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第4話 白いボトル事件



シャーロック・NEWHOMEズ 白いボトル事件


佐藤悠斗、25歳。新居のバスルームは、彼の美意識が結晶化した空間になりつつあった。


これまでの雑多な生活感から脱却し、「スマートに立ち回る」男の生活空間を確立するため、細部にまでこだわったのだ。 


中でも彼が特に気に入っていたのが、バスルームのボトル類だ。 


「ふふ…いいじゃないか」


悠斗は棚に並んだ三つの白い詰め替え用ボトルを撫でた。


一切の無駄を削ぎ落としたミニマルなデザイン。


これぞ求めていた統一感だ。


スーパーで選んだ詰め替えパックも、その雰囲気に合わせて少しばかり贅沢なものにした。


一つは、優雅な響きの

『アロマフローラル』

二つ目は、何やら体に良さそうな

『ボタニカルハーブ』

そして三つ目は、ミステリアスな魅力を持つ

『ホワイトムスクサボン』


どれもこれも、その名前を聞くだけで、バスルームいっぱいに心地よい香りが広がるような気がする。


これらの素晴らしい名前を持つ液体が、あの美しい白いボトルに収まるのだ。


想像するだけで、バスタイムが格別な時間になる気がした。


ルンルンとした気分で、彼はそれぞれのパックを開封し、白いボトルに丁寧に注ぎ入れていった。


ボトルA、ボトルB、ボトルC。


只々、白いボトルが液体で満たされ、三つ並んだ時の美しい光景に心を奪われる。


「完成だ…!」


詰め替えが終わり、三つの白いボトルが棚に並んだ。光を受けてほんのり透ける乳白色が美しい。


これまでのカラフルなボトルたちが並んでいた頃とは大違いだ。まさに生まれ変わったような空間に、悠斗は頬を緩めた。


どのボトルにどれを入れたか…その時は、全く気にも留めなかった。


その日の夜。一日の探偵業(と見せかけた平凡な仕事)で疲れた悠斗は、バスルームの扉を開けた。


癒しのバスタイムの始まりだ。


軽く予洗いをして、さあシャンプーを…と、白いボトルに手を伸ばそうとしたその時だ。 


彼の視線は、棚に並んだ三つの白いボトルを捉えたまま、固まった。


「…え?」


どれがシャンプーだ? ぼんやりした頭では、詰め替え作業の記憶がまるで思い出せない。


ボトルは皆同じ顔をしている。


まるで、アリバイを揃えた三人の容疑者のようだ。


どのボトルに何が入ってるのか、頭から消えている。


だが、通常、バスルームのボトルはシャンプー、リンス、ボディソープの順で並んでいるはず。


きっとそうに違いない!


「よし、じゃあ向かって右端がシャンプー、真ん中がリンス、左端がボディソープ。これで間違いない!」


彼は向かって右端の白いボトルに手を伸ばした。


しかし、そこでふと立ち止まる。


「いや待て…ホームズなら、先入観は捨てるはずだ。」


彼の脳内で、探偵モードが発動する。


もしかしたら、センターのボトルこそが「リーダー」であるシャンプーの可能性は?そして左右をリンスとボディソープが固める布陣…


いや、リンスはシャンプーの後輩ポジだが、ボディソープは孤高の存在だ。なら、センターにボディソープ、両サイドをシャンプーとリンスで固めたほうがシンメトリーだろ…?


思考は堂々巡りだ。外見上の特徴はゼロ。見た目だけでは、この「白いボトル偽装事件」の真実にはたどり着けない。


残る手がかりは、ただ一つ。中身の「香り」だ!


悠斗は意を決し、右端のボトルを手に取った。蓋を開け、鼻を近づける。これが『アロマフローラル』のはずだ。


「む、これは…」

「漂ってきたのは、期待した優雅な花の香り…ではなく、ぼんやりとした石鹸のような、『言われてみればフローラル…?』という曖昧な香りだった。」

「アロマフローラル?これが?一体どこがアロマで、どのフローラルなんだよバラとかラベンダーとかわかりやすしろよ!気取りやがって!」

悠斗の内心で、オシャレな名前にムカついてきていた。


次に『ボタニカルハーブ』と思われる真ん中のボトルだ。

蓋を開け、鼻を近づける。

「うーん…」

わからない。またしても曖昧だ。ほんのり甘いような、植物のような、もしこれが『アロマフローラル』と言われても信じるだろう。

どれも「言われてみれば」程度で、断定できない。

「ハーブって何のハーブだよ!ミントか?ローズマリーか?そもそもハーブなんだから全部ボタニカルだろ!」

悠斗の怒りは頂点に達しつつある。


最後に左端のボトル。『ホワイトムスクサボン』

「…なんかの呪文か?これに関してはそもそも単語の意味が分からない。なんだムスクって、なんだサボンって。」


「かっこつけるのもいいかんげんにしろー!」

悠斗はバスルームに響く声で叫んだ。


三つのボトル、三つの香り。それぞれに与えられた華やかな名前とは裏腹に、実際に漂ってくる香りは、どれもこれも信じられないほど曖昧で、「言われてみれば、そうかもしれない」程度の、頼りない「証拠」にしかならなかった。


アロマフローラル、ボタニカルハーブ…ホワイトムスクサボン、彼らはバスルームの密室で、その正体を巧みに隠蔽しているのだ。


「なんてことだ…!見た目もダメ、記憶も曖昧、そして香りもこのザマか…!白いボトルめ…!私のスマートな生活を邪魔する気か…!」

悠斗は三つの白いボトルを睨みつけた。



彼の視線が、バスルームの外、脱衣所のゴミ箱に向けられた。そうだ…詰め替えパックのゴミだ!

悠斗は素早くゴミ箱に駆け寄り、捨てたはずの詰め替えパックを漁り出した。パックには、それぞれの商品の名前がしっかりと印字されている!

「これだ…!決定的な証拠は、ゴミ箱にあったんだ!」どうにか判別に成功したが、このままではまた悲劇が起こる。


悠斗は意を決した。


シャワーを浴び終え、悠斗は脱衣所で油性ペンを握りしめた。このままじゃ、またやられる…!


バスルームに戻り、乳白色のボトルを手に取る。ミニマルな曲線が、まるで嘲笑っていた。


「もう騙されないぞ!」


彼はペンを走らせた。勢いよく、こう書いた。


『花』

『草』

そして、最後に…『ナゾ』!


元の洒落た名前とは似ても似つかない、あまりにもシンプルで、そしてどこか腹いせ気味な文字だ。


しかし、これで彼のバスルームから「偽装犯たち」は根絶される。次からは、迷うことなどないだろう。


油性ペンで書かれた無骨な文字と、ボトル本来のミニマルなデザインのギャップは凄まじかったが、悠斗の心には妙な安堵感が広がった。


「ふっ…これで解決だ…どうだ、参ったか!かっこつけやがて!」

彼はボトルを棚に戻し、その背を向けた。


彼のバスルームには、名ばかりの「アロマフローラル」でも「ボタニカルハーブ」でも「ホワイトムスクサボン」でもない、「花」「草」「ナゾ」と書かれた、正直な白いボトルたちが並ぶことになった。


後日、怒りに身を任せて命名した悠斗だったが、

今度は『花』と『草』、どちらがシャンプーかで悩む羽目になるのであった。


彼の「スマートに立ち回る」ための道のりは、時に回り道をすることもあるようだが、それでも彼は一歩ずつ進んでいる…はず。

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