目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第76話

妙典駅前に到着したとき、既に現場は惨状さんじょうを呈していた。黒いもやは広場全体に広がり、地面には無数の亀裂きれつが走っている。警察や消防の人々が市民を避難させようとしていたが、もやに阻まれて近づけない様子だった。


「あれが…使者?」


晴翔が広場の中央を指さした。そこには先ほどモニターで見た男が立っていた。近くで見ると、その存在感はさらに圧倒的あっとうてきだ。まるで異世界から来た王のように、威厳と恐怖をまとっている。


マルドゥクまるどぅくの使者…ハンムラビはんむらび


アルバが低い声で言った。


「バビロニアの法の神の名を冠する者だ」


「何をする気だ?」


晴翔が眉を寄せた。


「さあ…」


その時、使者ハンムラビが錫杖しゃくじょうを地面に突き立てた。地面から黒い光が放射状に広がり、さらに大きな亀裂きれつが生まれる。


「停止しろ!」


カナエの声が響いた。彼女は何処からともなく現れ、ハンムラビの前に立ちはだかった。


「神狩り組織の者たちか」


ハンムラビの声は低く、まるで地の底から響いてくるようだった。


「久しいな…かつての同志よ」


「同志などではない」


カナエは冷たく言い返した。


「貴様の主人は既に過去の存在だ。この世界に干渉する権利はない」


「権利?」


ハンムラビは不気味に笑った。その笑い声に、全員の背筋に冷たいものが走った。


「我らには権利など必要ない。力こそ全て」


彼はゆっくりと周囲しゅういを見回し、やがて天音を見つけると、目を細めた。


「ほう…新たな『神』か。まだ若く、未熟だな」


天音は恐怖で身を固くしたが、晴翔が彼女の前に立ちはだかった。


「お姉ちゃんに近づくな!」


「哀れな人間が…」


ハンムラビは嘲笑ちょうしょうするように言った。


「神の力の前では、塵に過ぎん」


「やめろ!」


カナエが叫んだ時には遅かった。ハンムラビが手を振ると、見えない力の波が晴翔を襲い、彼は数メートル後ろに吹き飛ばされた。


「晴翔!」


天音の叫び声が響く。そして、その瞬間—


「!」


天音の体から金色の光が爆発的に放たれた。その光は黒いもやを押し返し、広場に明るさを取り戻す。


「ほう…」


ハンムラビは初めて驚いたような表情を見せた。


「予想以上だな」


「晴翔を…傷つけないで…!」


天音の声は震えていたが、その目は強い意志に満ちていた。


ソフィアが天音の横に立った。


「落ち着いて。呼吸を整えて」


天音は深呼吸し、心を落ち着かせようとした。彼女の周りの光が、より安定した輝きかがやきを放ち始める。


「よし。訓練通り、力をコントロールするのよ」


「はい…」


一方、アルバとジンはカナエの両側に立ち、ハンムラビに対峙した。


「帰れ」


カナエが命じた。


「ここは貴様の居場所ではない」


「違う」


ハンムラビはゆっくりと首を振った。


「我が主人、マルドゥクまるどぅく様の命により、新たな『神』を試しに来たのだ」


「試す?」


「そう。彼女が本当に脅威になるのか、今のうちに確かめておく」


彼は再び錫杖しゃくじょうを掲げた。


「覚悟せよ」


「全員、戦闘態勢!」


カナエの声に応じて、一同は構えた。


アルバは両手に炎のような赤いもやを纏わせ、ジンは背中から何かのかげのような黒い翼を広げた。カナエは小さな銀の装置を取り出し、それが瞬時に長剣ちょうけんに変形した。


