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第9話

一時間目の授業中、窓の外の光景は変わらず奇妙だった。虹色のもやは薄まるどころか、より鮮やかに輝いているように見える。


鴻上こうがみ直人なおとが、晴翔の横の席から小声で話しかけてきた。


「なあ、朝霧、あの空...普通じゃないと思わないか?」


「ああ...気象現象としては説明がつかないよね」


直人は眼鏡を上げながら、静かに言った。


「ネットでは様々な憶測が飛び交ってる。北極圏でのオーロラ活動が活発化したとか、成層圏での光の屈折現象だとか...でも、科学的に説明できる現象じゃない」


「そうなのか」


「ああ。それと...」


直人はさらに声を落とした。


「これ、妙典みょうでん周辺だけの現象らしい」


「え?」


「隣町では見えないんだ。SNSの投稿を見ると、この現象が見えるのは半径5キロほどの範囲だけみたいだ」


晴翔は息を飲んだ。限定的な現象だということは、ますます天音との関連性が疑われる。


「何が起きてるんだろうな...」


「分からない。でも、これが自然現象でないとすると...」


直人の言葉は途中で切れた。教室の後ろのドアが開き、望月もちづきれんが入ってきたのだ。授業開始から15分も遅刻していた。


「遅刻です、望月くん」


担任の佐藤さとう先生が眉をひそめる。


「すみません...」


蓮はぼんやりした表情で謝った。彼の銀髪が朝の光に照らされて輝いている。教室に入ると、彼は真っ直ぐに晴翔の方を見た。まるで何かを知っているような、不思議な視線だった。


「席について下さい」


蓮は自分の席に着くと、窓の外を見つめたまま動かなくなった。


授業が再開されたが、晴翔の心は落ち着かなかった。蓮の視線が気になる。それに、限定的な空の現象。そして、姉の不思議な能力。全てが繋がっているような気がしてならない。


クラスメイトたちは授業そっちのけで、窓の外の光景に見入っていた。先生も集中力を欠いている様子で、授業は上の空という感じだった。


チャイムが鳴り、一時間目が終わった。晴翔はすぐに廊下に出て、姉のクラスへ向かった。


2年3組の前に着くと、クラスの生徒たちが騒いでいるのが見えた。晴翔は不安になり、教室に入った。


「すみません、朝霧あさぎり天音いますか?」


教室内の数人が振り返った。


「あ、朝霧さんなら保健室に行ったよ」


「保健室?」


「うん、具合悪そうだったから」


晴翔は礼を言い、すぐに保健室へと駆け出した。途中、廊下の窓からは相変わらず虹色に輝く空が見えた。


保健室のドアを開けると、姉が横になっていた。学校の保健の先生である高橋たかはし先生が、天音の額に冷たいタオルを載せていた。


「失礼します。姉を見に来ました」


「ああ、朝霧くん。お姉さんはちょっと熱があるみたいです」


天音は目を開け、晴翔を見た。その目には言葉にならない恐怖が浮かんでいた。


「晴翔...」


「お姉ちゃん、大丈夫?」


高橋先生が立ち上がった。


「少し休ませた方がいいですね。朝霧さん、頭痛もあるようですし」


「はい...」


「あの空のせいかもしれませんね。気圧の変化とか、光の刺激とか...敏感な人は影響を受けやすいですから」


先生はそう言って、保健室の奥へ行った。二人だけになると、天音は小さな声で話し始めた。


「晴翔...やっぱり私のせいだ」


「どうして?」


「あの空...私が『綺麗な空』って思ったから...」


「それだけで起きるわけないよ」


天音は弱々しく首を横に振った。


「でも、変なことが続くの。朝起きたら、ベッドの上に浮いてたし...」


「浮いてた!?」


「うん...それに、思った通りにものが動いたり...」


天音は恐怖に震えていた。


「誰にも言わないで...お願い」


「分かってるって。だけど、どうして急にこんな能力が...」


その時、保健室のドアが開いた。美羽が心配そうな顔で入ってきた。


「先輩! 大丈夫ですか?」


「あ、美羽ちゃん...」


「具合悪いって聞いて、心配になって...」


美羽は天音のベッドの横に立った。


「先輩、熱あるんですか?」


「ちょっとね...」


美羽は窓の外を見た。相変わらず虹色のもやが空を覆っている。


「ねえ、あの空のこと、何か感じません?」


天音と晴翔は顔を見合わせた。


「ど、どういうこと?」


美羽は少し戸惑いながらも続けた。


「なんか...あの空、先輩に似てるなって思って...」


「私に...似てる?」


「うん、なんか...温かくて優しい感じがするんです。先輩と同じ」


天音は言葉を失った。晴翔も驚いて固まる。


「変なこと言っちゃいました?」


「ううん、そんなことないよ」


天音は微笑みを浮かべようとしたが、その瞬間、窓ガラスが微かに振動した。外から風が吹き込んできたかのように、カーテンがふわりと舞う。


「わっ、びっくりした」


美羽が窓を見る。


「風、強くなってきたのかな?」


「たぶん...」


晴翔は天音を見た。姉の手が震えている。明らかに動揺していた。


「お姉ちゃん、少し休んだ方がいいかも。俺が家まで送るよ」


「そうだね...」


天音はゆっくりと起き上がった。美羽も手伝おうとする。


「私も一緒に行きますよ!」


「ありがとう、でも大丈夫だよ。晴翔がいるし」


「そうですか...でも、無理しないでくださいね」


三人が保健室を出ようとした時、廊下で走る足音が聞こえた。教師たちが慌ただしく動き回っている。


「何かあったのかな?」


美羽が首を傾げる。そこへ担任の佐藤先生がやってきた。


「あ、朝霧さんたち。大変なんですよ。校庭に、なんというか...なぞ円形えんけいの模様が現れたんです」


「円形の模様?」


「そう、ミステリーサークルみたいなものが...」


三人は顔を見合わせた。


「見に行ってみますか?」


美羽が提案した。天音は迷ったが、晴翔が小さく頷いたのを見て、同意した。


「じゃあ、ちょっとだけ...」


三人は校庭へと向かった。そこには既に多くの生徒が集まり、奇妙な光景を見つめていた。


校庭の真ん中に、完璧な円が描かれていた。


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