それはまだ、凛たちが中学生の頃のことだった。
「凛、もう志望校決めたのか?」
はじめて進路希望を書く用紙を渡され、クラス中がどことなく落ち着かない雰囲気の中で、凌空は凛にそう訊ねてきた。
「うん、私はもう決めてあるよ」
当然まだだろうと思って聞いた凌空は、予想外の凛の言葉に目を丸くする。
「え?何?どこ?」
「彩陵高校っ!あそこなら、最寄り駅から一駅だし、駅からも近いから通いやすいかなって」
凛の家も最寄り駅からわりと近いところにある。
また、その一駅先の駅は、まさに彩陵高校に通うためにあるような駅で、彩陵高校の目の前だった。
さらに凛の今の成績であれば、おそらくは難なく合格できるだろう難易度の高校でもある。
それもあって、凛は前々から自身が進学するならばそこにしよう、と決めていたのだ。
「電車で通うの、大変じゃないのか?」
「でも、電車乗らないで通えるうちの近所の高校って、歩くと結構距離あるでしょ?それよりは、一駅で駅の近くの高校の方が楽じゃないかなって思って」
「あー、確かに」
「それに、電車で通うのも、ちょっと憧れてて」
中学までとは違い、ちょっと大人になれるような気がした。
そこで、体調面には不安もあるものの、凛はおもいきって電車で通ってみようと思ったのである。
「凌空はどうするの?もう決めた?凌空なら、有名な難関高校とか行けちゃうんじゃない?」
成績優秀な凌空だから、全国でもトップクラスの難関高校への進学を、きっと教師たちも期待しているだろう。
凛はそう思って聞いてみたけれど、凌空はあからさまに顔を顰めるだけだった。
「あんま興味ねーよ、そんなん」
「えーっ!?なんかもったいない」
「彩陵高校か……悪くないな、俺もそこにしよ」
「え?ええ!?凌空みたいな、頭のいい子が行くとこじゃないよ?」
良くも悪くも平均的な難易度の高校である。
学年トップを走るような生徒が、目指すような高校では決してない。
「だって、通いやすそうじゃん。俺も近い方がいいって思ってたし」
凌空は徒歩圏内の高校を考えていたらしいけれど、凛の言葉で気が変わったのだとか。
「これで高校も一緒になるな。また、よろしくな、凛」
「うんっ!……って、まずは、受からないとだけど」
「俺と凛なら、余裕だろ」
凛だって、凌空には到底及ばないけれど、成績は決して悪くはない。
当日体調崩して受験できない、なんてオチにでもならない限り、まず不合格になることはないだろうと凌空は確信していた。
そして、その日の帰り道。
「ね?2人とも、進路決めた?」
今度は結芽が同様の質問をしてきた。
「ああ、俺たちはもう決めたよ。な、凛」
「うん」
「あ、ずるいっ、2人だけ先にっ!」
凌空に同意を求められ頷く凛を見て、結芽は自分だけ置いて行かれたような気がして拗ねた表情を浮かべる。
「二人とも、どこにしたの?」
「俺たちは彩陵」
「え?たちってことは凛も?2人、同じ高校行くの?」
「ああ。そうなるな」
「ずるい、ずるいっ!それなら、私も同じとこ行くっ!凌空はともかく、凛とは同じがいいもんっ!」
結芽の言葉に、凌空と凛は思わず顔を見合わせた。
「結芽にはちょっと……」
「難しいんじゃね?」
悲しいかな結芽の成績は、いつだって下から数えた方が格段に早い。
最下位でないことに、いつも喜んだりほっとしたりを繰り返しているような状況だ。
平均的なレベルの高校を狙うのは、今のままでは残念ながら厳しいだろう。
「えーっ!?でも、2人は一緒なんでしょ!?私だけ別の高校なんて嫌っ!!」
「そりゃあ、私も、結芽が一緒だったら嬉しいけど……」
「でしょ!?」
凛の言葉に、結芽はぱっと瞳を輝かせた。
