正午、
「みなさん、お集まりいただきありがとうございます」
叶絵が静かに口を開いた。いつもの冷静さを保っているが、少し疲れた様子だ。
「まず、私から報告します」
彼女はテーブルに古い羊皮紙のようなものを広げた。そこには複雑な模様と文字が記されている。
「これは、組織に伝わる古文書です。かつて『神』になった者たちの記録が書かれています」
「すごい…」
美羽が目を丸くして羊皮紙を見つめた。
「どのくらい古いの?」
「数百年前のものです」
叶絵は羊皮紙の一部を指さした。
「ここに書かれているのは、天音さんと同じように力を制御できるようになった『神』の方法です」
「本当ですか?」
天音の目が希望の光で輝いた。
「はい。簡単ではありませんが、可能です」
叶絵は説明を続けた。
「『神』の力は『思い』によって現実化します。そのため、感情のコントロールが最も重要です」
「感情の…コントロール?」
「はい。特に強い感情—恐怖、怒り、悲しみ、そして…愛情。これらが力の暴走を引き起こします」
晴翔が眉をひそめた。
「でも、感情を抑えろっていうのは…」
「抑えるのではなく、受け入れ、理解することです」
叶絵は静かに言った。
「それが古文書に記された方法です。『己の感情と向き合い、受け入れよ。然らば力は従うなり』」
「なるほど…」
蓮が頷いた。
「僕の予知能力も似たようなものです。感情に振り回されると、見えるものがゆがみます」
「では、具体的にどうすればいいんですか?」
直人が実践的な質問をした。
「瞑想と意識的な感情の観察です」
叶絵はポケットから小さな水晶を取り出した。
「これは、集中を助ける『天秤の水晶』です。天音さんに使っていただければ」
天音は恐る恐る水晶を受け取った。透明な結晶の中に、微かに光る粒子が見える。
「きれい…」
「毎日少しずつ、この水晶を見つめながら自分の感情と向き合ってください。怒り、悲しみ、喜び…すべての感情を意識的に呼び起こし、それを受け入れるのです」
「分かりました…試してみます」
「それと、もう一つ重要な情報があります」
叶絵の表情が一段と真剣になった。
「イシュタリアの動きが活発化しています。彼は既に『器』を探し始めました」
「器?」
美羽が首を傾げた。
「彼の力を受け入れる人間の体です。旧神は直接この世界に干渉できない。人間を介さなければならないのです」
「誰を狙ってるんですか?」
晴翔が尋ねた。叶絵は肩をすくめた。
「それは…まだ分かりません。ただ、アルバの動きから察するに、彼はイシュタリアのために動いています」
「なるほど…」
直人が考え込んだ。
「では、アルバが器を探している可能性が高いですね」
「その通りです」
「僕からも報告があります」
蓮が静かに口を開いた。
「昨日、新たな予知がありました。街で…異変が起きます」
「異変?」
全員の視線が蓮に注がれた。
「はい。三日以内に、街の中心部で大きな力の衝突が起きるでしょう」
「三日以内…それはイシュタリアの仕業?」
晴翔が尋ねた。
「おそらく」
蓮は頷いた。
「でも、はっきりとは見えません。霧の向こうにいるような…」
「わたしからも」
美羽が手を挙げた。
「昨日から、ネットで『虹色の光を見た』っていう報告が増えてるの」
「報告?」
「うん。SNSでハッシュタグ『#虹色の空』が急上昇してて、みんな写真をアップしてる。でも…」
彼女は不安そうな表情になった。
「妙典以外の場所でも見えるようになってきてるみたい」
「それは…」
天音の顔色が変わった。
「私の力が…広がってるってこと?」
「不明です」
叶絵が答えた。
「イシュタリアの力の影響かもしれません。彼の力も、天音さんと同じように現実を変える力を持っています」
「僕も興味深い情報を見つけました」
直人が眼鏡を上げながら言った。
「古代メソポタミアでは、イシュタルという女神が知られていますが、イシュタリアという名の神は公式な神話には出てきません」
「それは…」
「つまり、彼は『記録から消された神』である可能性が高い。あまりにも危険だったため、歴史から意図的に消されたのかもしれません」
重い沈黙がリビングを支配した。全員が深刻な表情で考え込んでいる。
「で、どうすればいいの?」
美羽が沈黙を破った。
「このまま待っているだけ?」
「いいえ」
叶絵はきっぱりと言った。
「対策を立てます。まず、天音さんは力のコントロールの練習を続けてください」
「はい」
「そして、イシュタリアの器を見つけなければなりません。アルバを追跡することが手がかりになるでしょう」
「それは組織が?」
「はい、ですが…」
叶絵は少し言いづらそうにした。
「実は、組織内でも意見が分かれています。『完全抹殺派』が力を増しているんです」
「抹殺…?」
天音が小さな声で繰り返した。
「そう、彼らは天音さんを排除すべきだと主張しています。旧神の復活を防ぐためには、新たな神も消すべきだと…」
「冗談じゃない!」
晴翔が強く言った。
「お姉ちゃんに何かあれば許さないぞ」
「分かっています」
叶絵は静かに頷いた。
「だからこそ、私は『観察派』として天音さんを守ろうとしているのです。彼女が力をコントロールできれば、旧神に対抗できる可能性があります」
「もし、私が力をコントロールできたら…イシュタリアと戦えるの?」
天音が不安げに尋ねた。
「可能性はあります。ただ…」
叶絵は言葉を選ぶように一瞬黙った。
「危険も伴います。あなたの体が神の力に耐えられるかどうか…」
