「『流れ星は宇宙の涙』って知ってる?」
ムラサメが隣を歩きながら最近流行っているインディーバンドの曲名を聞かせると、鞄を右手から肩に投げガニ股で歩くナカムラは「はぁ」と呆れて息を吐いて毒づいた。
「本当に朝からバカバカしいなぁお前」
「ひどくなぁい?」
この時間になると二人のいつもの喧嘩はたいてい始まり、そして、駄菓子屋と役所の隙間から漏れる夏風がスカートの間を通り抜けると共に、その喧嘩は一通りオチがついて終わる。
私達は鐘の鳴る校内に入った。
下駄箱の近くで、古びた青いジャージを着た体育教師が権威を誇示するように、竹刀を地面に突っ張って仁王立ちしている。まるでお城の番人みたいだ。
私とムラサメがこつこつと階段を上がり始めると、横からナカムラは階段を一段飛ばし彼はさっさといってしまった。
ムラサメはスマートフォンを見ながら小さく鼻歌を口ずさんでいた。
教室がある階へ到着した。ふと廊下から見渡せる山で、虫たちの声が夏をたたえて合唱を始めた。その合唱は一匹の蝉から始まり、音はいつの間にか重なっている。それぞれが一定のリズムで、大合唱を一体化させていた。
まるであの体育教師の如く、自身の存在を人間へ知らしめるために、虫たちは大声で騒ぎ立てているように感じた。
「こういう風景は撮影しないんだなぁ」
ムラサメが唐突に振り返ってそうぼやいた。
私は頷いて「あんまりね」とぼそぼそと答えを濁す。
「私にしてみれば牧歌的な田舎の景色も、都会の人たちにしてみれば綺麗だったりすると思うんだけど。これって、もしかして私達は損しているのかな?」
彼女は合唱に耳を傾けながら視線を山に注いでいる。
「損?」と私が聞き返すと、ムラサメは頷く。
「絶景から近すぎて本当は美しいものに気が付かないって、不幸じゃない?」
何か遠い物をぎゅっと凝視しながらムラサメは云った。
私は空気を吸って口を動かす。嫌いな小声を力いっぱい張る。
「そうは、思わなぃ」
「ほほう」ムラサメは興味深そうに意識を私に向けた。
ぎょっとしたが、私は自分を駆り立てる。
「絶景っていうぅのはもっと、主観的に決まるもの。都会の人にとって田舎が絶景なら、田舎人にとっての都会も、また絶景、なのかもしれないよ」
気合を入れていたが、言い終わりにかけて音量を下がり、力が抜けるような喋り方になっていた。
「言われてみれば確かにねぇ」
ムラサメは納得したような表情を浮かべて、遠い物をじっと見つめた。
私は彼女の反応に安心して肩の力を抜いた。
心を奪われる景色は、わりとそこらへんにあると思う。
いつも見ている建物でも見る角度を変えるだけで違った印象があるように、そこに近ければ近いほど、私達はその潜在的な美しさに気がつけないのかも。
「あ、朝練の野球部だ。真面目だね~」
ムラサメはそう物珍しそうにしながら「がんばれー」と手を振った。私は背が低いから窓の外にあるグラウンドは見えない。
「村雨さん」
村雨サン。
「ん? どうしたの?」
「私を持ち上げてくれませんか?」
「え?」
村雨は私の脇をかかえ「軽っ」と言いながらもグラウンドを見せてくれた。
私は両手でカメラを持って、夏の大合唱を背景にグラウンドで朝練をする野球部員を撮影した。その写真はよく見ると少し右に傾いている。この傾きは、村雨が私を持ち上げた影響で出来た傾斜である。そういう物語も含め、この写真に記録された。
まだ当時はカメラを持ち歩いているだけだった私の、貴重な一枚である。