「やれやれ、仕方あるまい」
ヴァルダは杖を構え、魔法を放つ。それは翼竜の手前に着弾し、地面の岩肌をわずかに削った。翼竜は羽をばたつかせ、一声、甲高く鳴くと、空へと飛び立つ。それに驚き、飛び出したスピ魔族たちは立ち止まった。
翼竜の羽ばたきに煽られたガロールは、踏ん張って耐えたのち、「どこを狙っている」とヴァルダに視線を向ける。しかし次の瞬間には、無数の
「楽勝でしたね」
「ああ、そうだな」
喜ぶキルイの声に答えながら、ヴァルダはいまだ怯え続けるスピ魔族たちを見回した。ガロールに近づこうとしていた者たちは、慌てて走り、翼竜の陰に隠れるなどしている。
「あ、あの……」
プレスモは仲間たちの様子を気にしつつ、おどおどしながらヴァルダを見上げた。
「さあ、ガロールは倒した。翼竜の準備を頼むぞ」
ヴァルダは穏やかに声をかける。翼竜に乗り海を渡れればそれでよく、スピ魔族らの裏切りを咎めることは考えていなかった。
「え……う、うん」
プレスモは目を丸くしたが、すぐにひとつうなずいて仲間たちのもとへ駆けていく。そこで何やら話したあと、ばたばたと翼竜のもとへ走って行き、それに乗ってふたりのそばまでやってきた。しかし他のスピ魔族が動かないことに、ヴァルダは眉根を寄せる。
「ひとりずつ分けて乗るのかと思っておったが」
「本当はそのほうがいいんだけど」
プレスモはそこまで言って一度もじもじし、ためらいがちに再び口を開く。
「みんな嫌がってさ。仕方ないから、僕がふたりとも乗せていくことにしたんだ。大柄な翼竜を選んだから、向こうの大陸までくらいなら、三人でも飛べるから安心してよ」
「そうか」
ヴァルダはため息をつきながら、改めて他のスピ魔族たちを見やった。ヴァルダの視線に気づいた者たちは、びくんとひとつ大きく体を震わせ目を逸らす。キルイは「嫌われちゃいましたね」と苦笑いした。
プレスモが閉じた翼に二度軽く触れると、翼竜は座り姿勢を取った。その背中にまたがったプレスモは、「いいよ」とふたりを促す。ヴァルダは翼竜に乗ろうとしかけたがやめて、スピ魔族たちの方へ振り返った。
「よいか。ワシらがここへ来たことは、他の誰にも言ってはいかんぞ。それから、ワシらを送り届けて戻ってきたプレスモをいじめてはならん。もしそんなことをしたら、先日、町に行ったトルバ魔族を倒した勇者に頼んで、お前たちを成敗してもらうからな。勇者はワシらの百倍は強い。覚悟しておけ」
ヴァルダが朗々と宣言すると、スピ魔族たちは身を寄せ合って、極限まで縮こまる。プレスモまでも、翼竜の背でぶるぶると震えていた。
「そんな脅すような言い方しなくても……」
「ワシらを裏切ろうとした罰だ」
キルイは非難がましく言ったが、ヴァルダは悪びれもせずほくそ笑む。
その後、ヴァルダはプレスモのうしろに座り、続いてキルイも翼竜にまたがった。
「それじゃあ行くよ。最初ちょっと揺れるから気をつけて」
そう声をかけて、プレスモは翼竜の首をさする。すると翼竜は腰を上げ、翼を広げて離陸した。地面が遠く離れ、振り落とされないかと恐怖を感じたヴァルダは、左手で杖を抑えながら、右手でプレスモにしがみつく。
「え、何?」
しがみつかれたプレスモは驚き、うしろを向いた。それに反応したのか、翼竜は右方向へ旋回しようとする。「わっ!」と声を上げたキルイは、翼竜の背中に両手をあてて体を支え、ヴァルダはプレスモにかけた右手にさらに力を入れる。
「痛いよ、離して」
プレスモはどうにかヴァルダの手をどけようとする。
「すまん、先に翼竜の体勢を立て直してくれんか」
「……うん、わかった」
