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第19話

幸いなことに、学校側は晴翔の申し出を許可してくれた。この異常事態の中、生徒の不安を和らげることが優先されたのだろう。


午後の授業中、晴翔は天音の隣の空き席に座り、静かに見守っていた。姉は普段通りに授業を受け、ノートを取り、時折友人と小声で話し合う。パッと見れば、いつもの天音と変わりない。


だが、注意深く観察すると、彼女の周りの空気が少し歪んでいるように見える。まるで熱で揺らめく空気のように。他の生徒たちは気づいていないようだが、晴翔には見えた。


(叶絵の言ってたこと、本当なんだな...)


晴翔のポケットには、叶絵から渡された抑制装置よくせいそうちが入っている。万が一の事態に備えて、常に持ち歩くつもりだ。


授業が終わると、天音と晴翔は一緒に下校した。校門を出たところで、美羽が走ってきた。


「二人とも、待ってー!」


「美羽ちゃん」


「一緒に帰りましょう!」


三人で歩き始めると、美羽が興味深そうに尋ねた。


「朝霧くん、どうして天音先輩のクラスにいたんですか?」


「ああ、ちょっと姉の様子が心配でね。特別に許可をもらったんだ」


「そうなんだ...確かに、先輩昨日具合悪そうでしたもんね」


美羽は天音の顔をじっと見た。


「でも今日は元気そうですね! 良かった!」


「ありがとう」


天音は微笑んだ。その笑顔は純粋で優しく、まるで神々しささえ感じられる。


「あ...」


美羽が突然足を止めた。


「どうしたの?」


「今、先輩の周り...なんか、光ってる...?」


晴翔と天音は顔を見合わせた。美羽にも見えるようになったのか。


「え? 何のこと?」


天音が平静を装う。


「いや...気のせいかな」


美羽は首を傾げた。


「なんか一瞬、先輩の周りがキラキラしてるように見えたんですけど...疲れてるのかな」


「そうかもね。みんな疲れてるよ、この状況で」


晴翔が会話を流そうとする。


「そうかも! じゃあ、今日はちゃんと休みます!」


美羽は元気に言った。


「あ、私はここで曲がります。また明日ね!」


美羽が別れ道へと向かう。姉弟は気が抜けたように立ち尽くした。


「見えちゃったんだね...美羽ちゃんにも」


天音が小さな声で言った。


「うん...でも、気のせいだと思ってくれたから良かった」


「このままじゃ...どんどん周りに気づかれちゃう」


晴翔は姉の手を握った。


「大丈夫だよ。俺がついてるから」


「うん...」


二人は黙って歩き始めた。夕暮れの空が、虹色のもやと重なり合い、幻想的な景色を作り出している。


「綺麗...」


天音が空を見上げた。


「そうだね」


「私のせいで、空がこうなっちゃったんだよね...」


「でも、美羽も言ってたじゃない。『綺麗』だって」


「そうだけど...」


「何でも悪いことばかりじゃないよ。お姉ちゃんの力が、美しいものを生み出すこともあるんだ」


天音は少し表情を明るくした。


「そう、かな...」


「うん、きっとそうだよ」


二人が歩いていると、突然、暗い路地から黒い影が現れた。


「!」


晴翔は反射的に天音の前に立った。


影からゆっくりと現れたのは、黒いスーツを着た男だった。細身で小柄、無表情な顔立ちが印象的だ。


朝霧あさぎり天音あまね、見つけた」


冷たい声が、夕暮れの空気を切り裂いた。


「君は...誰だ?」


晴翔が問いかける。


男は答えず、右手を上げた。その手には小さな刃物はものが握られている。


「排除対象、確認」


機械的な口調で男が言った瞬間、晴翔の中の何かが切り替わった。これは危険だと直感的に理解した。


「逃げるぞ、お姉ちゃん!」


晴翔は天音の手を引いて走り出した。男も即座に追いかけてくる。


「だめだ...速い!」


男の足音が迫ってくる。このままでは追いつかれる。


「晴翔...」


走りながら、天音の声が震えていた。


「私、どうすれば...」


「力を使うな!」


晴翔は必死に叫んだ。


「でも...」


「大丈夫だ、俺がなんとかする!」


しかし、その言葉とは裏腹に、男との距離は縮まっていた。あと数秒で追いつかれる。


「晴翔!」


天音の叫び声と同時に、晴翔は振り返った。男が飛びかかってくる。避ける時間はない。


「くっ...!」


晴翔は目を閉じた。しかし、予想された衝撃は来なかった。


「え...?」


目を開けると、男が宙に浮いていた。いや、正確には空中で動きを止められていた。


「なんだ...?」


晴翔が驚いていると、別の声が聞こえた。


「危ないところだったな」


振り返ると、そこには望月もちづきれんが立っていた。彼は右手を男に向けている。


「望月...?」


「早く逃げろ。僕は長くは止められない」


蓮の額から汗が流れている。何か強い力を使っているようだ。


「でも...」


「行け!」


蓮の叫びに、晴翔は決断した。


「お姉ちゃん、行こう!」


二人は全力で走り出した。後ろから蓮の苦しそうな呼吸音が聞こえる。遠くなるにつれ、男の怒声も聞こえ始めた。蓮の力が弱まったのか。


「ここだ!」


晴翔は道を曲がり、人通りの多い大通りへと出た。ここなら安全だろう。


二人は肩で息をしながら、振り返った。追ってくる気配はない。


「あれは...一体...」


天音が震える声で言った。


「多分...叶絵の言ってた『神狩り』の一人だ」


「私を...殺そうとしてた?」


「たぶん...」


晴翔は恐怖で硬直する姉の肩を抱いた。


「大丈夫だよ。もう安全だから」


「でも、あの人...望月くんは...?」


「あいつも何か特殊な力を持ってるんだ。敵じゃないって言ってたのは本当だったみたいだね」


晴翔はポケットの中の抑制装置を握りしめた。使わずに済んで良かった。でも、次は使わざるを得ない状況になるかもしれない。


「家に帰ろう、お姉ちゃん」


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