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第5話 赤い組織のナゾ

■アルバムの記憶 


佐藤悠斗は実家に帰省した25歳だった。推理小説を読むのが趣味で、シャーロック・ホームズの鋭い観察眼に憧れる冴えない男だ。推理力は遠く及ばないが、人付き合いが下手という点は一致している。


久しぶりの帰省で、母から頼まれた押し入れの整理を手伝っているとき、押し入れの奥から、埃をかぶったアルバムと一緒に出てきた一冊の赤いノート。

表紙には「赤いそしきファイル」と、小学生の自分の字。

ページを開いた瞬間、忘れていた"人生初の事件"が鮮明によみがえってくる。


きっかけは、たった一言のあいさつだった。

——「おかえり」


■幼少期編 - あやしいエプロン


小学校2年生の頃の悠斗には、解決できない謎があった。毎日学校から帰る道すがら、必ず顔を合わせる近所の岸本さんという八百屋のおばちゃんが、決まって「おかえり」と声をかけてくるのだ。赤いエプロンをつけた彼女の笑顔は優しかったが、どこか謎めいて見えた。


初めのうちは何も考えずに「ただいま」と返していた悠斗だったが、ある日突然、違和感を覚えた。


「『ただいま』って…家に着いたわけじゃないのに変だな」


次の日、岸本さんに「おかえり」と言われた時、悠斗は「こんにちは」と返した。しかし、それもどこか違和感があった。


「『こんにちは』じゃおかえりへの返事になってない気がする…」


そこから、悠斗の「おかえり応答問題」は深刻化した。毎晩、布団の中で様々な返答パターンを想定し、最適解を探す日々が始まった。


「『ありがとう』いや、感謝することでもない…」

「『はい』だけだと素っ気なさすぎるか…」

「『おかえりです』は変だな…」


■深まる疑問


ある晩、夕食の準備をしている母に、悠斗は尋ねてみた。

「お母さん、おかえりってどういう意味?」

「家に帰った人に言う挨拶よ」

「でも、まだ家に着いてないのに岸本さんは言ってくるよ」

母は一瞬、怪訝な顔をしてめんどくさそうに答えた。

「なんでだろね、お母さん今忙しいから、宿題して待ちなさい。」


いつもくだらないことを質問攻めにして怒られていた悠斗は、母の心情を察してそれ以上聞くのをやめた。


岸本さんの「おかえり」に対する他の子どもたちの反応を調べることにした悠斗。同じクラスのカズマに聞いてみると、「え?普通に『ただいま』って返してるよ」と当たり前のように答えた。

「でも、変じゃない?まだ家に着いてないのに『ただいま』って」

カズマは首をかしげた。「考えたこともなかったな。みんなそうしてるし」

他のクラスメイトに聞いても「気にしたことない」と言われ、悠斗はますます混乱した。誰も彼の疑問を真剣に考えてくれないのだ。


■ 探偵のはじまり


ついに悠斗は、真剣に「おかえり事件」を解決するため、探偵になりきることにした。学校の日記帳の余白に、表紙に「おかえり事件ノート」と丁寧に書いた。悠斗はページを開き、鉛筆でこう書いた。


_______________


【じけん】 きしもとさんがぼくに「おかえり」って言ってくる


【ばしょ】 しょうてんがいのかど(毎日 16じぐらい)


【うたがい】 ・ぼくの家じゃないのに? ・きしもとさんの家でもないのに?


【けつろん】 よくわからないから、もうすこしちょうさする。

_______________


悠斗はノートに、気づいたことをとにかく書き留めていった。

会話の中でうまく返せない分、紙の上では自分なりに考えを整理できた。

図書室で挨拶のマナーや言葉の意味を調べたり、友達に聞いてみたりもしたけれど、

「これだ」という答えにはたどりつけなかった。


■観察と調査


ある日、商店街の調査をしていると悠斗は衝撃的な発見をした。


「…あれ?」悠斗は思わず足を止めた


魚屋のエプロン、花屋のバンダナ、肉屋の帽子ーーみんな赤い服を着てる!今まで何度も見ていたのに、なぜ気づかなかったのだろう。


「ま、まさか...みんな同じ組織の人なの?」


悠斗の背筋がぞくりと震えた。漫画でしか見たことのない秘密結社が、自分の住む街に存在している?そう思うと怖いような、ワクワクするような不思議な感覚が胸をよぎった。


決定的だったのは、岸本さんが通りすがりの猫にも「おかえり」と声をかけているのを目撃した時だった。


「猫にまで『おかえり』…?」


悠斗の中で何かが閃いた。心臓がドキドキと高鳴る。これは普通ではない。


「これは…なにかの暗号かもしれない!この事件には日記帳じゃダメだ、特別なノートが必要だ!」


その夜、悠斗は真っ赤なノートを買ってきた。「組織と同じ赤なら、相手の考えも見抜けるかもしれない」と思い、表紙に「赤いそしきファイル」と大きく書いた。そして最初のページにはこう記した。


