「うう……。うあ……?」
紅蓮の炎と白い煙の中、僕は意識を取り戻す。
体は痛むが、ケガはしていない。
周囲に落ちている剣と本を手繰り寄せつつ、ゆっくりと立ち上がる。
「僕は……。そうだ、巨大なモンスターと戦ってたんだ……。あの人は……? みんなは……?」
家屋が燃えている。モンスターが倒れている。人が倒れている。
遠方から激しい戦いの音が聞こえてくる。
目覚めきっていない体を引きずりつつ、音が鳴る方へと向かうことにした。
道中、いくつかのモンスターが僕に襲い掛かって来た。
強い個体ではなかったらしく、剣を振り、魔法を使うだけで撃退に成功する。
突如、村へと襲撃してきたモンスターたちと、僕――いや、僕たちは戦っていた。
初めのうちは優位に戦いを進められていたが、巨大、かつ強力なモンスターが出現したことで、戦局は不利へと一気に傾いてしまったのだ。
僕が倒れなければ、このような状況にならなかったかもしれない。
この村に住む人々が、倒れることはなかったかもしれない。
近くの家屋が燃え落ちるのと同時に、戦いの音が止む。
戦いは勝利に終わったのだろうか。彼は無事だろうか。
彼が負ける姿など想像できない。だがなぜか、嫌な予感が胸の中を満たしていく。
不安を抑えることができず、僕は走り出した。
やがて僕の瞳は、倒れる一人の人物を映し出す。
赤い液体に仰向けに倒れる、黒い衣服をまとった男性。彼のそばに剣と本が落ちていた。
「マスター……? マスター!!?」
「ソラ……かい? 良かった、無事、だったんだね……」
マスターはまだ生きている。回復魔法は不得意だが、何としてでも傷を癒さなければ。
だが、傷から溢れる液体は固まらない。
それどころか、赤い水たまりはますます広がっていく。
僕の回復魔法では、彼を救えないことを意味していた。
「だ、誰か……! 誰かを呼んで来れば……!」
現在いる場所は魔導士の村。きっと、マスターを癒すことができる人がいるはずだ。
その人物を探そうと立ち上がるのだが。
「……この傷は、魔法ではとても癒せるものではないさ。私のことは放っておいて、君は逃げるんだ。いいね?」
「な、何を言っているんですか! あなたは僕たち魔法剣士のリーダーです! ここで命果てるなんて、誰も望みません!」
目の前で倒れている人物が誰であろうと、まだ命ある者を見捨てられるわけがない。
言葉を無視し、生存者を探そうと歩み出そうとしたその時。
「……魔法剣士マスターとして命令する。この村を守る任務を放棄し、脱出しろ」
僕の背に向け、マスターは非情な言葉を下す。
それは崩壊していくこの村を捨てると同時に、彼をも捨てろという命令だった。
当然、そのような命令を認めることができず、食って掛かるのだが。
「もう、私は助からない……。だが、マスターとして、一人の大人として、君には生きてもらわなければならない……。だから、命令をした。逃げろと言う命令を」
乱れた呼吸交じりの言葉が、僕の心を締め付ける。瞳からは涙があふれ出し、両手両足から力が抜けていく。
救えない自分が恨めしかった。
恩返しができない自分が悔しかった。
「私は幸せだった……。君に世界を生きていく力を教えられたこと、一人前の魔法剣士になってくれたことが。もう、私の手を借りずとも、歩いて行ける力を得た君を見て、満足できたのさ」
「嫌です……! もっと、見ていてください……! もっと、教えてくださいよ……!」
赤く濡れたマスターの手が、僕のほおに触れる。
その手を握り返すも、弱々しい力しか返ってこない。
「私の魔導書を、持っていけ……。それがあれば、きっと、お前は歩み続けられる」
「そんなの欲しくありませんよ……! あなたが生きてくれれば、それでいいんですから……!」
力でも、言葉でもマスターを救えない。
彼の最期の温もりを、味わうことしかできない自分を呪う。
「ソラ……。私に会いに来てくれてありがとう……。これからも、見守って――」
マスターの手が、力なく滑っていく。
赤い水たまりにぱしゃりと落ちた手は、一寸たりとも動き出すことはなかった。
「おきてくださいよ……! こんなところで、いなくならないでくださいよ……! ケイルムさん……!」
僕は絶叫し、大粒の涙を流した。
大切な人の、彼女の悲鳴が聞こえたその瞬間まで。
●
あれから五年。
事件が起きた村から遠く離れた場所で、とある実験をしながら僕は暮らしていた。
火にくべた実験器具は白い煙を吐き出し、中にある液体がゴポゴポと音を立てる。
それを別の容器に移し、冷ましてから黒い液体と混ぜ合わせていく。
「よし、出来上がったインクで魔法陣を描けば……」
ペンの先に混ぜ合わせた液体を付け、用紙の上に円を描き、続けて太陽を模した紋様へと描き替えていく。
あと少しで研究が成就する。そう思った瞬間。
「うわ……! まずい!」
