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【対立】編

第71話

妙典みょうでん駅前の混乱から一週間が過ぎた。朝霧あさぎり天音あまね朝霧あさぎり晴翔はるとの兄妹は、共に通学路を歩いていた。虹色に染まった空の下、何事もなかったかのように学生たちが行き交う日常。しかし、その平穏さは表面的なものでしかなかった。


「お姉ちゃん、体調はどう?」


晴翔は姉の様子を心配そうに窺った。天音は軽く微笑み、頷いた。


「うん、もう大丈夫。あの日のことは…ちょっとぼんやりしてるけど」


「そりゃあんな大事件だったからね…」


駅前での千早ちはや理子りことの対決は、あまりにも衝撃的だった。イシュタリアの力を宿した理子と、神の力を持つ天音の激突。幸い、叶絵かなえと「天秤の守護者」たちの協力で理子からイシュタリアの力を封印ふういんすることに成功したものの、代償は小さくなかった。


「理子ちゃん、まだ病院なんだよね…」


天音の声が沈んだ。


「ああ。でも意識は戻ったって叶絵さんから連絡があったよ」


「よかった…私のせいで…」


「違うよ、お姉ちゃん」


晴翔は強く首を振った。


「あれはイシュタリアの仕業だ。理子が器にされただけで」


天音はかすかに頷いたが、その目には依然として罪悪感が宿っていた。通りすがりの女子高生が二人を見て小声で囁き合う。


「ねえねえ、あの人たち…」 「うん、噂の朝霧兄妹だよね」 「あの日、駅前で光ってたって…」


天音は耳を赤くして俯いた。学校では既に二人の噂が広まっていた。誰も詳しいことは知らないが、あの日の異変の中心に朝霧兄妹がいたことは、多くの目撃者が証言している。


「気にしないで」


晴翔は姉の肩に手を置いた。


「どうせみんな、すぐに忘れるさ」


「そうだといいけど…」


交差点に差し掛かると、元気な声が後ろから聞こえてきた。


「おーい! 朝霧くーん! 天音先輩ー!」


振り返ると、結城ゆうき美羽みうが手を振りながら走ってきた。その後ろには鴻上こうがみ直人なおとの姿もある。


「おはよう、美羽ちゃん、直人くん」


天音は微笑んで挨拶した。


「やっほー! 元気? もう大丈夫?」


美羽が天音の顔を覗き込むように近づいた。


「ええ、だいぶ回復したわ」


「よかったー! 心配してたんだから!」


「僕も安心しました」


直人は眼鏡を上げながら冷静に言った。しかし、その表情からは安堵の色が見て取れる。


「でも、まだ注意が必要です。あの戦いは始まりに過ぎないかもしれません」


「直人、朝からそんな重い話はよせよ」


晴翔は苦笑した。しかし、友人の言葉が正しいことは理解していた。イシュタリアは封印されたかもしれないが、あの日の戦いは終わりではなく始まりだったのだろう。


「でも、望月もちづきくんは?」


天音が辺りを見回した。


「蓮なら、もう学校についてるよ」


美羽が答えた。


「朝練があるって。あ、そうそう! 帰りに全員で集まらない? 叶絵さんから連絡があったんだって」


「叶絵さんから?」


晴翔が眉を寄せた。


「うん。『天秤の守護者』の集会だって。蓮くんが言ってた」


四人は顔を見合わせた。叶絵からの呼び出しは、何か重大な事態が起きたことを意味する。


「分かった。放課後、いつもの場所だな」


「うん! 屋上ね!」


美羽は元気よく頷いた。その朗らかさは、重苦しい雰囲気を吹き飛ばすかのようだった。


学校に到着すると、いつもと違う緊張感が漂っていた。校門には警備員が立ち、生徒たちを一人ずつ確認している。


「何かあったのかな?」


天音が不安そうに呟いた。


「分からないけど…」


晴翔も首を傾げた。


警備員たちの間を抜けて校内に入ると、校長先生が拡声器かくせいきを持って立っていた。


