「今日は君たちに、この辺りの紹介をしようと思うんだ」
次の日の朝。朝食を取りながら、皆に今日の予定を伝える。
昨日はレイカたちが僕たちの手伝いをしてくれたため、今日は僕たちが彼女たちの手伝いをしようというわけだ。
「いえ、お時間を取らせるわけには……。私たちだけでも大丈夫ですので……」
「遠くに行くってわけじゃないさ。すぐ近くの湖や、アマロ村とかの近場を中心に、ね。いきなりの遠出は、いくら平和なこの地域と言っても危ない可能性があるから」
レイカはゆっくりと首を横に振って提案を断ったが、二人だけで歩き回ることを許容できなかった。
ただでさえ彼女は普通の状態ではないのだから。
「ですが――」
「村にも用事があるから丁度いいのさ。それにね、自分たちだけで見て回るのもいいけど、誰かに教えてもらうことも大事だよ。見て、聞いて、考える。それが見聞の旅だからね」
良いことを言えたと満足し、笑みを浮かべる。
姉弟からも感嘆の声が漏れだす中、ナナだけはクスクスと笑っていた。
「教えることも学びになるし、こっちのことは何も気にしないで。どうかな?」
「聞くことも大事……ですか……」
僕の提案を聞き、レイカは考え込むような仕草を取ってから小さくつぶやく。
どうやら、少しだけとはいえ考えを変えることができたようだ。
「姉さん。僕はソラさんたちに案内をしてもらいたい」
一方のレンはというと、僕たちの言葉に理解を示してくれたらしく、提案を受け入れてくれた。
それでもレイカは乗り気にはなりきれないらしく、困った様子を見せている。
「ソラさんの言う通り、僕たちは見ることだけしかしてこなかった。聞くことも大切なことだと思う」
「レンが言うなら……。きっと、そうだよね……」
レンの訴えを聞き、レイカは目を閉じて深呼吸を始める。
深呼吸を終えるのと同時に目を開き、彼女は僕の顔をじっと見つめた。
どうやら心が決まったようだ。
「すみません。やっぱり、案内をお願いしてもいいですか……?」
「了解! アマロ地方紹介ツアー、お二人様ご案内!」
レイカのお願いに大きくうなずきつつ、笑顔を見せる。
僕の表情を見て、彼女もホッとした表情を見せてくれた。
「じゃあ、ご飯を食べ終えて軽く休憩したら出かけようか。スラランも一緒に来るかい?」
既に食事を終え、コロコロと床を転がっていたスラランにも声をかける。
彼はテーブルの上にまで一気に飛び上がり、キラキラと輝く瞳で僕のことを見つめていた。
「ふふ、昨日はお散歩に行けなかったもんね。ソラさん、私はお留守番をしているので、みんなの誘導はお願いしますね」
「あれ? 君は来ないのかい? 薬は昨日の作業でずいぶん作れたって言ってたけど」
せっかくだから皆で出かけたいと思っていたのだが。
ナナがすべき仕事が、他に何か残っていただろうか。
「薬の瓶詰は終わりましたけど、梱包と箱詰めがまだなんです。薬が必要になり始める頃に詰めるのでは遅くなっちゃうかもしれませんから」
「あ、そっか。じゃあ倉庫から箱を出してこないとダメだね。僕がそれをやってる間に時間もいい感じに経過するだろうし、それが終わり次第出発かな」
残りの料理を口に放り込み、自分が使った食器をキッチンへと運んで水に漬ける。
後の作業はナナに任せ、自身は倉庫に行こうとしていると、おずおずとレイカが声をかけてきた
「あ、あの……。お忙しいのでしたら――」
「こんなの忙しいうちに入らないから、気にしないの。それより出かける準備はちゃんとしておいて。のんびりしてると今度はスラランが文句を言い出しちゃうよ」
リビングから顔だけ出して玄関前の様子をうかがうと、そこには既に移動を済ませているスラランがおり、ぴょんぴょんと飛び跳ねていた。
どうやら、レイカたちと一緒に出掛けられることが楽しみで仕方ないようだ。
「木箱はナナの部屋の前に置いておけばいいよね?」
