五月の風が
「やったー!」
美羽は両手を高く上げて勝利の雄叫びをあげた。短い
「さすが美羽!」
「速かったー!」
クラスメイトたちが美羽の周りに集まってくる。そんな彼女の姿を、
「ほんと、あいつ負けず嫌いだよな」
晴翔の隣にいた
「でも、それがいいんじゃない?」晴翔は微笑みながら答えた。「あの元気があるから、クラスも明るくなる」
「まあね」直人は肩をすくめた。「ただ、あまりにも勝負にこだわりすぎるのも問題だと思うけどね」
その言葉を聞いた晴翔は、少し考え込むような表情をした。
◆◆◆
放課後、晴翔は図書室で宿題をしていた。静かな空間で集中できるのが気に入っていたのだ。その時、図書室のドアが勢いよく開き、美羽が慌てた様子で駆け込んできた。
「はると!」
美羽の声に、司書の先生が眉をひそめて「
「どうしたの?」晴翔は小声で尋ねた。
「ねえ、明日の
「応援? 僕のクラスと対決するのに?」
「いやいや、そうじゃなくて」美羽は身を乗り出して説明した。「個人競技の
晴翔は首を傾げた。
「なんでそんなに必死なの?」
美羽は周りを見回すと、さらに声を落として言った。
「実はね、
「委員長の千早と?」
「そう」美羽は頷いた。「あの堅物が『運動は規律が大事』なんて説教してきてさ。それで、つい『勝負だ!』って言っちゃったんだよね」
晴翔は思わず笑いそうになるのを
「それで?」
「それで...」美羽は少し
晴翔の表情が心配そうに変わった。
「大丈夫なの? 病院は?」
「病院は行ったよ! 軽いって。でもね...」美羽は真剣な眼差しで晴翔を見つめた。「はるとの力が欲しいんだ」
「僕の...力?」
美羽はバッグから小さな布袋を取り出した。それは古びた
「これ、わたしの大事なお守り」美羽は大事そうに布袋を開いた。「小学生の時から持ってるんだけど...中身がなくなっちゃったの」
布袋の中は確かに空っぽだった。晴翔は首を傾げた。
「それで?」
「はると、あのね」美羽は真剣な表情で言った。「この中に、はるとの『勝利の象徴』を入れたいの」
「勝利の...象徴?」
「うん! はるとって、いつも冷静で、でも必要な時にはすごく強いじゃん」美羽は熱心に言った。「その力をわたしにも分けて欲しいんだ」
晴翔は困惑した表情を浮かべた。
「僕は別に強くないよ...」
「いいから!」美羽は食い下がった。「何でもいいから、はるとらしいもの、貸して!」
◆◆◆
結局、晴翔は自分の持っていた
「これでいい?」
「うん! すっごくいい!」美羽は目を輝かせた。「これで絶対勝てる!」
晴翔は苦笑いした。
「でも、なんでそんなに勝ちにこだわるの?」
その質問に、美羽の表情が急に曇った。彼女は少し間を置いてから、小さな声で言った。
「...転校前の学校でね、わたし、いつも負け組だったんだ」
「え?」
「うん...」美羽は窓の外を見つめながら続けた。「いじめられてたわけじゃないんだけど、なんていうか...『存在感がない子』って感じで」
晴翔は黙って聞いていた。今まで見たことのない美羽の一面だった。
「だからね、この学校に来てからは誓ったの。『負けない自分』になろうって」
美羽の瞳に決意の光が宿った。
「でも...」晴翔は静かに言った。「勝ち負けだけが全てじゃないよね?」
「わかってるよ」美羽は少し照れたように髪をかき上げた。「でもね、わたしにとっては大事なんだ。自分を証明する方法がそれしかなかったから...」
晴翔は何かを理解したように頷いた。
「わかった。応援するよ」
「ほんと?」美羽の顔が明るくなった。
「ただし、一つ条件がある」
「なになに?」
晴翔は真剣な表情で言った。
「競技が終わったら、勝っても負けても、また図書室に来て」
「へ?」
「美羽の本当の強さは、勝ち負けじゃなくて、その
美羽は一瞬
「なんだよ、急に説教くさいこと言って!」
「約束だよ」晴翔は笑いながら言った。
「わかったよー!」美羽はお守りを大事そうにバッグにしまった。「じゃあ、明日ね!」
美羽は図書室を出ていった。その背中を見送りながら、晴翔は微笑んだ。彼女の本当の強さに気づいてほしいと思った。勝負だけにこだわる美羽が、いつか本当の自分の価値に気づく日が来ることを願って。
◆◆◆
翌日の体育祭。
晴翔は応援席から美羽の姿を探した。スタートラインに並ぶ彼女を見つけると、思わず笑みがこぼれた。美羽は右手首に例の
その隣には
「頑張れ、美羽...」
晴翔は小声で呟いた。スターターの合図が鳴り、選手たちが一斉に飛び出した。
美羽は序盤から飛ばし、先頭集団に立った。彼女の走りには不思議な力強さがあった。
障害物を次々とクリアしていく美羽。途中、
最後の障害物、
綱の頂上、美羽が先に
「やったー!」
観客席から大きな拍手が沸き起こった。美羽は両手を高く上げて喜びを表現した。その表情には純粋な喜びが溢れていた。
