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第5話


「謝罪はわかりました。まず、私は別にそこまで迷惑してないですし、大丈夫です。けど、佐野さんが謝りたい相手って私だけじゃないですよね」

 一呼吸おいてから、トヨはそう言った。

 佐野は、気まずそうに頷く。

 すっかり冷めてしまった紅茶。トヨは新しいものを用意しようかと立ち上がろうとした。佐野の声が、それを引き留める。

「あの……」

 トヨはソファに座りなおして、佐野の言葉の続きを待つ。

「香倉さんにはお見通しなんですね。香倉さんに謝らなくちゃと思ったのは本当です。けど、謝りたい相手がいるのもそうです」

 でしょうね、とトヨは思った。佐野は、ここへ来た時からずっと寂しそうな、悲しそうな顔をしていた。それは彼女が悔やんでいるからだと、こんなことはトヨじゃなくてもわかっただろう。

「あれから、ずっと早瀬先輩と話せてないんです」

 トヨは黙って視線で続きを促す。佐野はおずおずと口を開いた。

「……ごめんなさいって、言おうと思ったんですけど、謝って許されることじゃないなって思って、向こうもこの騒動の発端は私って気づいてると思うんです。それでも普通に挨拶とかはしてくれるし、部室で会っても全然、なんていうか普通にしてるっていうか……」

 他の先輩方やチームメイトとも普通に話しているし、この騒動のせいで部をやめるとかいう話も一切出ていない。チームメイトだって、マスコミに誤解されて災難だったね、と言う感じで早瀬を責めることもないし、早瀬だって「ちゃんと裏とってから報道しろってかんじだよね」なんて言って笑っていたそうだ。

 そのなかで、円華はたった一人早瀬と上手く話せないでいた。

「私、どうしたらいいんだろうって……」

「答えは出てるんじゃないですか?」

 突き放すつもりはなかったが、トヨは淡々と答えてしまった。悪い癖だ。本当は自分の中では答えが出ているくせに、誰かに後押ししてもらおうとするような人を見ると、どうにもイライラして冷たい物言いになってしまう。こんなだから、大学時代も同期の恋バナ的なものにはついていけなかったし、そういう話が好きな連中とは話が合わなかった。化粧品の開発という仕事の性質上、そういう話にも対応できたり、理解できたなら市場でも戦いやすいのだろうとは思うが、どうにも。

「……」

 佐野が戸惑うような顔で固まってしまったのを見て、トヨはまずかったか、と反省した。相手はまだ大学一年生、つい昨年までは高校生だった子だ。

 いいタイミングで、応接室の戸を叩く音がした。トヨは視線で佐野に入れていいか問う。佐野は黙ってうなずいた。

「お茶、そろそろ冷めてしまった頃かと思ってお持ちしました。焼き菓子もどうぞ」

 梅井が、トレイに乗せてきたティーセットとすっかり冷めてしまった紅茶とを取り換えてくれる。沈んだ空気の二人にすぐに気づき、彼はトレイを静かにテーブルの上に置いた。

「……大丈夫ですか、顔色が優れないようですけど」

「あっ……すみません」

 佐野は慌てて梅井に謝る。何に謝っているのか、と梅井は微笑んだ。それもそうか、と佐野は思い直して、「お茶ありがとうございます」と言い直す。梅井はどういたしまして、と柔らかく答えると、トヨにちらと視線を向けた。

「……トヨ先輩」

「ああ、も、わかった、ごめん」

 梅井にはお見通しだ。トヨの険しい表情も、佐野の沈み切った瞳が何を示しているのかも、瞬時に見抜いた。トヨがド正論で彼女を追い詰めてしまっているのを、その名前を呼ぶことだけで諫める。

 どうしてトヨがいきなり梅井に謝ったのかわかっていない佐野は、きょとんとして二人の間に流れる不思議な空気を感じようとした。さっきまで厳しかったトヨの表情はずいぶんと軟化しており、少し困ったような顔に変わっていた。その表情のまま、トヨは佐野に問う。

「……梅井も同席していいですか、恐らく彼の方が聞き上手なので」

「へ?」

 佐野は目の前に立っている柔和な雰囲気の男性を再度見上げる。梅井は、佐野の視線を感じるとにっこりと笑った。

「別に聞き上手ってことはないですよ、多分香倉よりゆるい性格ってだけです」

「馨くん」

「はーい」

 二人のやり取りを見て、佐野の緊張した表情がやっと少しだけ緩んだ。


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