「それで大丈夫です。すみませんが、よろしくお願いしますね」
ナナに確認を取った後、倉庫へと向かう。
木箱の探索と運び出しを繰り返しているうちに、時計も出かけるにはちょうど良い時刻を指していた。
「さて、そろそろ出かけようか! スララン、待たせたね」
はしゃぐスラランを肩に乗せ、玄関の扉を開く。
今日の天気は曇り空。強い日差しを直接受けずに済むのはありがたいが、旅をする上では少々寂しい天候だろうか。
「さて、いきなり歩き始めるのも良いけど、旅としてはちょっと寂しいよね。まずはこの地域の説明をさせてもらうよ」
「は、はい、お願いします……!」
「楽しみ」
周囲を見渡しつつ、何から説明をするか思案する。
まずはこの場から見える景色たちを、一通り説明するとしよう。
「僕たちがいまいる丘を下ったところにある湖がアマロ湖。その湖の奥側にあるのがアマロ村だね。んで、ここから北に見える山脈がアヴァル山脈。この大陸を二分する長大な山脈なんだよ」
僕が指さす先には、雄大な山脈がそびえている。
あの山脈のふもとにスライムたちが移住した小さな森があるわけだが、それはまた今度説明するとしよう。
「あの山の向こうには何があるの?」
レンがアヴァル山脈に興味を抱いたらしく、山々を指さしつつ質問をしてきた。
その質問に、ゆっくり首を横に振りながらこう答える。
「何も分かっていないんだ。切り立った山だから登山をするだけでもかなり難しい。それに加え、山頂は万年雪で覆われている場所もあるし、強力なモンスターが住んでいるって噂もある。山の向こうは前人未到の土地なんだ」
あの山を越えるには、強力なモンスターたちと戦う技術を持ち、かつ山登りの膨大な知識を持つ必要がある。
古くから多くの人々が挑戦し、打ち砕かれていった魔の山でもあるのだ。
「次のお話をしようか。このアマロ地方はかなり水脈が豊富な土地でね、綺麗な水があちこちで湧いているんだ。ほら、アマロ湖から流れ出ていく川の途中に、小さな川がぶつかっているでしょ?」
アマロ湖から南の方角にある小川を指さし、それが流れ出てくる森へと指を向ける。
その森は、スライムたちが移住した森と比べてもかなり大きい。
多種多様のモンスターが住み着く、この地域では最も豊かな森だ。
「森の中に泉があるってことですね。見てみたいなぁ……」
どうやら興味を持ってくれたらしく、レイカが小さくつぶやいた。
お望みとあらば、そのうち皆で出かけるとしようか。
「この辺の地理をある程度理解できたことだし、まずは湖に行ってみようか!」
説明を終了し、アマロ湖に向かって皆で歩き出す。
雲の隙間から差し込まれる光には熱があるが、静かに肌をなでる風には冷たさを感じる。
少しずつ、秋の気候に変化してきているようだ。
ふと姉弟がちゃんとついてきているか気になり、ちらりと背後に視線を向ける。
レンは呑気な様子であくびをしているが、レイカは少々怯えた様子で周囲を警戒しているようだ。
このままただ歩き続けていても変化は見られないと考え、この土地の昔話を二人に聞かせることにした。
「遥か遥か昔、この辺りは草も生えない土地だった。そんな荒れた土地だったけど、長い時間をかけて種が植わり、草が生え、草原となって森が生まれ、水が集まって湖ができた。そんな言い伝えがあるんだって」
実際に見たわけではないので、本当のことなのかわからない。
歴史書も特に残っていないそうだ。
「湖の中心に、建物が建てられていたこともあったらしいよ? それを見物しに、多くの人が訪れていたんだって。そういった人々が休む場所として次第にできていったのが、アマロ村らしいんだ」
現在の湖の中心には何もない。
嵐などで壊れてしまったのか、それとも訪れる人々が減少したことで修理される機会も減り、湖に沈んでしまったのか。
はたまたそういう伝承があるだけで、本当は何もなかったのか。
