アマロ湖。寒さを感じ始めるこの時期は、人も少なく、静かな湖である。
だが、今日の湖を包むのは静寂ではなく、人々の喧噪だった。
「テーブルが足りなさそうだな……。誰か適当なものを持ってきてくれないか?」
「酒飲みどものつまみと、子どもたちのお菓子と……。飲み物はこれで全部だっけ?」
「ママー! みずうみであそんできてもいーい?」
あちらこちらから準備を行う人たちの声や、普段とは異なる高揚した雰囲気を楽しむ子どもたちの声が聞こえてくる。
そんな村人たちの様子を、僕はレイカたちと共に椅子に座って眺めていた。
「こんなに人がいたんだ」
「他の集落に働きに出ていく人たちもいるからね。そういう人たちも今日は帰ってきてるから、普段よりずっと人が多いよ」
準備で忙しく動き回っている人たちを見て、レンは驚く様子を見せていた。
僕も手伝いをするはずだったのだが、主役たちのそばにいてあげてくれとユールさんやナナに言われてしまったため、こうしてお言葉に甘えているのだ。
「気分は落ち着いてきたかい?」
左隣に座っているレイカに声をかける。
彼女はこちらに顔を向けると、ゆっくりと首を横に振った。
「まだあまり……。やっぱり怖くて……」
レイカは体を小さく縮こませ、不安そうに村人のやり取りを見つめだす。
人の数が彼女の想像以上だったらしく、萎縮しているようだ。
「大丈夫だよ。あんなに一生懸命に練習していたじゃないか」
自宅で歓迎会の段取りをしてから二週間、まもなく行われる満月祭前の歓迎会に向け、レイカは時間を見つけては何を話すか考え、話す練習を行っていた。
少々気負いすぎているようにも思えたが、彼女には必要なことだったのだろう。
「たくさん練習したんだから大丈夫。自信を持って」
「はい……」
小さくうなずいたレイカの頭を、フードの上からわしゃわしゃとなでる。
特に嫌がるそぶりも見せず、彼女は静かに頭をなでられていた。
「ナナさんもそろそろ準備が終わる頃かな?」
元気のない姉の様子を気にもとめず、レンは周囲を見渡している。
もう少し気にしてあげてほしくもあるが、姉弟らしいと言えばらしいのかもしれない。
「最終的には焼き上げるだけではあるけど、量があるからなぁ……。下準備はもう少しかかると思うよ」
ナナは村にある共同食堂で料理の下準備をしている。
祭りなどの行事がある際は、そこの調理場を解放してくれることになっているため、今日はそちらで料理を行っているのだ。
「珍しい調味料を食堂の女将さんが仕入れてくれたらしいから、もっと美味しい料理を作れるかもってナナが意気込んでたっけ。二人も会食を楽しみにしててね」
「「……ごくん」」
生唾を飲み込む音が両サイドから聞こえてきた。
レンはともかく、レイカも食欲はあるようなので、それほど心配する必要はなさそうだ。
「調理をしていた人たちが村から出てきたみたいだね。そろそろ会場の設営も終わるみたいだし、村長さんの所に移動しておこうか」
僕が立ち上がる姿を見て、姉弟も立ち上がってくれる。
僕たちは設営が既に終了していたステージ裏手に向かい、村長さんたちと最後の詰めを行うのだった。
●
「――というわけで、新たに二名と一匹の歓迎会を執り行いたいと思います」
村長さんの挨拶と共に、村人たちから大きな歓声が沸き上がる。
その声を聞きながら、僕はレイカたちと共に出番がくるのを待っていた。
「……緊張してきた」
ほとんど余裕を崩さないレンが、いまは不安そうな表情を見せている。
スラランも彼と同じように落ち着きがなくなっており、椅子の上で大人しくしていると思ったら飛び降りて周囲を跳ね回る。
しばらく動き回っているかと思うと、すぐにまた椅子に戻って来ては、僕の顔を見上げるという行為を繰り返していた。
「スラランも不安そうだね。大丈夫、僕のそばにおいで」