「生徒諸君、おはようございます。皆さんにお知らせがあります」


校長の声は普段より真剣だ。


「本日から、特別な事情により転校生を数名受け入れることになりました。皆さん、彼らを温かく迎えてあげてください」


「転校生?」


晴翔は首を傾げた。


「この時期に?」


直人も疑問符を浮かべている。


「それにしても、警備が厳重だね…」


美羽が囁いた。


「普通の転校生じゃないのかな?」


四人が不思議に思っていると、校長の傍らに立っていた一人の女性が前に出た。一瞬、晴翔の背筋に冷たいものが走る。


「あれって…」


「まさか…」


女性は冷静な表情で生徒たちを見回した。そのクールな眼差しに見覚えがある。


「はじめまして。私は新任教師のカナエかなえです。よろしくお願いします」


彼女は短く一礼した。黒いスーツに身を包んだその姿は、教師というより何かの捜査官そうさかんのようだ。


「あれ、神狩り組織の…!」


美羽が小声で叫びそうになるのを、晴翔が慌てて制した。


「静かに!」


カナエの視線が一瞬、彼らに向けられた。わずかに目を細め、かすかに頷いたように見えた。


「さらに、転校生を紹介します」


校長が続けた。そこへ三人の生徒が前に出た。一人は金髪の明るい表情の少年、次は無表情のグレーの髪の少年、そして最後は優雅な雰囲気の年配の女性だった。


アルバあるばジンじんソフィアそふぃあです。皆さん、よろしく」


「うそ…」


晴翔の顔から血の気が引いた。カナエだけでなく、アルバもジンも、そしてソフィアまで…神狩り組織の四天王が全員揃っている。


「どういうこと…?」


天音も震える声で呟いた。


直人は冷静さを保ちながらも、眼鏡の奥の目が緊張を隠せない。


「四天王…全員…なぜここに?」


校長の説明が続いている間、四人はただ呆然と立ち尽くしていた。やがて、アルバが軽く手を振り、彼らに向かってウインクした。その軽薄な仕草に、晴翔は思わず拳を握りしめた。


「朝霧くん、冷静に」


直人が小声で諭した。


「今はじっと様子を見るべきだ」


「分かってる…けど…」


ホームルームが始まり、生徒たちは各教室へと向かった。1年3組に入った晴翔たちの前に立ったのは、他でもないカナエだった。


「今日から担任を務めることになりました、カナエです」


彼女は冷静に自己紹介した。その表情からは何も読み取れない。


「また、新しいクラスメートを紹介します」


教室のドアが開き、アルバが入ってきた。彼は屈託のない笑顔で、クラス全体に向かって手を振った。


「やあ、みんな! アルバあるばです。よろしくね!」


彼の明るい態度に、女子たちからはときめきの溜息ためいきが漏れる。しかし、晴翔たちは凍りついたように硬直していた。


「朝霧くん、元気?」


アルバは晴翔の机の前で立ち止まり、にっこりと笑った。その目は何かを企んでいるようにきらめいている。


「何が目的だ…」


晴翔は歯を食いしばりながら小声で尋ねた。


「目的? 単なる転校生だよ」


アルバは肩をすくめ、さらに声を落として続けた。


「それとも…『天秤の守護者』として、何か言いたいことがある?」


晴翔は言葉を飲み込んだ。ここで騒ぎを起こすわけにはいかない。彼はじっと拳を握りしめ、アルバを見上げた。


「後でな」


「楽しみにしてるよ」


そう言い残し、アルバは教室の後ろの席へと向かった。


カナエは何事もなかったかのように授業を始めた。英語の教師としての彼女は、意外にも堂々として教え方も分かりやすい。生徒たちは次第に緊張を解いていったが、晴翔と美羽、直人の三人だけは終始警戒を解かなかった。


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