美羽はどちらかというと戸惑った様子で、直人と共に少し後ろに下がった。二人は力はないが、何か役に立とうと懸命だ。


蓮は両手を前に出し、目を閉じて何かをとなえ始めた。彼の周りに透明な結界けっかいのようなものが形成され始める。


晴翔は地面から立ち上がり、よろめきながらも天音の側へと戻った。


「お姉ちゃん…」


「晴翔、大丈夫?」


「ああ…」


彼は肩をさすりながら、ハンムラビを見据えた。


「だが、こいつは只者じゃない」


「わかってる」


天音は胸のペンダントを握りしめた。


「でも…もう逃げない」


そう言うと、彼女は一歩前に踏み出した。金色の光が彼女の体をまとい、まるで鎧のようだ。


「なるほど」


ハンムラビは興味深そうに観察していた。


「では、試そうか…お前の力を!」


彼が錫杖しゃくじょうを振り下ろすと、黒いもやが大きな波となって天音たちに襲いかかった。


しかし、その瞬間—


「させるか!」


カナエが前に飛び出し、剣を振るった。銀色の軌跡が黒い波を切り裂く。


「甘い!」


ハンムラビが再び杖を振ると、今度は地面から黒いやりのようなものが無数に突き出した。


「危ない!」


蓮の結界けっかいが全員を覆い、黒い槍を一時的に防いだ。しかし、その衝撃で結界にひびが入る。


「これは持たない…!」


蓮の表情が苦しみに歪んだ。


「下がって!」


アルバが両手から炎の波を放ち、黒い槍の一部を焼き払った。しかし、次々と新たな槍が生まれる。


「くっ…」


ジンが翼を広げ、宙に舞い上がった。彼は空中から黒い光の弾を放ち、ハンムラビに向けて撃ち込む。


「無駄だ」


ハンムラビは黒い盾のようなものを展開し、攻撃を簡単に防いだ。


「もはや旧き神々の時代だ。人間など、従うべき存在に過ぎん」


「違う!」


天音の声が響いた。彼女は両手を前に突き出し、金色の光の大きな波を放った。


「この世界は…私たちのもの!」


金色の波が黒い靄と衝突し、まばゆい閃光が広場を覆った。


「なっ…!」


ハンムラビが初めて驚きの声を上げた。彼の盾が、天音の光によって押し返おしかえされている。


「くっ…予想以上だな…」


しかし、すぐに彼は体勢を立て直し、より強力な黒い波を生み出した。光と闇がぶつかり合い、駅前広場は異次元の戦場と化した。


「どうする…!」


美羽が不安げに叫んだ。


「このままでは広場が…!」


確かに、二つの力のぶつかり合いによって、周囲の建物にひびが入り始めていた。地面も大きく揺れ、まるで地震のようだ。


「天音さん!」


ソフィアが叫んだ。


「力を全開にしないで! コントロールして!」


「でも…!」


天音の表情が苦しげに歪んだ。彼女は必死に力を制御しようとしているが、ハンムラビの攻撃が強すぎる。


「このままじゃ…街が…!」


晴翔も歯を食いしばった。何とかしなければならない。しかし、この圧倒的あっとうてきな力の前に、彼に何ができるというのか。


その時—


「援軍到着!」


聞き覚えのある声とともに、黒いスーツを着た複数の人影が現れた。先頭には叶絵かなえの姿があった。


「叶絵さん!」


晴翔の声に、叶絵は短く頷いた。


「組織の特殊部隊です」


彼女の後ろには十人ほどの精鋭部隊が控えていた。全員が黒いスーツを着て、特殊な装備を身につけている。


「天音さん、一旦力を引いてください!」


叶絵の指示に、天音は力を弱めた。すると、特殊部隊のメンバーたちが素早く陣形を整え、奇妙な装置を取り出した。それらが連動して作動すると、青白い光の網がハンムラビを包囲ほういした。


「何!?」


ハンムラビが驚いた表情を見せた。光の網が彼の力を封印ふういんしようとしている。


「古き神々の力を受け継ぐ者よ」


叶絵が厳かな声で言った。


「この現世に干渉する権利はない。去れ」


「愚かな…!」


ハンムラビは荒々しく抵抗したが、光の網は少しずつ彼を締め付けていく。


「くっ…今回は退くが…」


彼は最後の力を振り絞り、光の網を破って脱出した。しかし、その姿は既に薄れかけていた。


「覚えておけ。これは始まりに過ぎん。マルドゥクまるどぅく様の怒りは、やがて全てを飲み込む」


そう言い残して、ハンムラビの姿は黒いもやと共に消え去った。


広場に再び静けさが戻った。黒いもやは晴れ、青空が顔を出している。しかし、地面の亀裂きれつや壊れた街灯がいとうなど、戦いの爪痕は生々しく残っていた。


「無事か?」


カナエが天音に駆け寄った。


「ええ…なんとか…」


天音は疲れ切った様子で、晴翔の肩に寄り掛かよりかかっていた。


「よくやった」


ソフィアが優しく微笑んだ。


「初めての実戦にしては見事だった」


「本当に? でも…街が…」


「心配ないわ」


叶絵が近づいてきた。


「組織が全て処理します。『ガス爆発による事故』ということになるでしょう」


「そう簡単に…」


直人は半信半疑だった。


「組織の力は侮れませんよ」


アルバは軽口を叩きながらも、その目は真剣だった。


「さて、みんな無事だよね?」


美羽がようやく緊張から解放されたように、大きく息をついた。


「あんなの初めて見た…怖かったぁ…」


「でも最後まで逃げなかった」


蓮が優しく言った。


「勇敢だよ、美羽」


「え? そ、そう?」


美羽の頬が少し赤くなった。


「さあ、ここは私たちに任せてください」


叶絵が言った。


「皆さんはアジトに戻り休んでください。特に天音さんは」


「はい…」


天音はぐったりとした様子で頷いた。初めての本格的な力の使用で、体力を使い果たしたようだ。


「いいね、お姉ちゃん」


晴翔は姉の肩を支えながら言った。


「よく頑張ったよ」


「うん…ありがとう」


天音は疲れた顔で微笑んだ。彼女のペンダントは、かすかに温かみを帯びてきらめいていた。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?