最近、浅井の姿が見当たらないと思っていた。
今日は浅井が何をしているか何となくつけてみた。すると、彼はどうやら避難所のダンボールの一室に足を踏み込んでいるようだ。僕は思い切って顔を覗かせてみた。
「ああ、村瀬か」
浅井は僕を見て顔色を変えずに云った。
「何をしているんだい?」
「見てわからないか」
浅井は座り込んで敷布団の中で眠っている女性の濡れタオルを交換していた。
「看病だよ」
看病。と言われたとき、そういえば彼には医術の心得があったことをふいに思い出した。
随分前にそういう場所で一瞬だけ働いていたと。
浅井は陽徒避難所の中でたった一人の廃人の治療をしていた。
彼女の名前は佐々木華菜(ささきかな)。佐々木通の母親にして、彼を守って壊れてしまった暴徒の被害者だ。僕らがここに来た時からこの場所で保護されていて、渋木奈々子さんと中村くんが交代で様子を見ているらしい。
そんな中、最近の中村くんや渋木奈々子の看病グループに入って、ここに足繫く通っていたみたいだ。
「君って前は何していたんだっけ?」
僕はダンボールの部屋の外から、小声で尋ねる。
「黒歴史だ。口外禁止でな」
浅井は僕の気遣いを無下にしてはきはき語る。
「口外禁止? 僕が秘密を守るのは知っているだろう?」
「そうじゃない。口外禁止だから、俺も口にすることができない」
「自分で禁止してるの?」
浅井は無言で肯定する。変な奴だ。
「そういうお前こそ」
浅井はとつぜん口を開く。
「最近は子供のおもりで大変そうだな」
「そうでもないよ。フォトスポットになりそうな場所まで連れていくのは苦でもない。たまにカメラについて教えてくれるしね」
「へっ」浅井は鼻で笑った。なんて嫌味な奴なんだ。
「それで、中村くんは最近どう?」
僕が浅井に尋ねる。
「あいつと奈々子が準備を進めてくれている。長期遠征用の物資の保管、そして武器になりそうなものを探してくれているよ」
「渋木さんも知っているの?」
「いいや、教えてはないぞ」
「ふむ。浅井。もしかして自分は家に引きこもって年寄りをこき使っている?」
「全くその通りだが、何か問題でも?」
相変わらず精神が図太いな。僕は一歩引く。
「まったく……分かったよ、せっかくなら進捗は直接本人たちに聞く事にするよ。遠征についても、準備が整いしだい細かく決めよう」
「了解」
僕はダンボールの一室に背を向け、モールの入口で待っている二人の子供たちの為に避難所を出た。ふいに、僕は浅井がいた華菜の部屋にあった二つのものを思い出す。
あれはカルテだ。彼が彼なりにつけている彼女の状態だろう。彼の過去はあまり覚えていないが、今の彼を見ると、やっぱり優しいのだなと感心した。
浅井亀太郎は僕以上に不器用な男だ。人より学問に人生を捧げて来た彼は、心の奥底で人の温もりを希求している側面がある。彼の孤独はときより僕らの前に顔を出すが、そのどんよりとした虚しさの鮮明さは僕の脳に確かな爪痕を残しているし、思い返すたび心が静まり返ってきゅーうと閉まる感覚がある。
彼の孤独は計り知れない。
僕は彼の孤独を知っているが、僕だったらもう心を病んでいるだろう。
まあ、彼は自分の弱い一面を、学問に精通して賢くなればなるほどその隠ぺいが上達している。よほどのことがない限り、彼の暗部は垣間見えないだろう。ただ、あのダンボールの部屋の中には少し、虚実の匂いがした。
「たまには散歩に誘ってやるか」
僕は呟いて、カメラを起動した。
何にもない暗闇を撮影すると、何故だか不思議な満足感があった。