しかしながら、だからといって行けるかというと、また別の話である。
「うーん……凌空に、家庭教師でもしてもらう……?」
「げっ、やだよ、めんどくさい。だいたい、こいつがおとなしく勉強するわけないじゃん」
「私もやだっ!凌空ってば、絶対嫌味しか言わないんだからっ」
今にも喧嘩がはじまりそうで、凛はすぐに無理そうだと結論づける。
「じゃあ、毎日みんなでうちで受験勉強するのは?私も、勉強しないといけないし」
「わっ、それいいっ!楽しそう!!」
「いいけど、結芽がちゃんと勉強するかな……」
「するよっ!!凛と同じとこ行くためだもん。それに、わかんないとこは凛に教えてもらえるし」
「私より、凌空に聞いた方がいいと思うけど……」
「いいのっ」
凛もわからないところは凌空に聞けたら、と思っての提案である。
だからこそ、凌空には何のうま味もない話な気がして、凛はそこだけが心配だった。
「凌空には、面倒なだけかもしれないけど……」
「いいよ。一人でやるより、俺もやる気出そうだし」
「ホント!?」
「ああ、んじゃ、さっそく今日から……」
「えっ?明日からにしようよ」
「結芽……」
「おまえが一番やらないといけないんだぞっ!!」
そうして、その日から受験まで、凛の家に集まり3人で受験勉強を行った。
凛はたびたび体調を崩し、不参加になる日もあったが、凛の部屋とは別の部屋で行っていたため、それでも凌空と結芽は凛の家を訪れ、当然のように2人だけで勉強をしていた。
そんな努力の甲斐あって、3人とも無事彩陵高校に通うことができたのである。
(確かに、よく考えてみれば、おかしい気もしなくないんだよね……)
彩陵高校は凌空が目指すにはあまりにレベルが低く、一方で結芽が目指すには非常に難易度が高かっただろう高校だ。
凛にあわせたという現状ならば納得できるけれど、漫画には藍沢 凛というキャラクターは登場しないのだ。
全国模試で上位常連だった凌空ならば、もっと難関の進学校を選んだ気がする。
一方で、結芽は漫画の中でもたびたび試験で赤点を取ってしまい、凌空に泣きつく様子が描かれていた。
本来ならば、もっと難易度の低い高校を選びそうな気がするのだ。
所詮漫画の設定にすぎないのだから、深い意味なんてないのかもしれないけれど。
(結芽と凌空が同じ高校じゃないと、物語が成立しないもんね)
創作の世界なんて、そんなものだ。
凛はそう考えて、それ以上深くは追求しないことにした。
(これはきっと、神様がくれたチャンスなんだ)
結芽と悠は、残念ながら、もう出会ってしまっている。
そして、結芽はしっかりと悠に恋をしていて、そのことはバスケ部に入る過程で凌空にも凛にもしっかりと説明済みだった。
しかし2人はまだ同じ部活という以上の接点は、まだ何もない。
(悠には悪いけど……)
決して凛は、青羽 悠というキャラクターが嫌いなわけではない。
むしろ、大好きな漫画に登場するメインキャラクターの1人なのだ、好きに決まっている。
けれど、凛にとっての最優先事項は、凌空の幸せなのである。
もう二度と、最終話で見たような切ない表情を、凌空にさせるわけにはいかないのだ。
(結芽だって、きっと凌空の良さに気づけば、凌空を好きになるはず)
近すぎるがあまり、きっと見えていなかっただけなのだ。
だから、自身が気づかせればいいと、凛はそう思った。
凌空と結芽を両想いにする、そのミッションをこなす上で幼馴染というポジションはこの上なく有益である。
(病気の設定だけが邪魔だけど、あとはとっても都合がいいもの。私なら、きっとできる)
必ず成し遂げてみせる、凛はそう意気込んで自身の両手を握りしめた。