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第78話

徳願寺とくがんじに到着したとき、空は既に夕暮れに染まっていた。朱に染まる空の下、古い神社の境内けいだいにはただならぬ雰囲気が漂っている。


「おかしい…静かすぎる」


朝霧あさぎり晴翔はるとは眉をひそめながら、周囲を警戒した。人の姿はなく、風の音さえも感じられない。まるで時間が止まったかのようだ。


「結界が張られているね」


望月もちづきれんが静かに言った。彼の感覚は鋭い。


「この寺院全体が異界と現実の狭間はざまに置かれている」


「みんな、気をつけて」


カナエかなえが警告した。


朝霧あさぎり天音あまねは胸元のペンダントを強く握りしめた。疲労はまだ残っているが、家の近くにある大切な場所を守るという決意が、彼女に力を与えていた。


「なにか…感じる」


彼女が小さな声で言った。


「この場所…ずっと前から知っているような…」


「お姉ちゃん?」


晴翔が心配そうに尋ねた。


「大丈夫?」


「うん…でも不思議な感覚」


天音の周りに、かすかに金色の光が漂い始めた。


「この神社には、昔から何かの力が眠っているのかもしれない」


ソフィアそふぃあが静かに言った。


「だからこそ、旧神の使者がここを狙ったのでしょう」


一行は慎重に境内けいだいへと足を踏み入れた。カナエ、ジンじんアルバあるばが先頭に立ち、続いて晴翔、天音、ソフィア、そして結城ゆうき美羽みう鴻上こうがみ直人なおと、蓮が後に続く。


突然、鳥居とりいの上から不気味な笑い声が響いた。


「ふふふ…やはり来たな」


全員が上を見上げると、そこには見知らぬ男の姿があった。漆黒の外套がいとうを纏い、顔には金色の仮面かめんを付けている。その身長は二メートルを超え、人間離れした存在感をはなっていた。