_______________


【じけん】 大人たちがみんなが赤いふくを着ている。


【ばしょ】 しょうてんがい


【うたがい】 ・赤いふくを着てる

・ネコにも「おかえり」という


【けつろん】 「おかえり」は''赤いそしき''の あんごうかもしれない。ちょうさ ひつよう。

_______________


■助手・カズマ登場


翌日、悠斗は親友のカズマに相談した。


「おい、カズマ。ぼくと一緒に事件を解決しないか?」


カズマは眉をひそめた。「なに言ってんの?なんの事件?」


「カズマ、岸本さんってさ、毎日"おかえり"って言うだろ」

「うん、優しいよな」

「いや違う。"優しさ"にしては回数が多すぎる」

「……また始まった」

「しかも昨日、ネコにまで『おかえり』。これはもう、暗号としか思えない!」


赤いノートを取り出し、カズマに見せる悠斗。「ほら、特別に事件ファイルも作ったんだ」


カズマは呆れた顔で「お前、また探偵ごっこ?」と言ったが、悠斗が冷たいジュースをおごると約束すると、しぶしぶ手伝うことに同意した。


「キミが助手、ぼくが探偵ね」悠斗はにやりと笑った。


二人は放課後、商店街で張り込みを始めた。観察を続けるうちに、悠斗は気になる共通点を発見した。魚屋さん、花屋さん、パン屋さん…商店街の人たちが皆、何か赤いものを身につけていたのだ。赤いバンダナ、赤い帽子、赤いネクタイ…。


「みんな赤い服きてるのはなんかおかしい!」悠斗は興奮して叫んだ。


カズマは冷ややかな目で見つめる。「お前さ…それただの商店街のユニフォームなんじゃ…」


「だまされちゃダメだ、カズマ!なにかの秘密結社なんだ!」


 ■決死の調査と"猫スパイ説"


数日後、悠斗は裏路地で赤い帽子の男性とこそこそ話す岸本さんを目撃した。


「みた!?密談現場だよ!」悠斗はカズマの腕をつかんだ。


カズマは最初は「普通に立ち話してるだけじゃん…」と言ったが、二人が何かを交換するのを見て、「あれ…なにか渡してる?」と眉を寄せた。


その時、ネコが二人の前に突然現れて、「にゃー」と鳴いた。それは岸本さんがおかえりと声をかけてたネコだった。『鳴き声でバレたらまずい』と思い、二人はその場を大急ぎで去った。


商店街から離れたところで、息を切らしながら、カズマに話しかける

「はぁ、はぁ…さっきのネコだよ!岸本さんが話しかけてたヤツ!偶然だと思うか!?やっぱりなんか変だって!」


カズマはしばらく考え込んでから言った。「さっきの人たち、確かに変だったかも...」


悠斗はファイルを取り出し、今度は少し整った字で新たな記録を書き加えた。

_______________


【新しいじょうほう】

・赤いぼうしの 男と ないしょばなし

・ネコにちょうさがバレたかもしれない?

・赤いそしき 注意!

_______________


■カズマの裏切り


調査を続けること一週間。カズマは最初こそ半信半疑だったが、「岸本さんの笑顔が怪しい」とか「赤い服の人が多すぎる」という悠斗の指摘に、「言われてみれば確かに…」と頷くようになってきた。


ある日、カズマが学校に来なかった。心配した悠斗が電話で理由を聞くと「ちょっと買い物に行ってた」と言うだけで、それ以上は話してくれなかった。


翌日、カズマが学校に戻ってきたとき、悠斗は凍りついた。


赤いTシャツを着たカズマがそこにいたのだ。


「カ、カズマ...その服...」


カズマは悠斗の視線に気づくと、キョトンとした顔で「ん?これ?昨日買ったんだ。かっこいいだろ?」と何気なく答えた。


「どうして...どうして赤い服なんか...」


「え?別に普通じゃない?赤色好きだし」カズマは肩をすくめた。


悠斗の頭の中で警報が鳴り響いた。

(まさか...カズマまで...洗脳された?組織に取り込まれた?)


