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第55話

正午、朝霧あさぎり家のリビングには六人が集まっていた。天音、晴翔、美羽、直人、蓮、そして叶絵。全員が真剣な表情でテーブルを囲んでいる。


「みなさん、お集まりいただきありがとうございます」


叶絵が静かに口を開いた。いつもの冷静さを保っているが、少し疲れた様子だ。


「まず、私から報告します」


彼女はテーブルに古い羊皮紙のようなものを広げた。そこには複雑な模様と文字が記されている。


「これは、組織に伝わる古文書です。かつて『神』になった者たちの記録が書かれています」


「すごい…」


美羽が目を丸くして羊皮紙を見つめた。


「どのくらい古いの?」


「数百年前のものです」


叶絵は羊皮紙の一部を指さした。


「ここに書かれているのは、天音さんと同じように力を制御できるようになった『神』の方法です」


「本当ですか?」


天音の目が希望の光で輝いた。


「はい。簡単ではありませんが、可能です」


叶絵は説明を続けた。


「『神』の力は『思い』によって現実化します。そのため、感情のコントロールが最も重要です」


「感情の…コントロール?」


「はい。特に強い感情—恐怖、怒り、悲しみ、そして…愛情。これらが力の暴走を引き起こします」


晴翔が眉をひそめた。


「でも、感情を抑えろっていうのは…」


「抑えるのではなく、受け入れ、理解することです」


叶絵は静かに言った。


「それが古文書に記された方法です。『己の感情と向き合い、受け入れよ。然らば力は従うなり』」


「なるほど…」


蓮が頷いた。


「僕の予知能力も似たようなものです。感情に振り回されると、見えるものがゆがみます」


「では、具体的にどうすればいいんですか?」


直人が実践的な質問をした。


「瞑想と意識的な感情の観察です」


叶絵はポケットから小さな水晶を取り出した。


「これは、集中を助ける『天秤の水晶』です。天音さんに使っていただければ」


天音は恐る恐る水晶を受け取った。透明な結晶の中に、微かに光る粒子が見える。


「きれい…」


「毎日少しずつ、この水晶を見つめながら自分の感情と向き合ってください。怒り、悲しみ、喜び…すべての感情を意識的に呼び起こし、それを受け入れるのです」


「分かりました…試してみます」


「それと、もう一つ重要な情報があります」


叶絵の表情が一段と真剣になった。


「イシュタリアの動きが活発化しています。彼は既に『器』を探し始めました」


「器?」


美羽が首を傾げた。


「彼の力を受け入れる人間の体です。旧神は直接この世界に干渉できない。人間を介さなければならないのです」


「誰を狙ってるんですか?」


晴翔が尋ねた。叶絵は肩をすくめた。


「それは…まだ分かりません。ただ、アルバの動きから察するに、彼はイシュタリアのために動いています」


「なるほど…」


直人が考え込んだ。


「では、アルバが器を探している可能性が高いですね」


「その通りです」


「僕からも報告があります」


蓮が静かに口を開いた。


「昨日、新たな予知がありました。街で…異変が起きます」


「異変?」


全員の視線が蓮に注がれた。


「はい。三日以内に、街の中心部で大きな力の衝突が起きるでしょう」


「三日以内…それはイシュタリアの仕業?」


晴翔が尋ねた。


「おそらく」


蓮は頷いた。


「でも、はっきりとは見えません。霧の向こうにいるような…」


「わたしからも」


美羽が手を挙げた。


「昨日から、ネットで『虹色の光を見た』っていう報告が増えてるの」


「報告?」


「うん。SNSでハッシュタグ『#虹色の空』が急上昇してて、みんな写真をアップしてる。でも…」


彼女は不安そうな表情になった。


「妙典以外の場所でも見えるようになってきてるみたい」


「それは…」


天音の顔色が変わった。


「私の力が…広がってるってこと?」


