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side talk:美羽の勝負ごころ ~負けず嫌いのお守り事件~

朝霧天音あさぎりあまねが「神」として覚醒する出来事の約二週間前の物語。朝霧晴翔あさぎりはるととクラスメイトの結城美羽ゆうきみうが、本当の友情を確かめ合うきっかけとなった日の記録である。


 五月の風が市川市立妙典南高校いちかわしりつみょうてんみなみこうこうの校庭を駆け抜けていった。体育の授業中、クラス対抗のリレー競争が行われていた。最終走者として結城美羽ゆうきみうが息を切らせながらゴールテープを切る。


「やったー!」


 美羽は両手を高く上げて勝利の雄叫びをあげた。短い淡褐色たんかっしょくの髪が風になびいている。その横顔は充実感に満ちていた。


「さすが美羽!」

「速かったー!」


 クラスメイトたちが美羽の周りに集まってくる。そんな彼女の姿を、朝霧晴翔あさぎりはるとは少し離れた場所から見ていた。


「ほんと、あいつ負けず嫌いだよな」


 晴翔の隣にいた鴻上直人こうがみなおとがため息混じりに言った。背が高く、知的な印象の少年だ。


「でも、それがいいんじゃない?」晴翔は微笑みながら答えた。「あの元気があるから、クラスも明るくなる」


「まあね」直人は肩をすくめた。「ただ、あまりにも勝負にこだわりすぎるのも問題だと思うけどね」


 その言葉を聞いた晴翔は、少し考え込むような表情をした。


◆◆◆


 放課後、晴翔は図書室で宿題をしていた。静かな空間で集中できるのが気に入っていたのだ。その時、図書室のドアが勢いよく開き、美羽が慌てた様子で駆け込んできた。


「はると!」


 美羽の声に、司書の先生が眉をひそめて「静粛せいしゅくに」と注意した。美羽は口に人差し指を当てて「ごめんなさーい」と小声で謝ると、そそくさと晴翔の席に近づいてきた。


「どうしたの?」晴翔は小声で尋ねた。


「ねえ、明日の体育祭たいいくさい、応援してくれる?」美羽は切実な表情で訊いてきた。


「応援? 僕のクラスと対決するのに?」


「いやいや、そうじゃなくて」美羽は身を乗り出して説明した。「個人競技の障害物走しょうがいぶつそう! わたし、絶対優勝したいんだ」


 晴翔は首を傾げた。


「なんでそんなに必死なの?」


 美羽は周りを見回すと、さらに声を落として言った。


「実はね、千早理子ちはやりこと勝負することになっちゃって」


「委員長の千早と?」


「そう」美羽は頷いた。「あの堅物が『運動は規律が大事』なんて説教してきてさ。それで、つい『勝負だ!』って言っちゃったんだよね」


 晴翔は思わず笑いそうになるのをこらえた。


「それで?」


「それで...」美羽は少しうつむいた。「実は昨日、体育倉庫で練習してたら、足首あしくびを少し捻挫ねんざしちゃって...」


 晴翔の表情が心配そうに変わった。


「大丈夫なの? 病院は?」


「病院は行ったよ! 軽いって。でもね...」美羽は真剣な眼差しで晴翔を見つめた。「はるとの力が欲しいんだ」


「僕の...力?」


 美羽はバッグから小さな布袋を取り出した。それは古びた御守おまもりのようだった。


「これ、わたしの大事なお守り」美羽は大事そうに布袋を開いた。「小学生の時から持ってるんだけど...中身がなくなっちゃったの」


 布袋の中は確かに空っぽだった。晴翔は首を傾げた。


「それで?」


「はると、あのね」美羽は真剣な表情で言った。「この中に、はるとの『勝利の象徴』を入れたいの」


「勝利の...象徴?」


「うん! はるとって、いつも冷静で、でも必要な時にはすごく強いじゃん」美羽は熱心に言った。「その力をわたしにも分けて欲しいんだ」


 晴翔は困惑した表情を浮かべた。


「僕は別に強くないよ...」


「いいから!」美羽は食い下がった。「何でもいいから、はるとらしいもの、貸して!」


◆◆◆


 結局、晴翔は自分の持っていた万年筆まんねんひつのキャップを渡すことになった。それは祖父から受け継いだ大切なものだったが、明日の競技が終わったら返してもらう約束で。