授業中、悠斗はカズマに小さな紙切れを渡した。

「今日も商店街に行くの?」


カズマはそのメモをみて少し考え込んだ後、「うん、アイス買いに行くつもり。いっしょに行く?」と返事を書いた。


悠斗の脳裏に恐ろしい想像が広がる。

(一緒に行く?...僕まで組織に入れようとしてる!)


休み時間になり、悠斗がトイレから教室に戻ってきたとき、カズマが何気なく言った。

「おかえりー」


悠斗は足を止めた。今、何て言った?


「今…なんて?」


「え?おかえりって言っただけだけど」カズマは首をかしげた。「なんか変なこと言った?」


悠斗の瞳が震えた。カズマの口から出た「おかえり」という言葉が、耳の中で反響する。まるで岸本さんの声と重なるように。


「…いつから、その言葉を使うようになったの?」


「は?普通じゃん。みんな使ってるよ」カズマは不思議そうに悠斗を見つめる。「大丈夫?顔色悪いよ?」


(彼らの洗脳は始まっている…!赤い服、そして今度は「おかえり」…)


「あ、ごめん。もう一回トイレ!!」


悠斗は足早に立ち去った。背中にカズマの視線を感じる。あの視線は、友達のものではなく、監視者のものだ…そう確信した。


『今日の午後、すぐに実行に移さないと。もう時間がない…』悠斗は拳を固く握りしめた。


 ■ひとりで潜入


悠斗はショックを受けたが、一人でも調査を続けることを決意した。


放課後、人通りが少なくなった商店街。悠斗は深呼吸し、八百屋の裏手へ回った。


倉庫のドアは鍵がかかっていたが、脇の小窓を開けて、体をねじ込みながら中に入る。


ガタッ。


小さな音を立てて棚にぶつかってしまい、悠斗は心臓が止まりそうになった。


(誰かに気づかれたか?)


外の様子を伺うと、ちょうど商店街の奥から誰かの影が…。


物陰にしゃがみ込み、息を潜める。


しばらくして静けさが戻ると、ようやく周囲を見渡すことができた。


倉庫の中には、赤いベスト、防犯チラシ、のぼりが山積みになっていた。そして壁には、大きな地図が貼られていた。


地図には赤ペンで「16:00 商店街角」「17:00 公園前」と書かれ、「岸本」「佐々木」といった名前がびっしりと並んでいる


「……これだ!『おかえり』の時間と場所が書かれてる!作戦のシフト表だ!」


悠斗は興奮しながらファイルに書き写した。線が商店街を網のように覆っていることに気づくと、思わず息を呑んだ。


「商店街全部をくまなく見張ってる…?これ、本当にスパイ作戦だ…!」


そして決定的だったのは、隣の部屋から聞こえてきた笑い声だった。そっと覗き込むと、そこには母親がいた。岸本さんや他の"メンバー"と、湯呑みを手に楽しそうにおしゃべりしている。


悠斗は硬直した。


「……お母さん……君も、組織の一員だったのか……!」


■ 真相の発見


「悠斗!何してるの?」


母親に見つかった悠斗は、"赤いそしきファイル"を隠すこともできず、すべてを打ち明けることになった。


「…だから、ぼくは"赤い組織"の秘密を探ってたんだ」


母親はクスクス笑い、岸本さんも目を細めた。


「あのね、悠斗、これは"赤い組織"じゃなくて、"おかえり運動"っていうのよ」と母が教えてくれた。


「『おかえり』って商店街の皆で声をかけて、子供たちの周りに怪しい人がいないか見守ってるのよ」


悠斗は目を丸くした。「…じゃあ、赤いそし…おばちゃんたちが街を守ってるの…?」


岸本さんは優しく微笑んだ。「そうよ。赤いものを身につけてるのは、商店街のみんなが同じユニフォームにして、子供たちにわかりやすくするためよ」


悠斗を見つめながら優しい口調で続ける。


「私たちはこの町で"子どもたちを見守るチーム"になる、って決めたの。赤い服は、その証なんだよ」


だから「おかえり」って言葉には、いろんな意味が込められてるの。

「今日も無事だったね」

「いつも見守ってるからね」

「ここはあんたの場所なんだよ」

——全部、ひとことに詰め込んでるの。


悠斗は頭をかきながら、店先から外を見渡した。夕暮れに染まる商店街が、今までとはまったく違って見えた。道を歩く人々、自転車に乗る学生、話し込むお年寄り——すべてがひとつの大きな輪の中にいるように感じられた。