「不明です」


叶絵が答えた。


「イシュタリアの力の影響かもしれません。彼の力も、天音さんと同じように現実を変える力を持っています」


「僕も興味深い情報を見つけました」


直人が眼鏡を上げながら言った。


「古代メソポタミアでは、イシュタルという女神が知られていますが、イシュタリアという名の神は公式な神話には出てきません」


「それは…」


「つまり、彼は『記録から消された神』である可能性が高い。あまりにも危険だったため、歴史から意図的に消されたのかもしれません」


重い沈黙がリビングを支配した。全員が深刻な表情で考え込んでいる。


「で、どうすればいいの?」


美羽が沈黙を破った。


「このまま待っているだけ?」


「いいえ」


叶絵はきっぱりと言った。


「対策を立てます。まず、天音さんは力のコントロールの練習を続けてください」


「はい」


「そして、イシュタリアの器を見つけなければなりません。アルバを追跡することが手がかりになるでしょう」


「それは組織が?」


「はい、ですが…」


叶絵は少し言いづらそうにした。


「実は、組織内でも意見が分かれています。『完全抹殺派』が力を増しているんです」


「抹殺…?」


天音が小さな声で繰り返した。


「そう、彼らは天音さんを排除すべきだと主張しています。旧神の復活を防ぐためには、新たな神も消すべきだと…」


「冗談じゃない!」


晴翔が強く言った。


「お姉ちゃんに何かあれば許さないぞ」


「分かっています」


叶絵は静かに頷いた。


「だからこそ、私は『観察派』として天音さんを守ろうとしているのです。彼女が力をコントロールできれば、旧神に対抗できる可能性があります」


「もし、私が力をコントロールできたら…イシュタリアと戦えるの?」


天音が不安げに尋ねた。


「可能性はあります。ただ…」


叶絵は言葉を選ぶように一瞬黙った。


「危険も伴います。あなたの体が神の力に耐えられるかどうか…」


「それでも、やらなきゃいけないよね」


天音は決意を固めた様子で言った。


「みんなを守るために」


美羽が突然立ち上がり、天音に抱きついた。


「天音先輩、無理しないでね! みんなで助け合うんだから!」


「美羽ちゃん…」


直人も静かに言った。


「我々全員が協力します。一人で背負わないでください」


「そうだよ」


蓮も優しく微笑んだ。


「僕たちは『天秤の守護者』でしょう?」


晴翔は姉の肩に手を置いた。


「俺たちがついてる」


天音の目に涙が浮かんだ。


「ありがとう…みんな」


叶絵はこの光景を静かに見つめていた。彼女の冷たい表情にも、かすかな柔らかさが浮かんでいる。


「さて、具体的な計画を立てましょう」


彼女は話を進めた。


「まず、街の中心部の監視を強化します。蓮さんの予知によれば、そこで何かが起きるのですから」


「僕が見張りをします」


蓮が申し出た。


「予知能力があれば、異変の前兆を感じられるかもしれない」


「私も手伝うよ!」


美羽も元気よく手を挙げた。


「SNSの監視と情報収集ならお任せ!」


「僕は歴史文献をさらに調査します」


直人も役割を引き受けた。


「イシュタリアの弱点を見つけるかもしれません」


「俺はお姉ちゃんのサポートと、家の守り」


晴翔も言った。


「もし何かあったら、すぐに対応できるように」


「素晴らしい」


叶絵は満足げに頷いた。


「私は組織との連絡と、アルバの追跡を担当します」


「よし、これで役割分担はOKだね!」


美羽が元気よく言った。


「『天秤の守護者』、始動!」


全員が頷き合ったとき、突然の揺れが家を襲った。今までで最も強い地震だ。


「うわっ!」


食器棚からグラスが落ち、割れる音がした。全員が何かにつかまり、揺れが収まるのを待った。


「これは…」


叶絵の表情が強張った。


「イシュタリアの力が増している証拠です」


「どうして…」


