彼女が目を覚ますと、記憶がまっさらになっている。
この場所は、たぶん酸素がない。彼女は起き上がるとさらさらの大地に右手をついて、周囲をおもむろに見回した。ふと自身の色白な右腕が白光に晒され淡く滲むのを目撃し、短く息を漏らす。彼女は朧気な意識の中でしばらく漫然とした視線を泳がせる。
次に彼女は、天を見上げる。終わりのない暗闇が遠くまで続いていて、呑み込まれて捕食されると二度と帰ってこられないような深淵が、どこまでも、どこまでも伸びている。見つめるほど意識は肉体から引き剥がされ、闇の奥底にさらわれる感覚に苛まれ、心が不安を訴える。彼女は堪えきれず目を逸らす。
目の前には地球と呼ばれるものがあった。息を呑む光景でありながら、それは刻々と傷跡を体現している。
いきなり頭に痛みが通る。
目を擦ると、地球が見たことのない形をしていた。
三つに分裂し、地球だったものは、それぞれ三原色の海になって闇を漂っていた。それは、もう球ではない。それは漂う地である。
彼女の脳に稲妻が轟いた。その雷光が目の裏を焼き付け、激しく点滅し、平衡感覚が暴れ出す。彼女は両手をついた。記憶の蓋が開きかけているのだ。
そのとき彼女は、自身が眠っていたカプセルに小さなカメラがあることに気づいた。
カメラを持ち上げる。……なぜか使い方がわかった。いや、それはきっと、体に染み込んだ動きだったからだと彼女は手応えから解釈する。
カメラの電源を入れると、静かに電子モニターが光り、画面に文字が浮かび上がる。読めないそれらの記号は、まるで、アイ、アール、ユー……そんな音で呼ばれそうな姿をしていた。けれど彼女の口からそれらの音は出てこない。念入りに試行錯誤しても、ただ漠然と知らない言語の文章だとしか理解できなかった。
カメラはメニュー画面らしき場所に辿り着いた。彼女は身に覚えのないはずの慣れた手つきで『写真』という項目を選択し、中に入っているデータを開いた。その一連の動作もある意味では、よく慣れているような手応えがある気がする。
そして彼女の身体にひとさじの液体が垂らされた。ただしそれはひんやりと冷たい冷水ではなく、ほのかの暖かく甘い蜂蜜のようなどろどろした液体である。痛みはなかった。言い表すことが難しいが、これは、孤独に近い感触。だが、それを孤独と呼ぶにはあまりに無害で、触れるとぬるりと暖かく甘味のある心地よさが、ほとほと指先から広がり、小さく生じた懐かしさが規模を拡大していった。にわかに彼女は、綻んだ表情を暗闇に滲ませる。
カメラに残っていたデータの中に、自分が写っていたからだと彼女は理解する。
「…………」
一枚一枚、静かに優しく眺めていく。――写真。
見れば見るほど浸透するように、記憶がゆっくりと修復されていった。
そして暗香疎影の霧の中で、友の名前を思い出し、先輩を思い出し、恋人の名前を思い出し、ゆっくりと、時に囚われず、彼女はカメラのデータを読書していった。
捲れば捲るほど、それは彼女に、優しく浸透する。
こうして私は、二千三枚の写真データに意識を沈めた。