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第11話


「凛は、もういいの?」


 先に体育館へと戻った結芽に、悠は真っ先に声をかけた。


「うん。凌空はまだ付き添ってるけど、だいぶ落ち着いたみたい」

「そっか、よかった。あんなに苦しそうなの、はじめて見たからびっくりしたよ」


 あんな風に誰かが発作を起こすなんて、悠にとってはドラマやアニメの世界のことだった。

 まさか、自身の目の前でそんなことが起きるなんて、想像もしていなかったのだ。


「ああいうの、よくあるの?」

「そんなにしょっちゅうじゃないけど、まぁ、たまに……」

「そうなんだ。凌空、随分手慣れた様子だったもんね。結芽もああいうの、できるの?」


 身体が動かなかった悠とは違い、凌空はあっという間に薬を飲ませ凛を落ち着かせた。

 結芽もまた、凛が倒れる前に凛の様子に気づき、その身体を支えていた。

 どちらも、経験なしに簡単にできるようなことではない。


「まぁ、小さい頃から、一緒にいるから」


 いつも必ず凌空が傍にいるわけではない。

 結芽だって、凛が薬を飲むのを手伝った経験くらいは当然ある。


「面倒だって、思った?」

「え?」

「凛のこと、面倒だって思った?いつもそうなの、みんな、せっかく凛と仲良くなっても、ああいうの見ちゃうと、すぐに凛から離れていっちゃうの」


 そのたびに、気にしていない風を装いながら、凛が傷ついてきたのを結芽は傍で見てきた。

 悠もそうならば、凛はまたしても傷ついてしまう。

 そして、そうなれば、結芽はもう悠の傍にはいられないと思った。

 きっと悠の話をするたび、凛は落ち込み、傷つくはずだ。


(違うって言って、じゃないと、私、悠を諦めなきゃいけなくなる……)


 凛を傷つけてまで、悠と付き合うという選択肢は結芽にはなかった。

 だから、凛が受け入れられないなら、その場で全て諦める覚悟で、結芽は訊ねたのだ。


「びっくりしたけど、面倒だって思ったりはしないよ。ただ、俺は何もできなかったから、申し訳ないなって……」


 悠の言葉に、結芽はただほっとした。


(やっぱり悠は優しい人、他の人とは違う)


 自分の見る目は、間違っていなかったのだと結芽は思った。


「また、あんなことがあったら、すぐに私か凌空を呼んで?それだけで、いいから」

「でも、凛は呼んでほしくなさそうだったけれど」


 悠は、苦しそうにしながらも、必死に首を振っていた凛を思い出す。


「凛は、私たちに心配かけないようにって、ぎりぎりまで一人で無理しちゃうの。だから、絶対に呼んで、凛が拒否しても、絶対」

「わかった。今後はすぐに結芽たちに知らせるね」

「ありがとう」


 凛のことを気遣ってくれる人が増えた。

 結芽はただ、そのことを純粋に喜んでいた。




 一方の部室では、凌空と凛の2人きり。

 凛はなんとか凌空の誤解を解きたいと思ったけれど、どう切り出せばいいかわからず頭を悩ませていた。


「凌空、あの、あのね……」


 そこまでで、凛の言葉は止まってしまう。


(私からじゃなかったとしても、結芽を傷つけるようなことだったのは変わらない。凌空は、許してくれないかも……)


 そんな不安に襲われ、凛はそれ以上何も言えなくなってしまっていた。

 すると、凌空から溜息が聞こえてきて、凛はますます不安になり、ぎゅっと目を閉じた。


「まだ、身体辛いんだろ。今はとりあえず、ゆっくり休め」


 凌空はそれだけ言うと、立ち上がった。

 また、どこかに行ってしまう、今度こそ引き留めなくては、と凛は震える手を必至に伸ばして凌空の服を掴んだ。


「まだ、どこにも行かねーよ」


 凌空はやんわりとその手を掴むと、凛の身体の上に戻す。

 それから、きょろきょろと辺りを見渡した。


(都合よく、なにかあったりはしないか)


 凌空はただ、ソファに寝かせているだけでは心もとない気がして、何かかけてやりたいと思って立ち上がっただけだった。

 けれど、毛布か何か、と辺りを見渡してみたところで、そんなものが視界に映ることはなかった。


(これなら、保健室でベッド借りた方がよかったな)