千早も少し遅れてゴールすると、冷静に美羽に近づいて手を差し出した。
「負けました。おめでとう」
千早らしい潔さだった。美羽はその手を握り返した。
「ありがとう! 千早も本当に強かったよ!」
晴翔はその光景を見て、安心したように微笑んだ。
◆◆◆
放課後、約束通り美羽は図書室に現れた。
「はると! 見てた? わたし、勝ったよ!」
美羽は誇らしげに言った。司書の先生に再び「
「見てたよ」晴翔は微笑んだ。「おめでとう」
「全部これのおかげ!」美羽はお守りを取り出した。「はるとの勝利の象徴、最高だったよ!」
晴翔は苦笑いした。
「それで? どんな気持ち?」
「最高に気分いい!」美羽は興奮気味に言った。「でもね...」
彼女は少し落ち着いた表情になった。
「でも?」
「千早が『おめでとう』って言ってくれたとき、なんか変な感じがしたんだ」
「変な感じ?」
美羽は言葉を探すように少し考えてから言った。
「うん...勝ったことよりも、千早と正々堂々と戦えたことの方が、なんか嬉しかったっていうか...」
晴翔は嬉しそうに頷いた。
「それが本当の勝負ごころじゃないかな」
「え?」
「勝ち負けよりも、全力を出し切ることの方が大切なんだよ」晴翔は静かに言った。「美羽は今日、勝っただけじゃなくて、自分の強さを見せたんだ」
美羽は少し驚いたような表情をした。
「はると...なんかかっこいいこと言うね」
「だって本当のことだから」晴翔は笑った。「ところで、万年筆のキャップ、返してもらっていい?」
「あ! そうだった!」
美羽はお守りを開け、中からキャップを取り出そうとした。しかし、彼女の表情が突然変わった。
「あれ? 入ってない...」
「え?」晴翔は驚いた。
「キャップが...ない」美羽は焦った様子でお守りをひっくり返した。「どうしよう、どこかで落としちゃったかも!」
晴翔は一瞬固まったが、すぐに冷静さを取り戻した。
「平均台でバランスを崩した時かな...」
「ごめん、はると!」美羽は申し訳なさそうに言った。「大切なものだったのに...」
晴翔は深呼吸をして言った。
「一緒に探しに行こう」
「え?」
「校庭に行って、探せばきっと見つかるよ」晴翔は立ち上がった。「大切なものだから、諦めたくないんだ」
美羽は感動したような表情で晴翔を見つめた。
「はると...」
「行こう」
二人は図書室を出て、校庭へと向かった。
◆◆◆
放課後の校庭は静けさに包まれていた。競技で使われた障害物はまだ片付けられずに残っていた。
「平均台の周りを探してみよう」晴翔は言った。
二人は黙々と地面を調べ始めた。夕陽が校舎に影を落とし始め、オレンジ色の光が校庭を照らしていた。
「見つからないね...」美羽は心配そうに言った。「本当にごめん...」
「まだ諦めないで」晴翔は冷静に言った。「美羽が大事に持っていてくれたことは嬉しかったよ」
美羽はその言葉に心打たれたように立ち止まった。
「はると...あのね」
「ん?」
「わたし、本当はお守りなんか信じてないんだ」
「え?」
美羽は照れたように髪をかき上げながら言った。
「このお守り、小学校のときいじめられてた子から貰ったんだ。その子を助けようとして、わたしも仲間はずれにされたときにね」
晴翔は驚いて美羽を見つめた。
「美羽...」
「でも、その子が『これがあるとつよくなれるよ』って言ってくれたから、ずっと大事にしてたの」美羽は続けた。「転校しちゃって、その子とは会えなくなったけど...」
晴翔は美羽の本当の姿を見たような気がした。負けず嫌いの裏側にある優しさと勇気。
「それで、はるとの万年筆のキャップを入れたかったのは...」美羽は恥ずかしそうに言った。「はるとが、その子みたいな存在だったから」
「僕が?」
「うん。はるとも、困ってる人を見捨てない人でしょ?」美羽は微笑んだ。「お姉さんのことだって、いつも守ろうとしてるじゃん」
晴翔は驚いた。美羽がそこまで自分のことを見ていたなんて。
「そうか...」
その時、美羽が何かに気づいたように前かがみになった。
「あ! これじゃない?」
平均台の下、少し離れた草むらに小さな銀色のものが光っていた。万年筆のキャップだ。
「見つかった!」晴翔は嬉しそうに言った。
美羽はキャップを拾い上げ、慎重に埃を払った。
「よかった...本当にごめんね」
「いいよ」晴翔は笑顔で言った。「これで僕も安心した」
美羽はキャップを晴翔に返しながら言った。
「でもね、はると」
「ん?」
「今日のレースで気づいたの」美羽は真剣な表情で言った。「わたし、もう勝つためだけに頑張るんじゃなくて、自分らしく全力を出せればいいんだって」
晴翔はその言葉に嬉しそうに頷いた。
「それが本当の強さだよ」
「うん!」美羽は元気よく頷いた。「だからこれからは、負けず嫌いでいるけど、勝ち負けだけじゃなく、
二人は笑い合った。夕陽に照らされた校庭で、新たな絆が生まれた瞬間だった。