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第10話


(あれ?凛は一緒じゃないんだ?)


 悠がそれに気づいたのは、本当に偶然だった。

 突如自分の前に現れ、不機嫌に凛だけを連れ去ってしまった凌空。

 その凌空は今、何事もなかったかのように、いつも通りに結芽と会話している。

 しかし、凛の姿がそこにないことが、非常に気になったのだ。


(さっきの凌空、不機嫌だったし。なんか揉めたのかな……)


 そう思いながら、体育館の外、凛と凌空が向かっただろう方角を目指す。

 すると、そこには胸のあたりを押さえ、蹲る凛の姿があった。


「え……?」


 悠は最初、目の前で起きていることが理解できず、思わず足を止めてしまった。

 凛がマネージャーになった時、結芽から凛は身体が弱いから体力仕事を任せないようにと説明は受けた。

 けれど、これほど苦しむような病気を抱えているのだとは、思っていなかったのだ。


「凛!?大丈夫?どこか痛いの!?」


 悠は我に返り、慌てて凛の傍に駆け寄った。

 だが、駆け寄ったものの、どうすればいいかわからず、その場のおろおろとすることしかできない。


「だい、じょ……すぐ、おさ、まる、から……」


 むしろ、そんな悠に、安心させるように声をかけたのは凛だった。

 しかしそう言ったものの、凛も本当に治まるのか、不安しかなかった。

 あれからどれほどの時間が経ったのか、凛にはわからない。

 まだ、ほんの一瞬のことなのかもしれない。

 けれど、凛には、もう随分長い時間、この発作が続いているような気がしていた。


「大丈夫って……」


 どう見たって、悠の目にはそうは思えない光景である。

 いや、誰だってこの光景を見て大丈夫だとは言わないだろうとすら、悠は思った。


「凌空か結芽、呼んでこようか」


 悠よりはずっと、対処法を知っていそうな2人の名をあげてみる。

 だが、凛は嫌だというように首を振るだけだった。


(これ以上、凌空に迷惑かけて、嫌われたくない)


 そんな思いで必死に凛は首を振った。

 けれど、悠の叫び声は、どうやら体育館の中まで響いていたらしい。

 凌空も結芽も、悠が呼ばなくとも、声を聞きつけて慌てて駆け込んで来た。


「おいっ、悠、今のはいったい……っ」


 そこまで叫んだ凌空は、目の前の光景に目を見開いた。

 そこには苦しそうな表情で蹲る、凛の姿があったから。


「凛っ!!」


 凌空は悠を押し退けるようにして、凛の傍に駆け寄った。


「あっ、ごめんね、悠」


 凌空に突き飛ばされてしまった悠を心配する素振りを見せながらも、結芽の視線もまた苦しそうな凛へと縫い留められている。

 悠は、どこか自分だけが蚊帳の外のような感覚を覚えていた。




「凛、薬は?」


 凌空に問われて、凛ははじめて自分が薬を持っていたことを思い出した。

 この世界の凛はペンダント型のピルケースにいつも薬を入れて持ち歩いていたようだったから、凛も同様に毎日そうして持っていた。

 それを思い出し、震えながらもその手をピルケースへと伸ばす。

 凛が薬に手を伸ばすのを見て、薬はまだ飲んでいないのだ、そう悟った凌空は、凛の手がピルケースに届くよりも早く、凛の胸元からピルケースと取り出すと中から薬を取り出した。


「凛、口あけて」


 唇を震わせながらも、凛は少しだけ口を開いた。

 すると、凌空は舌の下に器用に取り出した薬を差し込む。


「あれ、水とかいらないの?」


 勝手知ったる様子の凌空とは対照的に、悠には非常に珍しい光景だった。

 錠剤を水もなしで飲まされるなんて、余計に苦しくなりそうで、悠は傍にいた結芽に訊ねてみる。


「うん。私もあんまり詳しくはないんだけど。舌の下のとこに置くとね、溶けていくんだって」

「へぇ……」

「普通の薬より、早く効くらしいよ」


 悠の疑問に、結芽はちゃんと答えてくれる。

 けれど、その視線はやはり悠には向けられず、ずっと心配そうに凛を見つめている。

 悠は、やはり自分だけが、どこか蚊帳の外にいるような気分だった。


「もう、大丈夫だ。すぐに薬が効いて、楽になる」


 凌空のその一言が、何よりも凛を安心させてくれ、それだけで凛は少し楽になったような気がした。

 しかし、安心したからなのか、同時にふっと身体から力が抜けていくような感覚を覚える。


「あっ、凛、危ないっ」


 凌空よりも少し離れていたはずの結芽が、あっという間に凌空の反対側へと駆け寄り、今にも倒れそうな凛の身体をしっかりと支えた。


「ごめ……っ」

「大丈夫だよ、凛。とりあえず、どこかで、少し休もうか」


 結芽はできるだけ凛を安心させられるように声をかけながら、辺りをきょろきょろと見渡す。


「どこがいいかな。できれば、少し、横になれるといいんだけど……」

「あっ、なら部室は?ソファあるし」


 提案したのは、悠だった。

 聞いた凌空と結芽は互いに顔を見合わせ、頷きあう。


「悠、ナイス!それいいっ」


 ずっと自分だけ何もできずにいた悠は、自身の提案が採用されたことに妙な安堵感を覚えていた。


「結芽、手伝え。凛をおんぶするから」

「いいけど……凌空、私たちもう高校生でしょ?そろそろお姫様抱っことか、できないの?」

「は?知らねーよ、そんなん、やったことねーし」

「じゃあ、今やってみたら?」

「慣れないことして、凛を落としでもしたらどーすんだよ」

「あ、それはダメだ。今のなしっ!」


 凌空の言葉にハッとした結芽は、慌てて凌空の背中に凛を背負わせる。

 先ほどよりも呼吸が落ち着いているような気がして、凌空も結芽も少しだけ安堵した。


「お姫様抱っこは、今度、凛が元気な時に練習しとくよ」

「あ、それいいね。私も練習に付き合ってあげる」

「邪魔するだけじゃね?」

「なによっ、凛が落とされないように、ちゃんと見張っててあげるんだからっ」


 2人はそんな言葉を交わしながら、凌空と結芽は部室へと向かっていく。

 悠は、自分が行っても何もできない気がして、その場に立ち止まったままだった。




 部室の扉を当然のように結芽が開け、凌空はそのまま部室の中へと入る。

 そして目的のソファの前にくると、またも当然のように結芽が凛を支えながら、慎重に凛をソファの上へと寝かせた。

 互いに指示をしなくとも、自然と協力できるのも幼馴染だからこそ、なのかもしれない。


「だいぶ、落ち着いたな」


 凌空は言いながら、凛の顔にかかる髪を払った。

 先ほどの蹲っていた時から比べると、随分顔色もよくなったように思えた。

 薬がちゃんと効いているようだ、と凌空はほっと息を吐き出す。


「凌空……」


 凌空を呼ぶ、か細い凛の声。

 それは、結芽には聞こえなかったけれど、凌空にははっきりと聞こえた。


「結芽、悪いけど、先に戻っててくれないか?」

「いい、けど……」


 正直、もう少し凛の様子を見ていたい気持ちが結芽の中にはあった。

 しかし、2人して傍に居てもしょうがないし、マネージャーがともに不在なのもよくないかもしれない。


「凛、また、あとで様子見にくるね」


 結芽は、どこか後ろ髪を引かれるような思いを抱えながらも、凛に声をかけ、その場を後にした。

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