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第一章 モンスター図鑑

魔法剣士の少年

「うう……。うあ……?」

 紅蓮の炎と白い煙の中、僕は意識を取り戻す。


 体は痛むが、ケガはしていない。

 周囲に落ちている剣と本を手繰り寄せつつ、ゆっくりと立ち上がる。


「僕は……。そうだ、巨大なモンスターと戦ってたんだ……。あの人は……? みんなは……?」

 家屋が燃えている。モンスターが倒れている。人が倒れている。


 遠方から激しい戦いの音が聞こえてくる。

 目覚めきっていない体を引きずりつつ、音が鳴る方へと向かうことにした。


 道中、いくつかのモンスターが僕に襲い掛かって来た。

 強い個体ではなかったらしく、剣を振り、魔法を使うだけで撃退に成功する。


 突如、村へと襲撃してきたモンスターたちと、僕――いや、僕たちは戦っていた。

 初めのうちは優位に戦いを進められていたが、巨大、かつ強力なモンスターが出現したことで、戦局は不利へと一気に傾いてしまったのだ。


 僕が倒れなければ、このような状況にならなかったかもしれない。

 この村に住む人々が、倒れることはなかったかもしれない。


 近くの家屋が燃え落ちるのと同時に、戦いの音が止む。

 戦いは勝利に終わったのだろうか。彼は無事だろうか。


 彼が負ける姿など想像できない。だがなぜか、嫌な予感が胸の中を満たしていく。

 不安を抑えることができず、僕は走り出した。


 やがて僕の瞳は、倒れる一人の人物を映し出す。

 赤い液体に仰向けに倒れる、黒い衣服をまとった男性。彼のそばに剣と本が落ちていた。


「マスター……? マスター!!?」

「ソラ……かい? 良かった、無事、だったんだね……」

 マスターはまだ生きている。回復魔法は不得意だが、何としてでも傷を癒さなければ。


 だが、傷から溢れる液体は固まらない。

 それどころか、赤い水たまりはますます広がっていく。


 僕の回復魔法では、彼を救えないことを意味していた。


「だ、誰か……! 誰かを呼んで来れば……!」

 現在いる場所は魔導士の村。きっと、マスターを癒すことができる人がいるはずだ。


 その人物を探そうと立ち上がるのだが。


「……この傷は、魔法ではとても癒せるものではないさ。私のことは放っておいて、君は逃げるんだ。いいね?」

「な、何を言っているんですか! あなたは僕たち魔法剣士のリーダーです! ここで命果てるなんて、誰も望みません!」

 目の前で倒れている人物が誰であろうと、まだ命ある者を見捨てられるわけがない。


 言葉を無視し、生存者を探そうと歩み出そうとしたその時。


「……魔法剣士マスターとして命令する。この村を守る任務を放棄し、脱出しろ」

 僕の背に向け、マスターは非情な言葉を下す。


 それは崩壊していくこの村を捨てると同時に、彼をも捨てろという命令だった。

 当然、そのような命令を認めることができず、食って掛かるのだが。


「もう、私は助からない……。だが、マスターとして、一人の大人として、君には生きてもらわなければならない……。だから、命令をした。逃げろと言う命令を」

 乱れた呼吸交じりの言葉が、僕の心を締め付ける。瞳からは涙があふれ出し、両手両足から力が抜けていく。


 救えない自分が恨めしかった。

 恩返しができない自分が悔しかった。


「私は幸せだった……。君に世界を生きていく力を教えられたこと、一人前の魔法剣士になってくれたことが。もう、私の手を借りずとも、歩いて行ける力を得た君を見て、満足できたのさ」