ポンポンと膝を叩くと、スラランは椅子の上からそこへと移動して落ち着く。
それでも不安は消しきれないらしく、僕の顔を度々見上げていた。
「すー……。はー……」
一方のレイカはというと、いままでの様子とは異なり落ち着いているように見えた。
時間が近づいてきたことで、逆に気持ちが固まってきたのだろうか。
「これから先は私に代わり、孫のユールに司会を任せようと思います。まだ腰が不調なものでして……。申し訳ございません。あいてて……」
村長さんは腰をおさえつつ、近くに置かれていた椅子に辛そうに腰をかけていた。
彼が痛めてしまった腰は、二週間で治すことはできなかったようだ。
歩く程度であれば他人の手を借りずともできるようになったらしいが、立ち作業は辛いらしい。
司会をするには大きな声を出す必要もあり、腰にも響いてしまうので、大方の進行はユールさんに任せることにしたそうだ。
「そういえば、レンの回復魔法は腰痛を癒すことはできるのかい?」
「分からない。やったことがないから」
どうやら、レンたちのそばには腰痛に悩まされた人はいなかったようだ。
骨の治療ができる以上、腰の治療もできるはずなので、会が進んで余裕ができた時にでも村長さんの治療を頼んでみるとしよう。
「はい! ここからは私、ユールが祖父の代わりに司会を務めさせていただきます! 時間も押しておりますし、早速進めていきましょう!」
気を紛らわせるための雑談をしていると、ユールさんが司会を始める声が聞こえてくる。
村長さんの挨拶も終わったので、次は僕たちの出番だ。
「では最初に、スライムのスラランの登場です! 彼の考えを理解するのはちょっと難しいので、家族であるソラさんにご紹介をして頂きましょう! それでは、よろしくお願いいたします!」
ユールさんの言葉が終わるのと同時に、歓声と拍手が草原に広がっていく。
それらに招かれるように、僕はスラランと共にステージへと上がる。
「頑張ってね」
「スラランの紹介、参考にさせて頂きます。頑張ってくださいね」
姉弟たちの応援を背に受けると同時に、村人たちの視線が僕――いや、僕の手の上に乗っているスラランに向かってきた。
慣れない状態で彼も不安なはず。
可能な限り手早く紹介を終え、安心させてあげなければ。
「こんにちは、皆さん。彼はスライムのスラランです。今日までの間に、何度か僕やナナが連れて歩いている姿を見た人もいると思います」
多くの人にスラランの姿を見てもらいやすいよう、彼を高く掲げる。
彼もまた多くの人に自分の姿を見てもらおうと、手のひらの上でぴょんと飛び跳ねていた。
「おお、あの子が娘の手紙にあった……」
「スララーン! またいっしょにあそんでね~!」
「子どもたちが一緒に遊んでいる姿を見たことあるが、本当に危なくないのか?」
「きゃー! スラランー! カワイイー!」
村人たちはスラランの姿を見て、思い思いの感想や意見を口に出していた。
歓迎する声や、不安を抱く声。
中には知人の声があった気もするが、あまり気にしないでおこう。
「……色々な声があると思います。でも、この子のおかげで、僕たちはこの村を守ることができたのです。既に聞き及んでいる方もおられると思いますが、あの時のことを当事者として再度お話したいと思います。あれは――」
スラランと出会った時のことや、彼と共にスライムの問題を解決した時のこと。
村人たちに、彼と出会ってから起きた様々な出来事を説明した。
「――と言うわけです」
話を終え、村人たちの様子を見る。
視線の先では、周囲の人たちと話し合いをする人々の姿があった。
村長さんやユールさんが尽力してくれたとはいえ、モンスターが村に住むことに難色を示す人はやはりいるようだ。
「ねぇねぇ。スラランがいたから、おっきいスライムさんをやっつけられたってこと?」