現在はただ、アマロ村のそばにある湖というだけだ。
「いまも観光名所になってるの?」
「各地から遊びに来る人は結構いるよ。もうすぐ秋の月とはいえまだ暑いから、来るとしたら避暑が目的だろうね。この辺、結構涼しいから」
話を続けているうちに、僕たちは湖のそばまでやって来た。
最寄りとは異なる場所にある波打ち際では、スライムたちが遊んでいる姿もあるようだ。
「とーちゃく、ここがアマロ湖です。満月の夜には湖面に月が映りこみ、夜空と湖に浮かぶ二つの月を見ることができる美しい湖です。中秋の月の満月の夜には、村を挙げての催し物が行われます」
案内人っぽい言い回しをしながら、湖へと手を向ける。
そういえば、今年はスラランの歓迎会と同時に祭りを行うとユールさんが言っていたが、準備はどれくらい終わっているのだろうか。
「わぁ……。本当に綺麗ですね……」
「ノートを持ってくればよかった」
表現の仕方が姉弟でかなり異なっているが、どうやらアマロ湖のことを気に入ってくれたようだ。
まだ五年しか住んでいないが、この景色を見て喜んでくれると、不思議と誇らしい気持ちが湧き上がってくる。
「この湖の水は、アヴァル山脈から流れ出る雪解け水だから結構冷たいんだ。遊びに来ても注意しないとダメだよ」
ここに来て帰れなくなった人も割といるらしいから――と、一応注意を促しておく。
遊びに来て溺れるなんてことには、絶対にあってほしくない。
「わ、分かりました。気を付けます」
「うむ。分かればよろしい。さて、そろそろ村に行こう――って、あれ? スラランは?」
スラランは湖に到着すると同時に肩から飛び降り、僕たちの周囲を跳ねまわっていたはずなのだが、いつのまにか姿が見当たらない。
どこに行ってしまったのだろうか。
「あそこにいる」
レンがスラランの姿を発見したらしく、湖を指さす。
そちらに顔を向けると、水の上でぽちゃぽちゃと浮かんでいる彼の姿があった。
「いつの間にあんなところに……。言ったそばから湖に入りに行かないでよ……」
不満を口にしながら湖に近づいていく。
まだ暑いので湖に入って水分補給をしたかったのだろうが、勝手に行動されたのではたまったものではない。
「こら、スララン。勝手に動き回っちゃダメだろ?」
靴が濡れるのは嫌だが、安全のために履きっぱなしのまま湖に入る。
水温はかなり冷たい。後で足先を温めないと体に悪そうだ。
ジャブジャブと水を蹴り、呑気に浮かんでいるスラランに向かって手を伸ばす。
「ほ~ら、捕まえ――!?」
突然世界がひっくり返り、視界が水で覆われる。
水の中にある石に足を滑らせ、転んでしまったのだ。
「ゲッホ……。ゲホ、ゴホ……! うえぇ……。水飲んだ……」
慌てて起き上がり、水を吐き出すのだが、胸部から腹部にかけて違和感が残る。
呼吸を整えながら何度か胸を叩いていると、スラランがこちらに向かって水上を移動してきた。
少し縮こまっているように見える。
「全くもう……。どこかに行きたい時は必ず合図すること。分かったかい?」
スラランに口を尖らせながら注意をすると、彼は水の上から僕の体の上に移動し、一度だけ飛び跳ねた。
本当に分かってくれたのだろうか。
「うう……冷たい……。ま、まずは湖から出よう……」
スラランを連れ、体を震わせながら岸に向かって歩き出す。
陸上にまで戻ると、レイカとレンが心配そうにこちらを見つめていた。
「ソラさん……。大丈夫ですか……?」
「顔が青い。平気?」
二人の心配を吹き飛ばそうと、笑顔を見せながら元気に返事をしようとするも、強い風が吹き渡る。
その冷たい風は、肌と服に付いた水分をより一層冷やし――
「クシュン! ああ、ダメだ! 寒い! 何か暖かいもの! ファイア!」
炎の魔法を詠唱し、小さな火種を出現させて暖を取る。
そんな僕の様子を見て、レイカは慌てながらどこかに走っていき、レンは僕の背をさすってくれるのだった。