■ただいまの意味


翌日、悠斗は一人で商店街に行ってみることにした。昨日の話をじっくり考えたかったのだ。


ふと見ると、岸本さんが店先で野菜を並べている。悠斗は少し恥ずかしそうに近づいた。


「あら」岸本さんは気づくと作業の手を止めた。


岸本さんはにっこり笑うと、しゃがみこんで悠斗の目線の高さになった。


「おかえりなさい、探偵さん」


悠斗は驚いた。「探偵...さん?」


「あんたの赤いノート、昨日見せてくれたでしょ」岸本さんはウインクした。「あんなに細かく観察してたなんて、立派な探偵じゃない」


悠斗の頬が赤くなった。でも、嬉しさもこみ上げてきた。


「今度何か事件があったら、また教えてね」岸本さんは野菜の袋を悠斗に手渡した。「これ、探偵さんへの特別サービスよ」


悠斗は照れながらも嬉しそうに袋を受け取った。おかえりという言葉の温かさを、初めて心の底から感じた瞬間だった。


 ■時を超えた事件の真相


【現在 - 帰省中】


実家の床に座り込んだまま、悠斗は懐かしいノートを読み進め、最後のページにたどり着いた。そこには昔の自分がだんだん整った文字でこう書いていた。

_______________


【事件かいけつ】

「赤いそしき」は、じつは みんなをまもる 人たちだった


「おかえり」は、あんごうではなく やさしい ことばだった


でも…白いふくの パンやさんだけは、いまだに ちょっとあやしい。ちょうさつづける

_______________


悠斗は懐かしさに笑みがこぼれたが、その下に記憶にない書き込みを発見した。


「オマエの話、ちょっとだけ信じたオレを返せ。——カズマ」


走り書きだった。でも、確かにあの字だった。

悠斗は苦笑いしながら、ペンを手に取り書き加えた。


「また事件が起きたら、呼ぶから。今度は赤い服、禁止な」


ページを閉じると、ふっと胸が軽くなった気がした。


 ■商店街の再会


帰省二日目の夕方、悠斗はひとりで通学路を歩いてみた。

赤いノートを見つけたあの日から、なんとなく気になっていた場所がある。


角を曲がると、昔と変わらない佇まいの八百屋が見えてきた。

周りの風景は変わっても、ここだけは時が止まったようだった。


赤いエプロン。しゃがんだ背中。

野菜の土の匂いと木箱の湿った感触が、眠っていた記憶を呼び覚ます。

夕日に照らされるその姿を見た瞬間、心臓が勝手に音を立てた。


(…あのままだ)


悠斗はそっと足を止め、通り過ぎようとした。

(今さら何を話す?大人になった今、子供の頃の妄想なんて……)


でもその時——


「おかえり」


声がした。

あの頃と同じ、やわらかくて、ちょっとだけ笑ってる声。


なんていうべきなのか一瞬悩んだが、自然と声が出た。 「……ただいま。お久しぶりです」


岸本さんがにっこり笑っていた。

目のしわは増えたけど、あの頃のままの表情だった。

野菜を並べていた手を止め、悠斗の方へ向き直る。


「まあ、探偵さん。おっきくなったわね」


岸本さんは手を額に当て、悠斗の背の高さを測るようにした。


名前じゃなくて"探偵さん"と呼ばれたことに、胸の奥がズキンとした。

『あの頃のこと、全部覚えてたのか、この人。』


「……まだ赤いの、着てるんですね」


そう言うと、岸本さんはエプロンの端を見つめ、クスッと笑った。


「そりゃあね」一瞬の間。「あんたが見抜いた"組織の制服"なんだから」


懐かしさと、少しの照れくささがこみあげる。

なんでもなさそうな会話なのに、どこか泣きそうだった。


「……何か買っていく? 特別に"探偵割引"しとくわよ」


からかうような口調に、悠斗は思わず笑ってしまった。

そして、店先のかごを手に取る。


買うものなんて決めてなかったけど、それでもかまわなかった。


■新たな赤いノート


実家での休暇を終え、新居に戻ると、隣の部屋から小学生くらいの子どもの声が聞こえる。


「おかえり〜!」


それに母親の声が返る。「ただいま〜」


窓から差し込む光の中で、悠斗は静かに笑う。


「俺の"推理好き"って、あのときのおかえりって言葉から始まったのかもな…」


そして翌日、彼は文房具店へ向かい、懐かしさと決意を込めて新たな赤いノートを選んだ。「あの頃の情熱を忘れないために」と表紙に「NEWHOMEズの事件簿」と書いた。ノートの表紙を見て、ふっと笑う。


あのときと同じ赤いノートに、今日もまた、新たな謎を一つ書き留める。

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