数日後、ようやく熱が下がり、起き上がれるようになると、凛の部屋を凌空が訪れた。
「結芽も来たがってたんだけど、今日、おばさんが用事あるらしくて、弟たちの面倒みないといけないんだってさ」
「そうなんだ。お姉ちゃん、大変だね」
ともにひとりっ子である凌空と凛には、わからない苦労である。
凛はきっと家で弟たちの世話に追われているだろう結芽に、そっとエールを送った。
「で、これ、預かってきた」
すっと凌空から差し出されたコンビニの袋を、凛は覗き込む。
「お見舞いだってさ」
「わっ、プリンだっ!」
そこにはコンビニスイーツとして有名なプリンが、2つ入ってた。
「凌空のもあるよっ、一緒に食べよ!」
「いや、それ、2つとも凛のだと思うぞ」
「え?」
プリンは2つあって、今この場には凛と凌空の2人。
結芽の意図は、当然2人一緒に食べろってことだと思ったけれど、凌空の解釈は違うようだ。
「おまえプリン好きだし、1個じゃさみしいから2個にしたとか、そんなんだろ、たぶん」
「そう、なのかな……?」
凛は再度袋の中を覗いてみる。
(おいしそう……この世界の凛も、プリン好きだったんだ……)
凛は、スイーツの中でも一二を争うほどプリンが好きだった。
今の身体の元の主である凛も、そうだったのだと思うと共通点があるようで嬉しかった。
「でも、せっかく2つあるんだし、やっぱり一緒に食べようよ」
そう言って凛は1つを凌空に差し出してみたけれど、凌空はなぜか受け取ってくれない。
(凌空はプリン、嫌いだったかな……)
そう言った話は、残念ながら漫画には出てこなかった。
プリンを食べている姿も、プリンを嫌っているような描写もどちらもなかった。
そこでこの世界の凛の記憶を辿ってみたけれど、プリンを嫌っているという情報は特になかった。
「凌空、プリン、嫌いだっけ?」
「いや、普通に食べるけど、それ食べたら結芽が怒りそう……」
「じゃあ、結芽にはナイショ、それならいいでしょ?」
「うん、まぁ……」
どうせ凛は2つも食べられるような気がしていない。
それならば、凌空と一緒に食べた方がきっとおいしいはずだ。
凌空がようやく受け取ってくれたのを見て、凛は嬉しそうに笑った。
「んーっ、おいしっ!」
「ホント、幸せそうに食べるな、おまえ」
気づけば凌空にまじまじと見られていて、凛の顔は一気に赤く染まる。
「だって……ホントに、おいしい、から……」
「ま、食欲出たなら、何よりだけど」
「あ、そっか。一度、来てくれたんだよね」
凌空と結芽と凛は、毎日家の前で待ち合わせて、一緒に学校へ通っている。
それもあって、凛が熱を出して寝込んだことは、すぐに凛の母によって凌空と結芽に伝えられた。
学校を休んだ初日、凌空と結芽は学校帰りに凛の様子を見に立ち寄ったが、凛はまだ起き上がれる状態ではなかった。
往診に来た主治医によって点滴をされながら眠っている様子を少し眺めただけで、凌空と結芽はその場を後にした。
そして、その際に凛が起き上がれるようになったら連絡すると凛の母が約束してくれ、その連絡が来たのが今日だったのだ。
「あの時は食べられないから、点滴してもらってるって聞いた」
「うん……でも、昨日から、おかゆとか食べてるんだよ」
久々に食べられた食事は、とってもおいしく感じた。
今日のプリンも、いつもに増しておいしく感じる気がする。
そんなことを考えながら、凛はまた一口、プリンを口へと運んだ。
「せっかく来てもらってたのに、会えなくてごめんね」
「いいよ。俺たちが勝手に来たんだし、一応、凛の顔は見たし」
熱に魘される様子をしっかり見られていたのだと思うと、それはそれで恥ずかしく、凛の顔はまたしても赤くなる。
「なんか、恥ずかしい」
「今さらだろ」
凌空は何度となく、凛のそんな姿を見てきたのかもしれない。
だが、今の凛にとっては、はじめてのことなのである。
「変なこと、言わなかった?」
「いや、何も。ただ、寝てただけだったけど」
応えながら、凌空の脳裏にはその時の凛の様子が蘇る。
(ただ、ものすごく苦しそうだったけどな)
点滴を受けながら、荒い息を吐く凛の様子は見ていてかなり辛いものだった。
(俺が、もっと気をつけていれば)
凛の体調のことは、よく理解していたはずだった。
それなのに、凛が雨に濡れることを防げなかったことを凌空はただひたすら悔いていた。
(もう二度とこんなことは……)
凌空は目を伏せ、ぐっと拳を握りしめていた。
(凌空、なんか元気ない……?)