「それでも、やらなきゃいけないよね」
天音は決意を固めた様子で言った。
「みんなを守るために」
美羽が突然立ち上がり、天音に抱きついた。
「天音先輩、無理しないでね! みんなで助け合うんだから!」
「美羽ちゃん…」
直人も静かに言った。
「我々全員が協力します。一人で背負わないでください」
「そうだよ」
蓮も優しく微笑んだ。
「僕たちは『天秤の守護者』でしょう?」
晴翔は姉の肩に手を置いた。
「俺たちがついてる」
天音の目に涙が浮かんだ。
「ありがとう…みんな」
叶絵はこの光景を静かに見つめていた。彼女の冷たい表情にも、かすかな柔らかさが浮かんでいる。
「さて、具体的な計画を立てましょう」
彼女は話を進めた。
「まず、街の中心部の監視を強化します。蓮さんの予知によれば、そこで何かが起きるのですから」
「僕が見張りをします」
蓮が申し出た。
「予知能力があれば、異変の前兆を感じられるかもしれない」
「私も手伝うよ!」
美羽も元気よく手を挙げた。
「SNSの監視と情報収集ならお任せ!」
「僕は歴史文献をさらに調査します」
直人も役割を引き受けた。
「イシュタリアの弱点を見つけるかもしれません」
「俺はお姉ちゃんのサポートと、家の守り」
晴翔も言った。
「もし何かあったら、すぐに対応できるように」
「素晴らしい」
叶絵は満足げに頷いた。
「私は組織との連絡と、アルバの追跡を担当します」
「よし、これで役割分担はOKだね!」
美羽が元気よく言った。
「『天秤の守護者』、始動!」
全員が頷き合ったとき、突然の揺れが家を襲った。今までで最も強い地震だ。
「うわっ!」
食器棚からグラスが落ち、割れる音がした。全員が何かにつかまり、揺れが収まるのを待った。
「これは…」
叶絵の表情が強張った。
「イシュタリアの力が増している証拠です」
「どうして…」
天音が自分の手を見つめた。かすかに光っている。
「私のせい?」
「いいえ、違います」
叶絵はきっぱり言った。
「これはイシュタリアの仕業です。彼が力を増しているのです」
「でも、どうやって?」
「器を見つけたのかもしれません」
蓮が静かに言った。その目は未来を見つめているかのように遠い。
「誰かが…イシュタリアを受け入れた」
その言葉に、全員が緊張した面持ちになった。
「じゃあ…もう敵が現れたってこと?」
美羽が不安そうに尋ねた。
「おそらく」
叶絵は窓の外を見た。虹色の空の下、妙典の町は普段通りの日常が続いているように見える。しかし、その平穏さは既に崩れ始めていた。
「早急に対策を講じなければ…街全体が危険に晒されます」
「そんな…」
「具体的に何をすべきでしょうか?」
直人が冷静に尋ねた。
「今日は各自情報収集を続けましょう」
叶絵が言った。
「そして、明日また集まりましょう。私も組織から応援を呼びます」
「分かりました」
全員が頷いた。
叶絵はリビングの窓から外を見ていたが、突然目を凝らした。
「あれは…」
全員が彼女の視線の先を見た。遠くの屋根の上に、人影が見える。金髪の男性。
「アルバ!」
晴翔が声を上げた。
「見張っていたのか!」
アルバは彼らに気づくと、にやりと笑い、手を振ってから姿を消した。
「追います!」
叶絵は立ち上がり、玄関へ向かった。
「皆さんはここに」
「でも!」
「大丈夫です。私に任せてください」
そう言い残し、叶絵は走り去った。
「あいつ…どうして…」
晴翔は拳を握りしめた。
「監視してたのかな」
美羽は不安そうに窓を見つめた。
「あれって…叶絵さんも言ってた『器』を探してたってこと?」
「そうだろうね」
蓮が静かに言った。
「彼は既に動き始めている。イシュタリアのために」
「でも、誰が器になったんだろう…」
直人が考え込んだ。
「人選には基準があるはずだ。天音先輩が『神』に選ばれたように…」
「そうよね」
天音も頷いた。
「私は…『無欲』と『純粋な愛情』で選ばれたんだよね」
「じゃあ、イシュタリアの器は…?」
「おそらく正反対でしょう」
直人が推測した。
「強欲」と「憎悪」…そういった資質を持つ者かもしれません」
「でも、そんな人…」
美羽が言いかけたとき、晴翔が突然思いついたように顔を上げた。
「まさか…千早?」
「千早…理子ちゃんのこと?」
天音が驚いた表情で弟を見た。
「あの子が?数日前にクッキーパーティーで家にも来たじゃない。理子ちゃんはそんな性格じゃ…」
「でも、昨日俺に話しかけてきた時、変な雰囲気だったんだ」
晴翔は眉をひそめた。
「何か…隠してるような」
「彼女は天音先輩に対して…」
蓮が静かに言った。
「複雑な感情を抱いているかもしれない」
「どういうこと?」
天音が尋ねた。蓮は言いづらそうに口を開いた。
「彼女は…晴翔くんに好意を持っていると思う」
「え?」
晴翔は驚いた表情になった。
「そんなことないよ…」
「いや、僕にも見てとれました」
直人も同意した。
「でも、だからって旧神なんかに…」
美羽が信じられない表情で言った。
「そんなことあるわけない!」
「分からないよ」
晴翔は沈痛な面持ちで言った。
「人の心は複雑だから…隙を突かれたのかもしれない」
「とにかく、警戒すべきですね」
直人が冷静に言った。
「千早さんの行動も注意深く見守りましょう」
「うん…」
天音は複雑な表情を浮かべた。
「私、理子ちゃんと話してみようかな…」
「危険だよ」
晴翔が制した。
「もし本当に器になっているなら、刺激するのは危険だ」
「でも…」
「叶絵さんに相談してからにしよう」