ペンを掴んだまま逃げだすも時すでに遅く、用紙に描かれた紋様は光を発し、強い熱を生み出して爆発を起こしてしまった。
「ゲホッ……。ゴホゴホ……。くそぉ……。また失敗か……!」
溜息を吐きつつ立ち上がると、背後の扉がものすごい勢いで開かれる。
扉を潜り抜けて現れたのは、黄色いエプロンをかけた少女だ。
彼女は、黒というよりは紺に近い色の髪を腰近くまで伸ばしている。
「大丈夫ですか!? ものすごい音が聞こえてきましたけど……!?」
「たはは……。実験に失敗しちゃった……。あともうちょっとだと思ったんだけど……」
苦笑しながら自身の髪に触れると、爆発の衝撃でぼさぼさになっていることに気付く。
衣服や露出した肌も黒く染まっており、現在の僕は見るに堪えない姿となっているのだろう。
「気を付けてくださいね……。爆発のせいで、部屋にも扉にも穴が空いちゃっているじゃないですか……。この分はソラさんの食事から引いておきますか」
「うぇえ!? そんなご無体な……。ナナだって実験を失敗することもあるのに……」
「私は部屋を真っ黒こげにするような実験はしません!」
怒った様子で部屋の外へ出ていこうとする少女――ナナのことを、僕はこの世の終わりを見るような目で見つめた。
その視線に気づいたのか、彼女は頬をふくらませた状態で振り返りつつ、こう告げる。
「そのまま実験を続けるのはダメですからね。再開するのなら、お掃除と服を洗ってからにしてください」
「はい……。分かりました……」
言われた通り、真っ黒こげの部屋から洗面台へと向かい、取り付けられている鏡をまじまじと見つめる。
想像通りのひどい姿が映り、大きくため息を吐く。
「実験、なかなかうまくいきませんね……」
「それでも、必須となるインクの製作まではこぎつけられたんだ。ここで諦めるわけにはいかないさ」
リビングから聞こえてくるナナの声に返事をしつつ、洗面台に水を溜める。
脱いだ服たちは洗面台の隅に丸めて置き、溜まった水を使って顔と髪を洗う。
ある程度洗い終え、掛けられている鏡を見つめると、黒い前髪の一部が真っ白に染まった、自分自身の姿が映っていた。
少しくらい、たくましい顔つきになれただろうか。
あと一年程度で大人の仲間入りだというのに、いつまでも情けない顔をしているわけにはいかない。
「まだまだ、かなぁ……。五年も経っていることだし、そろそろ乗り越えたいんだけどなぁ……」
ぶつぶつと呟きながらも着替えと洗浄を終わらせ、先ほどまで着ていた服を持って家の外へ続く扉を開く。
今日の天気は快晴。空気は若干湿っぽいが、降り注ぐ日光は肌を焼きそうだ。
水遊びには最適な日柄だが、まずはするべきことをやってしまおう。
既に洗濯物が掛けられている物干し竿に近寄り、そばに置かれている洗濯用の桶の中に水を溜め、さらに汚れた服と洗剤を投入する。
「汚れ物はこれだけだし、魔法で洗濯をしちゃおうかな」
目を閉じて静かに集中し、使いたい魔法を心に思い浮かべる。
自身に流れる力に意識を向け、言葉と共に一気に開放する。
「ホイールウインド!
周囲を漂っていた風が桶の中に集まり、中身をかき回し始めた。
水は渦となって洗剤を泡へと変化させ、服を洗いだす。
「洗濯が終わるまで――ちょっと休憩するかな……」
洗濯を風に任せ、僕は家の中へと戻る。
リビングの置かれた椅子に座る前に、飲み物を取りにキッチンへと向かうと。
「あ、お顔は洗い終わったんですね。ちょっといいですか?」
「何か用事があるのかい? 聞かせてもらうよ」
食器の洗い物をしていたナナが声をかけてきた。
彼女のそばにより、耳を傾ける。
「アマロ村の冒険者ギルドから、ソラさんに何か用事があるみたいなんです。時間がある時で構わないので、来てくれと言われていたのを思い出したので」
接点などほとんどないのに、冒険者ギルドから僕あてに用事など珍しい。
よっぽど重要な話なのだろうか。
「部屋の修理をお願いしに村に行く必要があったから、丁度よさそうだね。他に何か用事はないかな?」
「じゃあ、食材と日用品のお買いものもお願いしていいですか? 今日のお夕飯に食べたい物を買ってきていただければ良いので」
リビングに置かれているテーブルに移動し、メモの準備をするナナ。
水分を取るだけの休憩を終えた後、できあがった買い物用のメモを手に、外出の準備を始める。
「お洗濯の続きは私がやっておきますので。道中、モンスターに気を付けてくださいね」
「了解。じゃあ行ってくるよ」
玄関の扉を開け、高原にある僕たちの家から目的地である集落を見下ろす。
決して大きいとは言えないのどかな村、あれが僕たちの暮らすアマロ村だ。
村の近くには大きな湖があり、太陽の光が反射して美しく輝いている。
「ギルドから僕に用事か……。一体何の話が待っているのかなっと」
聞かされる内容を想像しながら、僕はゆっくりと坂道を下ってゆくのだった。