天音が自分の手を見つめた。かすかに光っている。


「私のせい?」


「いいえ、違います」


叶絵はきっぱり言った。


「これはイシュタリアの仕業です。彼が力を増しているのです」


「でも、どうやって?」


「器を見つけたのかもしれません」


蓮が静かに言った。その目は未来を見つめているかのように遠い。


「誰かが…イシュタリアを受け入れた」


その言葉に、全員が緊張した面持ちになった。


「じゃあ…もう敵が現れたってこと?」


美羽が不安そうに尋ねた。


「おそらく」


叶絵は窓の外を見た。虹色の空の下、妙典の町は普段通りの日常が続いているように見える。しかし、その平穏さは既に崩れ始めていた。


「早急に対策を講じなければ…街全体が危険に晒されます」


「そんな…」


「具体的に何をすべきでしょうか?」


直人が冷静に尋ねた。


「今日は各自情報収集を続けましょう」


叶絵が言った。


「そして、明日また集まりましょう。私も組織から応援を呼びます」


「分かりました」


全員が頷いた。


叶絵はリビングの窓から外を見ていたが、突然目を凝らした。


「あれは…」


全員が彼女の視線の先を見た。遠くの屋根の上に、人影が見える。金髪の男性。


「アルバ!」


晴翔が声を上げた。


「見張っていたのか!」


アルバは彼らに気づくと、にやりと笑い、手を振ってから姿を消した。


「追います!」


叶絵は立ち上がり、玄関へ向かった。


「皆さんはここに」


「でも!」


「大丈夫です。私に任せてください」


そう言い残し、叶絵は走り去った。


「あいつ…どうして…」


晴翔は拳を握りしめた。


「監視してたのかな」


美羽は不安そうに窓を見つめた。


「あれって…叶絵さんも言ってた『器』を探してたってこと?」


「そうだろうね」


蓮が静かに言った。


「彼は既に動き始めている。イシュタリアのために」


「でも、誰が器になったんだろう…」


直人が考え込んだ。


「人選には基準があるはずだ。天音先輩が『神』に選ばれたように…」


「そうよね」


天音も頷いた。


「私は…『無欲』と『純粋な愛情』で選ばれたんだよね」


「じゃあ、イシュタリアの器は…?」


「おそらく正反対でしょう」


直人が推測した。


「強欲」と「憎悪」…そういった資質を持つ者かもしれません」


「でも、そんな人…」


美羽が言いかけたとき、晴翔が突然思いついたように顔を上げた。


「まさか…千早?」


「千早…理子ちゃんのこと?」


天音が驚いた表情で弟を見た。


「あの子が?数日前にクッキーパーティーで家にも来たじゃない。理子ちゃんはそんな性格じゃ…」


「でも、昨日俺に話しかけてきた時、変な雰囲気だったんだ」


晴翔は眉をひそめた。


「何か…隠してるような」


「彼女は天音先輩に対して…」


蓮が静かに言った。


「複雑な感情を抱いているかもしれない」


「どういうこと?」


天音が尋ねた。蓮は言いづらそうに口を開いた。


「彼女は…晴翔くんに好意を持っていると思う」


「え?」


晴翔は驚いた表情になった。


「そんなことないよ…」


「いや、僕にも見てとれました」


直人も同意した。


「でも、だからって旧神なんかに…」


美羽が信じられない表情で言った。


「そんなことあるわけない!」


「分からないよ」


晴翔は沈痛な面持ちで言った。


「人の心は複雑だから…隙を突かれたのかもしれない」


「とにかく、警戒すべきですね」


直人が冷静に言った。


「千早さんの行動も注意深く見守りましょう」


「うん…」


天音は複雑な表情を浮かべた。


「私、理子ちゃんと話してみようかな…」


「危険だよ」


晴翔が制した。


「もし本当に器になっているなら、刺激するのは危険だ」


「でも…」


「叶絵さんに相談してからにしよう」



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