「お前は…」


カナエが剣を構えた。


ヘカトールへかとーるの使者…オラクルおらくる


「よく知っているな、神狩りの者よ」


オラクルと呼ばれた男は軽やかに鳥居から飛び降り、中空に浮かんだまま言った。


「わざわざ罠に飛び込んでくれて、感謝する」


「罠だと知っていて来た」


ジンが冷たく言い返した。


「何の目的だ」


「それは…」


オラクルは天音を指さした。


「彼女の力を確かめるため。そして…この古い力の泉を頂くためだ」


「古い力の泉…?」


天音が首を傾げた。


「この場所には古くからの力が眠っている」


オラクルは両手を広げた。


「その力を我が主、ヘカトールへかとーる様にお捧げするのだ」


そう言うと、彼は金色の仮面から眩い光を放った。その光が境内けいだい全体を包み込む。


「くっ…!」


全員が目をさえぎらざるを得なかった。光が収まると、境内の中央に大きな亀裂きれつが走り、そこから青白い光が漏れ出していた。


「あれは…!」


ソフィアが驚いた声を上げた。


「境界の泉…! 確かにこの場所には古い力が眠っていたのね」


「境界の泉?」


晴翔が尋ねた。


「現世と神の世界の境目にある力の源泉です」


ソフィアが説明した。


「旧神たちはそれを利用して、力を取り戻そうとしている」


「させるか!」


カナエが叫び、オラクルに向かって跳躍した。彼女の剣が銀色の弧を描き、オラクルに襲いかかる。


「無駄だ」


オラクルは片手を上げただけで、カナエの攻撃を止めた。見えない力の壁が彼女を弾き返す。


「我々の力の差は明らかだ」


「チッ…」


カナエは着地し、再び構えた。


「ジン、アルバ!」


二人は素早く動いた。ジンは黒い翼を広げ、上空から攻撃を仕掛ける。アルバは炎のむちを形成し、横から攻め立てた。


「愚かな…」


オラクルはまるで子供の遊びを見るかのように、両手を動かすだけで二人の攻撃をさばいていく。


「これが、旧神の使者の力か…」


直人が眼鏡を上げながら呟いた。ハンムラビよりさらに強大な力を感じる。


美羽は怯えながらも、蓮と共に結界を張って仲間たちを守ろうとしていた。


「天音先輩、どうする?」


「私は…」


天音はペンダントを握りしめたまま、戦いを見つめていた。まだ体力は十分ではなく、先ほどの戦いの疲労も残っている。しかし—


「行かなきゃ」


彼女は決意を固めた。


「晴翔、みんなを頼む」


「お姉ちゃん! 無理だよ!」


晴翔が制止しようとしたが、天音は既に前に踏み出していた。彼女の体から金色の光が溢れ出し、まるでよろいのように全身を包み込む。


「オラクル…この場所は、私たちの大切な場所」


天音の声は、いつもより少し低く、力強かった。


「渡さない」


「ほう…」


オラクルは興味深そうに天音を見た。


「前回より成長しているな。しかし…」


彼は黄金の仮面から再び光を放った。今度は攻撃的な鋭い光線となって、天音に向かって襲いかかる。


「天音!」


ソフィアが叫んだ。


「おぼえているでしょう! 訓練通りに!」


天音は深く呼吸し、両手を前に出した。金色のたてが形成され、光線を受け止める。


「やるじゃないか」


オラクルは声に感心を滲ませた。


「だが、どれだけ持つかな?」


彼は攻撃の強さを増した。光線がさらに強く、鋭くなる。天音の盾にひびが入り始めた。


「くっ…」


天音の顔に汗が浮かぶ。限界が近い。


「お姉ちゃん!」


晴翔は歯を食いしばった。このままでは…


「させるか!」


突然、蓮が前に踏み出した。彼は両手を天に掲げ、何かをとなえ始める。すると、彼の周りに透明なもやが現れ、それが天音の盾に加わっていく。


「望月…!」


天音は驚いた様子で振り返った。


「力を貸すよ」


蓮は穏やかに微笑んだ。


「一人じゃない。僕たちがいる」


「そうだよ!」


美羽も前に出て、蓮の横に立った。彼女には特別な力はないが、その存在自体が蓮と天音に勇気を与える。


「私も」


直人も意外な行動に出た。彼は落ち着いた様子で二人の横に立ち、深く呼吸した。


「科学では説明できないかもしれないが…信じる力もある」


「みんな…」


天音の目に涙が浮かんだ。


晴翔も前に出て、姉の横に立った。


「『天秤の守護者』だろ? 一緒に戦おう」


「ええ…!」


天音の周りの光が強くなった。友の存在が、彼女に新たな力を与えている。


「なんだこれは…」


オラクルが初めて戸惑いの色を見せた。


「ただの人間が…」


「人間なめんなよ」


アルバが笑いながら言った。彼もカナエ、ジンと共に天音たちの背後に立っていた。


「人間の絆は、時に神をも超える」


「馬鹿な…」


オラクルの攻撃が一瞬揺らいだ。その隙を突いて、天音は両手から金色の光線を放った。友の力を借りた光は、オラクルの攻撃を押し返し、彼に直撃する。


「ぐわっ!」


オラクルが後ろに吹き飛ばされた。彼の仮面にひびが入る。


「やった!」


美羽が喜びの声を上げた。