「これでいい?」


「うん! すっごくいい!」美羽は目を輝かせた。「これで絶対勝てる!」


 晴翔は苦笑いした。


「でも、なんでそんなに勝ちにこだわるの?」


 その質問に、美羽の表情が急に曇った。彼女は少し間を置いてから、小さな声で言った。


「...転校前の学校でね、わたし、いつも負け組だったんだ」


「え?」


「うん...」美羽は窓の外を見つめながら続けた。「いじめられてたわけじゃないんだけど、なんていうか...『存在感がない子』って感じで」


 晴翔は黙って聞いていた。今まで見たことのない美羽の一面だった。


「だからね、この学校に来てからは誓ったの。『負けない自分』になろうって」


 美羽の瞳に決意の光が宿った。


「でも...」晴翔は静かに言った。「勝ち負けだけが全てじゃないよね?」


「わかってるよ」美羽は少し照れたように髪をかき上げた。「でもね、わたしにとっては大事なんだ。自分を証明する方法がそれしかなかったから...」


 晴翔は何かを理解したように頷いた。


「わかった。応援するよ」


「ほんと?」美羽の顔が明るくなった。


「ただし、一つ条件がある」


「なになに?」


 晴翔は真剣な表情で言った。


「競技が終わったら、勝っても負けても、また図書室に来て」


「へ?」


「美羽の本当の強さは、勝ち負けじゃなくて、その負けん気まけんきにあると思うんだ」晴翔は静かに言った。「それを教えてあげたいから」


 美羽は一瞬呆気あっけにとられたような表情をしたが、すぐに笑顔になった。


「なんだよ、急に説教くさいこと言って!」


「約束だよ」晴翔は笑いながら言った。


「わかったよー!」美羽はお守りを大事そうにバッグにしまった。「じゃあ、明日ね!」


 美羽は図書室を出ていった。その背中を見送りながら、晴翔は微笑んだ。彼女の本当の強さに気づいてほしいと思った。勝負だけにこだわる美羽が、いつか本当の自分の価値に気づく日が来ることを願って。


◆◆◆


 翌日の体育祭。障害物走しょうがいぶつそうの競技が始まった。


 晴翔は応援席から美羽の姿を探した。スタートラインに並ぶ彼女を見つけると、思わず笑みがこぼれた。美羽は右手首に例の御守おまもりを巻きつけ、自信に満ちた表情で前を見据えていた。