どうしたのだろう、と首を傾げ、凛はあることへと思い至る。
そして、凛もまた自身を奮い立たせるかのように、両手をぐっと握りしめた。
「ね、凌空、今のままで、いいの?」
「ん?なんだよ、唐突に。なんの話だ?」
つい先ほどまで、凛の体調のことばかり考えていた凌空には、凛の意図を掴み取ることなどできなかった。
凛の体調についてなら、このままではよくない、もっと気をつけなければいけない、と思っているが、凛からの話題がそんなものであるはずがないことだけは、凌空もよく理解している。
「このままだと、結芽、他の男の子と付き合っちゃうかもしれないんだよ?いいの?」
「いいも何も、そうなるように協力してるんだろ、俺も、おまえも」
協力しているのは、凌空だけだ。
本来のこの世界の凛はどうだったかわからないけれど、少なくとも今の凛は協力したいとは思っていない。
(幼馴染でも、本当の気持ちは、打ち明けてもらえないんだ……)
凌空はどこまでも、自分の気持ちを明かすことなく結芽を応援し続けるつもりなのだ。
それをひしひしと感じるからこそ、凛は悲しい気持ちが溢れてくるような気がした。
「凌空は、結芽が、好きなんでしょ?」
凌空が息を飲んだ。
それだけで、凛はやっぱりそうなのだと確信する。
今、目の前にいる凌空も、結芽が好きで、だから結芽のためならば何でもするのだ。
けれど、そんな凌空だからこそ、凛は誰よりも幸せになって欲しいと思う。
「そんなんじゃ、ねーよ」
たっぷりと沈黙の時間が続いた後、凌空は力なくそう言った。
「俺たち、ずっと兄妹みたいだったじゃん。これからだって、俺は……」
「嘘っ!!確かに、私のことは妹みたいに思ってるかもしれないけどっ、でも、結芽は違うでしょ?」
凛は自分の体調不良さえも忘れて、ぐっと凌空に掴みかかる。
少し、息があがるような感覚があったけれど、かまってはいられなかった。
凌空は凛の体調を気にしてなのか、抵抗することはなくされるがままだった。
「ねぇ、本当のこと言って?私、凌空に幸せになって欲しいのっ!!結芽と上手くいくように、協力するからっ」
「何言ってんだ。結芽は悠が好きなんだぞ!?」
「今はそうかもしれないけど、これから凌空のことを好きになる可能性だって……っ」
「余計なこと、考えんな」
そう言うと、凌空はやんわりと自身を掴む凛の手を放させる。
「俺は、凛とも、結芽とも、今の関係を崩したくない」
今度は、ベッドの上で身体を起こしていた凛を、ベッドへと寝かせた。
「凌空?」
「俺はそんなこと、望んでない。ちょっと頭冷やせ」
「ま、待って凌空、私はっ」
凌空は、それ以上凛の言葉を聞こうとはしない。
優しい手つきで凛に布団をかけると、カバンを手に無言で部屋を立ち去ってしまった。
「私、どうすればいいの……?」
1人になった部屋で、凛はぽつりと呟いた。
このままでは、原作と同じ結末を迎えてしまう。
それだけは避けたいと思っての行動だった。
けれど、事態は良い方向へは向かってくれない。
凛の中で、ただただ焦る気持ちが大きくなるばかりだった。