しかし、オラクルはすぐに体勢を立て直した。その仮面の隙間から、不気味な赤い目が覗いている。


「なかなかやるな…」


彼は低い声で言った。


「だが、遅すぎた」


彼が指差す方向を見ると、境内の亀裂がさらに大きく広がり、そこから大量の青白い光が噴出していた。


「境界の泉の力は既に流出している」


オラクルは高らかに宣言した。


「これで我が主、ヘカトールへかとーる様の復活は時間の問題だ」


「させない!」


天音は残った力を振り絞り、亀裂に向かって飛び出した。彼女は泉の前に立ち、両手を広げる。


「この場所は、私が守る!」


彼女の体から金色の光が溢れ出し、亀裂を覆い始めた。まるで傷口を塞ぐように、光が亀裂を埋めていく。


「なっ…!」


オラクルが驚愕の声を上げた。


「そんなことができるのか!」


「お姉ちゃん…!」


晴翔も驚いた様子で見守っていた。天音の力は日に日に成長しているようだ。


「やめろ!」


オラクルは怒りの声を上げ、再び光線を放った。今度は天音めがけて。


「危ない!」


カナエが叫んだ時には遅かった。光線が天音に向かって飛んでいく。


しかし—


「!」


光線が天音の数センチ手前で止まった。いや、正確には何かに阻まれたのだ。


「これは…」


目を凝らすと、天音の周りに薄い金色の膜が形成されているのが見えた。それは彼女自身の意思で作り出したものではなく、まるで別の力が天音を守っているかのようだ。


「境界の泉が…天音を守っている?」


ソフィアが驚きの声を上げた。


「なぜだ…」


オラクルも困惑しているようだった。


その時、亀裂から漏れ出していた光が形を変え始めた。それは次第に人型へと変化し、やがて若い女性の姿となった。透き通るような青白い姿だが、確かにそこに存在感がある。


「なんだ…あれは」


晴翔が呆然と見つめた。


幽霊のような女性は天音の前に立ち、優しく微笑んだ。


「久しぶりね、私の後継者」


天音は混乱しながらも、何か懐かしさを感じているようだった。


「あなたは…誰?」


「私はこの地の守護者。そして…かつての『神』」


女性はゆっくりと天音に手を伸ばした。


「あなたの前の『神』よ」


「前の…」


天音は驚きの表情を浮かべた。


「あなたの力は、かつての私の力。そして、この場所はその力の源泉」


女性は亀裂を見つめた。


「だから…この場所を守りなさい」


そう言うと、女性の体が光となって天音の中に流れ込んでいった。


「あっ…!」


天音の体が一瞬まばゆく輝いた。その光が強すぎて、全員が目をさえぎらざるを得なかった。


光が収まると、天音は穏やかな表情で立っていた。彼女の周りには金色の光がまとわり、まるで女神のような威厳が感じられる。


「この場は渡さない」


彼女の声には力強さがあった。両手を広げると、亀裂から溢れ出ていた光が彼女の体に吸収され、亀裂自体も徐々に閉じていく。


「馬鹿な…!」


オラクルは怒りと恐怖が入り混じった表情を浮かべていた。


「ここまでか…」


彼はしばらく天音を見つめた後、ゆっくりと空に浮かび上がった。


「覚えておけ。これで終わりではない」


そう言い残すと、彼は黒いもやに包まれ、姿を消した。


境内には再び静けさが戻った。亀裂は完全に塞がり、まるで何もなかったかのように元の姿に戻っている。


天音はゆっくりと地面に降り立った。彼女の周りの光が徐々に薄れていく。


「お姉ちゃん!」


晴翔が駆け寄った。


「大丈夫?」


「ええ…」


天音は疲れた様子だが、穏やかな微笑みを浮かべていた。


「なんだか…不思議な感じ。でも…安心した」


「いったい何が起きたの?」


美羽も駆け寄ってきた。彼女の目は好奇心で輝いている。


「さっきの人は誰? 天音先輩の前の『神』?」


「詳しくは私にもわからないけど…」


天音は胸のペンダントに手を当てた。


「この場所には、昔からのつながりがあったみたい」


「境界の泉は神の力の源泉」


ソフィアが説明した。


「かつて『神』だった者の魂の一部が、この場所に残されていたのでしょう」


「そして、天音さんがその力を受け継いだ」


カナエが続けた。


「ですが…これは想定外でした」


「なぜ、天音がその力を?」


晴翔が尋ねた。


「おそらく…」


ソフィアは考え込むように言った。


「天音さんの『無欲』と『純粋な愛情』が、かつての神の共感を呼んだのでしょう」


「つまり、認められたということですね」


直人が分析的に言った。


「興味深い現象です」


「いずれにせよ」


カナエは周囲を見回した。


「ここは安全になりました。オラクルは退散し、境界の泉も封印されました」


「戻りましょう」


ソフィアが提案した。


「天音さんは休息が必要です」


「そうだね」


晴翔は姉の肩を支えた。


「お疲れ、お姉ちゃん」


「ありがとう…」


天音は穏やかに微笑んだ。彼女の瞳には、以前とは違う凛々りりしさが宿っていた。


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