 その隣には千早理子ちはやりこ。きちんとした姿勢で、冷静に構えている。二人の対照的な様子が面白かった。


「頑張れ、美羽...」


 晴翔は小声で呟いた。スターターの合図が鳴り、選手たちが一斉に飛び出した。


 美羽は序盤から飛ばし、先頭集団に立った。彼女の走りには不思議な力強さがあった。捻挫ねんざの影響はまったく見られない。


 障害物を次々とクリアしていく美羽。途中、平均台へいきんだいでバランスを崩しかけたが、なんとか踏みとどまった。その時、彼女は一瞬、お守りに触れたように見えた。


 最後の障害物、綱登りつなのぼり。美羽と千早がほぼ同時に登り始めた。二人とも必死だ。千早のフォームは完璧だが、美羽の負けん気まけんきが彼女を押し上げる。


 綱の頂上、美羽が先にすずを鳴らした。そして勢いよく降りてきてゴールテープを切った。


「やったー!」


 観客席から大きな拍手が沸き起こった。美羽は両手を高く上げて喜びを表現した。その表情には純粋な喜びが溢れていた。


 千早も少し遅れてゴールすると、冷静に美羽に近づいて手を差し出した。


「負けました。おめでとう」


 千早らしい潔さだった。美羽はその手を握り返した。


「ありがとう! 千早も本当に強かったよ!」


 晴翔はその光景を見て、安心したように微笑んだ。


◆◆◆


 放課後、約束通り美羽は図書室に現れた。


「はると! 見てた? わたし、勝ったよ!」


 美羽は誇らしげに言った。司書の先生に再び「静粛せいしゅくに」と注意されると、彼女は「あ、ごめんなさーい」と謝ってから、晴翔の隣に座った。


「見てたよ」晴翔は微笑んだ。「おめでとう」


「全部これのおかげ!」美羽はお守りを取り出した。「はるとの勝利の象徴、最高だったよ!」


 晴翔は苦笑いした。


「それで? どんな気持ち?」


「最高に気分いい!」美羽は興奮気味に言った。「でもね...」


 彼女は少し落ち着いた表情になった。


「でも?」


「千早が『おめでとう』って言ってくれたとき、なんか変な感じがしたんだ」


「変な感じ?」


 美羽は言葉を探すように少し考えてから言った。


「うん...勝ったことよりも、千早と正々堂々と戦えたことの方が、なんか嬉しかったっていうか...」


 晴翔は嬉しそうに頷いた。


「それが本当の勝負ごころじゃないかな」


「え?」


「勝ち負けよりも、全力を出し切ることの方が大切なんだよ」晴翔は静かに言った。「美羽は今日、勝っただけじゃなくて、自分の強さを見せたんだ」


 美羽は少し驚いたような表情をした。


「はると...なんかかっこいいこと言うね」


「だって本当のことだから」晴翔は笑った。「ところで、万年筆のキャップ、返してもらっていい?」


「あ! そうだった!」


 美羽はお守りを開け、中からキャップを取り出そうとした。しかし、彼女の表情が突然変わった。


「あれ? 入ってない...」


「え?」晴翔は驚いた。


「キャップが...ない」美羽は焦った様子でお守りをひっくり返した。「どうしよう、どこかで落としちゃったかも!」


 晴翔は一瞬固まったが、すぐに冷静さを取り戻した。


「平均台でバランスを崩した時かな...」


「ごめん、はると!」美羽は申し訳なさそうに言った。「大切なものだったのに...」


 晴翔は深呼吸をして言った。


「一緒に探しに行こう」


「え?」


「校庭に行って、探せばきっと見つかるよ」晴翔は立ち上がった。「大切なものだから、諦めたくないんだ」


 美羽は感動したような表情で晴翔を見つめた。


「はると...」


「行こう」


 二人は図書室を出て、校庭へと向かった。


◆◆◆


 放課後の校庭は静けさに包まれていた。競技で使われた障害物はまだ片付けられずに残っていた。


「平均台の周りを探してみよう」晴翔は言った。


 二人は黙々と地面を調べ始めた。夕陽が校舎に影を落とし始め、オレンジ色の光が校庭を照らしていた。


「見つからないね...」美羽は心配そうに言った。「本当にごめん...」


「まだ諦めないで」晴翔は冷静に言った。「美羽が大事に持っていてくれたことは嬉しかったよ」


 美羽はその言葉に心打たれたように立ち止まった。


「はると...あのね」


「ん?」


「わたし、本当はお守りなんか信じてないんだ」


「え?」


 美羽は照れたように髪をかき上げながら言った。


「このお守り、小学校のときいじめられてた子から貰ったんだ。その子を助けようとして、わたしも仲間はずれにされたときにね」


 晴翔は驚いて美羽を見つめた。


「美羽...」


「でも、その子が『これがあるとつよくなれるよ』って言ってくれたから、ずっと大事にしてたの」美羽は続けた。「転校しちゃって、その子とは会えなくなったけど...」


 晴翔は美羽の本当の姿を見たような気がした。負けず嫌いの裏側にある優しさと勇気。


「それで、はるとの万年筆のキャップを入れたかったのは...」美羽は恥ずかしそうに言った。「はるとが、その子みたいな存在だったから」


「僕が?」


「うん。はるとも、困ってる人を見捨てない人でしょ?」美羽は微笑んだ。「お姉さんのことだって、いつも守ろうとしてるじゃん」


 晴翔は驚いた。美羽がそこまで自分のことを見ていたなんて。


「そうか...」


 その時、美羽が何かに気づいたように前かがみになった。


「あ! これじゃない?」


 平均台の下、少し離れた草むらに小さな銀色のものが光っていた。万年筆のキャップだ。


「見つかった!」晴翔は嬉しそうに言った。


 美羽はキャップを拾い上げ、慎重に埃を払った。


「よかった...本当にごめんね」


「いいよ」晴翔は笑顔で言った。「これで僕も安心した」


 美羽はキャップを晴翔に返しながら言った。


「でもね、はると」


「ん?」


「今日のレースで気づいたの」美羽は真剣な表情で言った。「わたし、もう勝つためだけに頑張るんじゃなくて、自分らしく全力を出せればいいんだって」


 晴翔はその言葉に嬉しそうに頷いた。


「それが本当の強さだよ」


「うん!」美羽は元気よく頷いた。「だからこれからは、負けず嫌いでいるけど、勝ち負けだけじゃなく、全力ぜんりょく美羽印みうじるしで勝負するよ!」


 二人は笑い合った。夕陽に照らされた校庭で、新たな絆が生まれた瞬間だった。


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