 放課後だったから、もう誰もいないかもしれないと、凌空は保健室へ駆け込むのは遠慮していた。

 そのことを、今になって少しだけ後悔しながら、いろいろ迷った結果、ようやくあるものを手にし、凛へとかけた。


「これ、凌空の……」

「何もないよりは、マシだろ」


 かけられたのは、凌空のジャージだった。


「いい、の……?」

「ああ」


 凌空が自分のジャージを、わざわざ掛けてくれた。

 それだけで、凛はなんだか全てを許してもらえたような気がした。


(あったかい)


 凛は、自身を奮い立たせるように、かけられたジャージをぎゅっと握った。


「あのね、凌空、さっきは……悠に、声をかけられただけなの。ずっと休んでたの、心配してくれて」


 唐突に話し出したけれど、凌空はさっきのように立ち去ったりはしない。

 ちゃんと聞いてくれている、それだけで凛はほっとする。


「それでね、また、一緒に出掛けるかもしれないから、名前呼んでって」

「悠が、そう言ったのか?」

「うん」


 頷けば、凌空は顎に手をあて、何か考えるような素振りを見せた。


「あいつ、なんで……」

「でもっ、でも、ね、凌空がダメって言うなら、もう、呼ばないから、だからっ」

「落ち着け、凛。興奮すると、また発作が起きる」


 凌空は凛と視線をあわせるようにしゃがみ込み、落ち着かせようと凛の身体をぽんっと叩く。

 顔色は少しマシになったとはいえ、凛はまだ呼吸するのも喋るのも辛そうだった。

 この状況で下手に興奮すれば、また発作を起こしかけない。

 それだけは避けたくて、凌空はとにかく凛を落ち着かせることに必死だった。


「名前を呼ぶくらい、凛の好きにしていい。俺の許可なんか、いらねーだろ」

「で、でもっ」

「さっきは、俺も怒鳴って悪かった」

「凌空は、悪くないよっ、私が……っ」

「だから、興奮すんなって」


 今度は凛の手をぎゅっと握ることで、凌空はなんとか凛を落ち着かせようとする。


「おまえは何も悪くねーから、今はとにかく楽にしてろって、な?」


 ようやく凛が身体の力を抜いたような気がして、凌空はほっと息を吐く。


「よく考えれば、わかることなのにな。おまえが、結芽を裏切るようなことするはずないって」


 落ち着いてきた様子の凛を見ながら、凌空はどこか自嘲気味に呟いた。


「凌空?」

「ちょっと、気が立ってたみたいだ」


 凛が凌空を見上げると、凌空は困ったような笑みを浮かべている。


「凛の言う通りだよ」

「え?」

「俺は、結芽が好きだ」


 ようやく、凌空が打ち明けてくれた。

 これで一歩前進できる、凛はそう期待した。

 けれども、その期待はすぐに打ち砕かれることになる。


「だったら……っ」

「でもさ、だからこそ、結芽の恋を応援したいって、本気で思ってるんだ」


 そう言った凌空は、穏やかな表情でとても落ち着いた様子だった。

 だからこそ、凛は何も言えなくなってしまう。


「おまえも、俺のことを考えてくれるならさ、一緒に結芽を応援してくれよ、な?」


 凛は頷きたくなかった。

 凛が応援したいのは、結芽ではない、凌空なのだ。

 けれど、凌空の表情を見ていると、頷いてしまいそうになっていた。


「凛だって、結芽が嬉しい方が、いいだろ?」


 幼い頃からの、凛の口癖だった。

『凌空が嬉しい方が嬉しい』、『結芽が嬉しい方が嬉しい』、そうして凛はいつだって自分の選択よりも凌空や結芽の選択を優先させてきた。

 凌空はそのことを、誰よりもよく知っているのだ。


(ずるい、そんな風に言われたら、断れない)


 このままでは、原作と同じ結末になってしまうのに。凌空が、幸せになれないのに。

 けれど、凛がやろうとしていることは、他でもない凌空に望まれてはいなかった。


(それなら私、何のためにここにいるんだろう……)


 凛は自分のやるべきことを見失い、暗闇の中で迷子にでもなったかような感覚に陥っていた。

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