麻乃は穂高と共に海岸を見渡した。もうすぐ潮が引きはじめるはずで、いつもならその前に敵兵を撤退させるけれど、今日はなかなか引き下がらない。
射かけられた弓の数を思えば、まだかなりの兵が控えているはずだ。
対してこちらは半数ほどしか残っていないだろう……。
その隊員たちも疲弊していて、ほとんどが矢を避けきれずに腕や足に怪我を負っている。穂高たちの部隊が加わったとはいえ、こちらの分が悪いのは明らかだ。
今は、まだ炎が邪魔をしているからか、敵艦から援軍が出てくる様子は見られないけれど、潮が引いて足場が広がれば必ず出てくるに違いない。先の対処が難しいと感じても、黙って侵入を許すことなどあり得ない。
(堤防の向こうへは……一歩たりとも行かせるわけにはいかないんだ……)
敵艦の動きを一瞬でも見逃すまいと睨み据えていると、背後でざわめきが起こり、誰かが穂高を呼んだ。その慌てぶりに嫌な予感がして、穂高と共に堤防まで駆け戻った。
呆然と立ち尽くしている第八部隊の隊員たちをかき分けて前に出ると、麻乃の隊員たちが胸を掻きむしって痙攣している。何人かは青白い顔で泡を吹き、倒れたまま動かない。
「なに? 一体、なにがあったの!」
気を失っている隊員の頬を叩き、その手を握って麻乃は大声で名前を呼び掛けた。
「これは……なにがあったんだ?」
「わかりません。急に苦しみだして……」
「まさか……毒矢か! 誰か、修治さんの部隊へ連絡を! それから、彼らは医療所に連れて……」
穂高が言い終わる前に、苦しんでいた隊員たちも次々とこと切れていった。麻乃が握りしめていた隊員の手も、まったく力を感じない。残っているのは重力に引かれる重みだけだ。
あっという間の出来事に、穂高は声を震わせた。
「なんてことだ……少量でも致死量の毒なのか? それに即効性もあるのかもしれない」
「そんな……」
「あれだけの火だ。敵兵は放っておいてもすぐに燃えつきて動かなくなる。今は矢の届かない堤防を固めよう」
もう、なにもしてやれないとわかっていても、放っておけずに温もりが残る手を握りしめていた。
「まだ退いていないやつがいたら、退かせるように。うかつに踏み込んで矢傷を負わせるな」
「わかりました」
穂高の指示に動ける隊員たちは砂浜へと駆け出していく。見開いたままで動かなくなった隊員たちの目を、麻乃はそっと閉じてやった。抑えきれない憤りに体が震え、叫びだしそうになる。
(でも……こんなことをしている場合じゃない……しっかりしなきゃ!)
自分を奮い立たせるように言い聞かせ、立ち上がった視線の先で、川上が敵兵を相手にしていた。その背中が小さく丸まり、落ちた刀が砂浜に突き立った。
(斬られた!? まずい!)
すぐさま駆け寄り、刀を抜きざまに逆袈裟で敵兵を斬り倒し、また動きださないように足も斬り落とした。
斬られた様子もなく、大きな怪我も見当たらない川上の姿に、ホッとため息が漏れる。汗を拭って大きく息を弾ませている川上の腕を掴んで引き寄せた。
「射かけられているのは毒矢らしい。ここにいちゃあ危ない。いったん、堤防までさがるよ!」
「毒矢って……隊長、俺……俺……」
川上の表情がサッと曇り、右手を見つめた。その視線に釣られて麻乃も川上の右手を見た。手首の少し上から血が流れている。
「――当たったのか!」
麻乃の問いに、川上が小さくうなずく。ぐらりと目の前が揺れた。
(即効性もあるのかもしれない)
穂高の言葉が頭をよぎる。
即効性があるのなら、迷っている暇などない。
(だけど、でも――!)
体中から冷や汗が噴出しているように感じる。
掴んだ腕が震えているのは、麻乃が震えているからなのか、川上が震えているからなのかさえもわからないほど、感覚が麻痺している。
つと視線を上げると、川上の目が真っ直ぐに麻乃を見つめていた。
その表情は、覚悟を決めたかのように見える。
ギュッと目を閉じた川上は、そのままスッと右腕を水平に上げた。それがなにを意味するのか、言われなくてもわかる。
「許せ、川上――」
麻乃はそう呟くと、刀を抜き放って肩口近くから一気に腕を斬り落とし、刀を投げ捨ててシャツの袖を引き裂いて傷口を固く縛り上げた。
目の前にいる川上の叫び声が、麻乃の耳には遠くで響いているようにしか聞こえない。
声を聞きつけた穂高の隊員たちが駆け寄ってきて川上を背負うと、落ちた腕を拾って堤防へと駆けて行った。穂高が素早く指示を出し、そのまま医療所へ運ばれていくのを、麻乃は黙ったまま見送った。
心臓を鷲掴みにされたように胸が痛み、気が狂いそうなくらいの怒りが湧きあがる。目の前が暗転して倒れそうになるのを必死に堪えた。
(こんなときに……落ち着け、気を失っちゃだめだ!)
高ぶる気持ちを抑えようとして自然と呼吸が荒く、浅くなる。
全身の毛が逆立つような感覚、ざわついて全身を駆けめぐる血の勢い、頭の芯が痺れるように痛んだ。