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第63話

朝霧あさぎり天音あまねの額から汗が滴り落ちる。リビングの中央で両手を前に出し、叶絵の指示に従って練習を続けていた。手のひらの上では小さな光の球が浮遊ふゆうしている。


「集中して。感情を認識して、受け入れて」


叶絵の冷静な声が響く。天音は深く息を吸い、目を閉じた。


「恐れを感じたら、それを否定せず、ただ観察するように」


「はい...」


天音の声は少し震えていた。光の球を大きくしようとするたび、体の力が急速に奪われていくのを感じる。何より、心の奥底から湧き上がる不安が一番の敵だった。


部屋の隅では、朝霧あさぎり晴翔はると望月もちづきれん結城ゆうき美羽みう鴻上こうがみ直人なおとが息を殺して見守っていた。練習開始から既に二時間。天音の疲労は限界に近づいている。


「あの...休憩した方がいいんじゃ...」


美羽が心配そうに呟いたが、叶絵は冷静に首を振った。


「実際の戦いでは、休憩はありません。限界を超えてこそ、真の力が目覚めます」


「でも...」


晴翔も不安げに姉を見つめる。天音の顔は青白く、明らかに消耗している。彼はポケットの抑制装置を握り締めた。いつでも止められるよう、準備しておく必要がある。


「もう少し...頑張れる...」


天音の声は小さかったが、決意に満ちていた。彼女は両手の間の光の球を見つめ、より大きく、より強く形作ろうとする。


光の球はゆっくりとサイズを増していった。テニスボール大から、やがてこぶし大へ。その光は温かく、柔らかい金色に輝いている。


「良いですね」


叶絵は満足げに頷いた。


「次は、形を変えてみましょう。球から、例えば...立方体に」


「は、はい...」


天音は集中力を振り絞り、光の形を変えようとした。しかし、疲労のせいか、思うように形が変わらない。


「難しい...」


「焦らずに。イメージを明確に」


球体が少しずつ歪み始めた。完全な立方体ではないが、角のある形に近づいていく。


「そう、その調子です」


蓮が小さく呟いた。


「天音先輩、すごい進歩だ...」


「おお、科学的には説明不能な現象だが、確かに素晴らしい」


直人も感心したようだ。


その瞬間——


「くっ!」


天音が急に苦しそうな声を上げた。光の塊が突然明るさを増し、不安定に揺れ始める。


「お姉ちゃん!」


晴翔が叫んだ。


「天音さん、落ち着いて!」


叶絵の声も緊張感を帯びた。


「光を手放して!」


しかし、天音の表情は苦しみに歪み、両手がこわばっていた。光の塊から、突然細い光線が四方に飛び散った。一本が花瓶を砕き、別の一本が窓ガラスを貫いた。


「危ない!」


美羽が身を伏せる。直人と蓮も身を守るように身構えた。


「お姉ちゃん! やめて!」


晴翔が叫びながら前に出ようとしたが、天音の周りに風のようなものが渦巻き始め、近づけない。


「抑制装置を!」


叶絵が指示した。


晴翔はポケットから装置を取り出そうとしたが、強い風に阻まれる。天音の体が宙に浮き始めた。彼女の髪が風に舞い、目は金色に輝いていた。


「これは...暴走の始まりです!」


叶絵が緊張した面持ちで言った。


「早く止めないと!」


その時、蓮が一歩前に出た。


「僕が!」


彼は両手を天音に向け、何かをとなえるように口を動かす。すると、天音を取り巻く風の強さが少し弱まった。


「今だ!」


蓮の声に、晴翔は渦の中へと飛び込んだ。


「お姉ちゃん!」


彼の声に、一瞬だけ天音の目に意識が戻った。


「晴...翔...」


「俺だよ! 戻って来て!」


晴翔は抑制装置を天音の額に押し当て、ボタンを押した。青白い光が天音の体を包み、宙に浮いていた彼女の体がゆっくりと降下し始めた。


「あっ...」


天音の目から光が消え、元の茶色の瞳に戻った。そして、彼女の体が力なく崩れ落ちる。


「お姉ちゃん!」


晴翔が彼女を受け止めた。意識はあるようだが、極度の疲労で目を開けるのも辛そうだ。


「ごめん...な...さい...」


かすかな声でそう言うと、天音は完全に意識を失った。


「急いで寝室へ」


叶絵が冷静に指示する。


晴翔は姉を抱きかかえ、階段を上った。他のメンバーもすぐに後に続いた。


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