「嫌です……! もっと、見ていてください……! もっと、教えてくださいよ……!」

 赤く濡れたマスターの手が、僕のほおに触れる。


 その手を握り返すも、弱々しい力しか返ってこない。


「私の魔導書を、持っていけ……。それがあれば、きっと、お前は歩み続けられる」

「そんなの欲しくありませんよ……! あなたが生きてくれれば、それでいいんですから……!」

 力でも、言葉でもマスターを救えない。


 彼の最期の温もりを、味わうことしかできない自分を呪う。


「ソラ……。私に会いに来てくれてありがとう……。これからも、見守って――」

 マスターの手が、力なく滑っていく。


 赤い水たまりにぱしゃりと落ちた手は、一寸たりとも動き出すことはなかった。


「おきてくださいよ……! こんなところで、いなくならないでくださいよ……! ケイルムさん……!」

 僕は絶叫し、大粒の涙を流した。


 大切な人の、彼女の悲鳴が聞こえたその瞬間まで。



 あれから五年。

 事件が起きた村から遠く離れた場所で、とある実験をしながら僕は暮らしていた。


 火にくべた実験器具は白い煙を吐き出し、中にある液体がゴポゴポと音を立てる。

 それを別の容器に移し、冷ましてから黒い液体と混ぜ合わせていく。


「よし、出来上がったインクで魔法陣を描けば……」

 ペンの先に混ぜ合わせた液体を付け、用紙の上に円を描き、続けて太陽を模した紋様へと描き替えていく。


 あと少しで研究が成就する。そう思った瞬間。


「うわ……! まずい!」

 ペンを掴んだまま逃げだすも時すでに遅く、用紙に描かれた紋様は光を発し、強い熱を生み出して爆発を起こしてしまった。


「ゲホッ……。ゴホゴホ……。くそぉ……。また失敗か……!」

 溜息を吐きつつ立ち上がると、背後の扉がものすごい勢いで開かれる。


 扉を潜り抜けて現れたのは、黄色いエプロンをかけた少女だ。

 彼女は、黒というよりは紺に近い色の髪を腰近くまで伸ばしている。


「大丈夫ですか!? ものすごい音が聞こえてきましたけど……!?」

「たはは……。実験に失敗しちゃった……。あともうちょっとだと思ったんだけど……」

 苦笑しながら自身の髪に触れると、爆発の衝撃でぼさぼさになっていることに気付く。


 衣服や露出した肌も黒く染まっており、現在の僕は見るに堪えない姿となっているのだろう。


「気を付けてくださいね……。爆発のせいで、部屋にも扉にも穴が空いちゃっているじゃないですか……。この分はソラさんの食事から引いておきますか」

「うぇえ!? そんなご無体な……。ナナだって実験を失敗することもあるのに……」

「私は部屋を真っ黒こげにするような実験はしません!」

 怒った様子で部屋の外へ出ていこうとする少女――ナナのことを、僕はこの世の終わりを見るような目で見つめた。


 その視線に気づいたのか、彼女は頬をふくらませた状態で振り返りつつ、こう告げる。


「そのまま実験を続けるのはダメですからね。再開するのなら、お掃除と服を洗ってからにしてください」

「はい……。分かりました……」

 言われた通り、真っ黒こげの部屋から洗面台へと向かい、取り付けられている鏡をまじまじと見つめる。


 想像通りのひどい姿が映り、大きくため息を吐く。


「実験、なかなかうまくいきませんね……」

「それでも、必須となるインクの製作まではこぎつけられたんだ。ここで諦めるわけにはいかないさ」

 リビングから聞こえてくるナナの声に返事をしつつ、洗面台に水を溜める。


 脱いだ服たちは洗面台の隅に丸めて置き、溜まった水を使って顔と髪を洗う。

 ある程度洗い終え、掛けられている鏡を見つめると、黒い前髪の一部が真っ白に染まった、自分自身の姿が映っていた。


 少しくらい、たくましい顔つきになれただろうか。

 あと一年程度で大人の仲間入りだというのに、いつまでも情けない顔をしているわけにはいかない。


「まだまだ、かなぁ……。五年も経っていることだし、そろそろ乗り越えたいんだけどなぁ……」

 ぶつぶつと呟きながらも着替えと洗浄を終わらせ、先ほどまで着ていた服を持って家の外へ続く扉を開く。


 今日の天気は快晴。空気は若干湿っぽいが、降り注ぐ日光は肌を焼きそうだ。

 水遊びには最適な日柄だが、まずはするべきことをやってしまおう。


 既に洗濯物が掛けられている物干し竿に近寄り、そばに置かれている洗濯用の桶の中に水を溜め、さらに汚れた服と洗剤を投入する。


「汚れ物はこれだけだし、魔法で洗濯をしちゃおうかな」

 目を閉じて静かに集中し、使いたい魔法を心に思い浮かべる。


 自身に流れる力に意識を向け、言葉と共に一気に開放する。


「ホイールウインド!

 周囲を漂っていた風が桶の中に集まり、中身をかき回し始めた。


 水は渦となって洗剤を泡へと変化させ、服を洗いだす。


「洗濯が終わるまで――ちょっと休憩するかな……」

 洗濯を風に任せ、僕は家の中へと戻る。


 リビングの置かれた椅子に座る前に、飲み物を取りにキッチンへと向かうと。


「あ、お顔は洗い終わったんですね。ちょっといいですか?」

「何か用事があるのかい? 聞かせてもらうよ」

 食器の洗い物をしていたナナが声をかけてきた。


 彼女のそばにより、耳を傾ける。


「アマロ村の冒険者ギルドから、ソラさんに何か用事があるみたいなんです。時間がある時で構わないので、来てくれと言われていたのを思い出したので」

 接点などほとんどないのに、冒険者ギルドから僕あてに用事など珍しい。


 よっぽど重要な話なのだろうか。


「部屋の修理をお願いしに村に行く必要があったから、丁度よさそうだね。他に何か用事はないかな?」

「じゃあ、食材と日用品のお買いものもお願いしていいですか? 今日のお夕飯に食べたい物を買ってきていただければ良いので」

 リビングに置かれているテーブルに移動し、メモの準備をするナナ。


 水分を取るだけの休憩を終えた後、できあがった買い物用のメモを手に、外出の準備を始める。


「お洗濯の続きは私がやっておきますので。道中、モンスターに気を付けてくださいね」

「了解。じゃあ行ってくるよ」

 玄関の扉を開け、高原にある僕たちの家から目的地である集落を見下ろす。


 決して大きいとは言えないのどかな村、あれが僕たちの暮らすアマロ村だ。

 村の近くには大きな湖があり、太陽の光が反射して美しく輝いている。


「ギルドから僕に用事か……。一体何の話が待っているのかなっと」

 聞かされる内容を想像しながら、僕はゆっくりと坂道を下ってゆくのだった。

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