ヴァルダのうめくような声にプレスモも苦しげに返事をした。そして翼竜の左首に触れ旋回を止めると、ヴァルダは徐々に手の力を緩めていった。
「すまんかった。どうも生き物に乗るのは恐くてな……」
ヴァルダは滲む汗をぬぐいながら、プレスモに謝った。
「先に言ってくれればよかったのに。でも向きが変になっちゃったから、戻すためにもう一回、旋回するね」
「いや、待って……」
ヴァルダが言い終わる前に、プレスモは翼竜を左方向へ旋回させる。それでまたヴァルダはプレスモにしがみつき、手に強く力を入れるのだった。
その後は対岸へ針路を取り、翼竜は安定飛行に入る。しかし速すぎるスピードに、ヴァルダは相変わらずプレスモの体に手をかけたままだった。顔を上げていると風を真正面から受けるので、プレスモに隠れるように頭を下げている。そうしながら、いつ海に投げ出されやしないかとびくびくしていた。
「もう少し遅くできんか」
「これ以上遅くすると、翼竜が落ちちゃうよ」
ヴァルダは懇願するように言ったが、プレスモに困り声で却下される。
「そんなに怖がることないですよ。風が気持ちいいじゃないですか」
キルイは楽しげだったが、ヴァルダはとてもそんな気分にはなれない。ただひたすら落ちないようにと体をこわばらせ、早く隣の大陸に着くよう祈るばかりだった。
ようやく翼竜が対岸の砂浜に降り立ったときには、ヴァルダはすっかりくたびれていた。キルイは元気よく飛び降りたが、ヴァルダは翼竜の背中を滑るようにして地面に着地した。
「大丈夫?」
杖を頼りによろよろするヴァルダに、プレスモは翼竜の上から心配げに声をかける。
「ああ、なんとか。世話になったな」
「すごく楽しかった。ありがとう」
ヴァルダはどうにかプレスモに顔を向け、キルイははつらつと感謝を伝えた。そんなふたりに、プレスモも笑顔を見せた。しかし、「そうだ。ひとつお願いがあるんだけど、いいかな?」という唐突なキルイの言葉に、「え、何?」とプレスモは顔を曇らせる。
「サフィラの町まで行って、ロアじいに、ボクがヴァルダさんとふたりで海を渡ったことを伝えてほしいんだ」
「でも……」
プレスモが翼竜の背中でもじもじするので、「ダメかな?」と、キルイは穏やかに問いかける。
「その……さっきもらったパンをもう一個くれるならいいよ」
「まだあったと思うけど」
プレスモの遠慮がちな要求に、キルイはリュックを下ろして、ごそごそ中を探る。すると目的の紙袋が見つかり、その中からパンをひとつ取り出し、「はいこれ」とプレスモのそばまで行って手渡した。
「ありがとう」
プレスモはそのパンを、大事そうに両手で受け取った。
「ロアじいの家は、サフィラの町の外れの方で、畑のそばにあるから」
「うん、ちゃんと伝えるね」
そう言うと、プレスモは翼竜に合図して飛び立った。キルイは翼竜の姿が見えなくなるまで、手を振り続けた。
「いやあ、楽しかったですねえ。それじゃあ、行きましょうか」
「いや、ちょっと待ってくれ」
さっそく歩き始めようとするキルイを呼び止め、ヴァルダはよたよたと座り込んだ。
「大丈夫ですか?」
「ああ。少し休めば歩けるようになるだろう」
そう言って杖を置き、うしろに手をついて楽な姿勢を取る。陸地の方を見回すキルイは、到着した新たな大陸をはやく進みたいのか落ち着かない。
「このあとは、どこへ向かうんですか?」
「南へ行くと聖剣の洞窟がある。実はそこに置いてきたものがあってな。それを取りに行こう」
そう言ったもののヴァルダはなかなか立ち上がれず、しばらくまだ砂浜に座っていたのだった。