ。
そう、ヴァルダがこの洞窟へ取りに来たのは、オリハルコンだった。以前この洞窟を訪れたときに、ちょうどオリハルコンを持っており、「聖剣の洞窟に、伝説の金属が隠してあるとは誰も思わないだろう」という相棒ロアのアイディアを、それは面白いと容れて、ヴァルダが魔法で地中に埋めたのだ。
そのときは、まさかこんな状況になろうとは想像もしなかった。オリハルコンのことは忘れて魔王に挑むことも考えたが、さすがにそれは悪手だろうと、この洞窟へ寄らず通り過ぎることはできなかった。