「え? ああ、うん。そう……なるね」
最前列で僕の話を聞いていた少年が質問をしてきた。
突然の質問に驚いてしまったが、とりあえず答えられてはいるはずだ。
「そっかぁ。じゃあ、ぼくたちの村のキューセイシュさんなんだね! スララン! ぼくたちをたすけてくれてありがとう!」
少年の言葉と共に、話をしていた村人たちの声が静まり返った。
誰も口を開かないまましばらく時が経つ。
すると突然、大きな笑い声が上がった。
「ハッハッハ! スラランが居なけりゃ、俺たちは巨大スライムに村ごと潰されていたんだもんな! 確かに、俺たちの救世主サマだ!」
その声を筆頭に、再び村人たちの声が大きくなり始める。
「そうだな。スライムだからとか関係ないよな! 村を救ってくれた奴に不安を抱くなんて、おかしいよな!」
「そうだね! ようこそ、スララン! 歓迎するよ!」
「スラランー! カッコイイー!」
先ほどまでとはうって変わり、スラランを歓迎する声があちこちから上がる。
皆が彼を認め、受け入れてくれたことに、僕の心は大きく震えだしていた。
「ありがとうございます……! さあ、スララン。みんなに挨拶しようか!」
スラランをステージの床に下ろし、少し距離を取る。
彼は体を大きく震わせると、これまでに見てきた中で一番高く飛び上がった。
どうやら歓迎してくれたことに対し、とても嬉しく思っているようだ。
「なでなでしたい……! プニプニしたい……! けど、まずは役目を終わらせなきゃ……! スラランの紹介は以上になります! ソラさん、ありがとうございました!」
声がなりやまない中、欲望駄々もれのユールさんの声が響いてくる。
彼女は興奮した様子のまま次の言葉を紡ぎ出す。
「そして、スララン! 改めまして、よろしくお願いいたします! 私たちの村に来てくれて、本当にありがとう!」
ユールさんの言葉が終わると同時に、拍手が鳴り響く。
アマロ村の皆が満場一致で歓迎してくれた。
反対されるかと思っていた部分も少なからずあったので、この結果は大満足だ。
「やったね、スララン。これで君も、正式にアマロ村の一員だよ!」
スラランを抱き上げながら声をかける。
彼は僕の顔を見つめ、嬉しそうにぴょんぴょんと飛び跳ね続けていた。
「では、お次に参りましょうか! レイカちゃんとレン君です! 彼女たちは双子の姉弟で、遠くから二人だけで旅をしてきたそうです。では、お二人ともよろしくお願いいたします!」
ユールさんが次の主役たちの出番を村人に伝えている。
待機場所にいるレイカたちに目を向けると、彼女たちがこちらに向かってきていた。
「大丈夫かい?」
声をかけると、二人は力強くうなずいてくれた。
不安を抱いている様子は見られない。
スラランの頑張りは、姉弟にも力を分け与えてくれたようだ。
「スラランはすごいね。こんなにたくさんの人が歓迎してくれるなんて」
レンがスラランをなでながら声をかけると、彼は嬉しそうに体を揺らす。
一方のレイカはというと、胸の前に手を当て、僕の顔をじっと見つめていた。
何か言いたげな様子を見せているが、どうしたのだろうか。
「……ソラさん。私、スラランの自己紹介を見ていたら勇気が出てきました。手を握っていてほしいというお願いも、もう大丈夫。私たちだけでやろうと思います」
「え、本当かい?」
レイカの宣言に驚き、聞き返してしまう。
彼女は大きくうなずき、ステージへと視線を向けた。
「スラランが頑張ったように、私も、ちゃんと自分のことを伝えないと」
レイカたちは僕の横を通り過ぎて村人たちの前に立つ。
彼女の横顔には強い意思があるように思えたのだが。
「大丈夫……かな。パニックを起こしたりしなければいいけど……」
信頼よりも、不安が僕の心を支配していた。
そんな僕の様子に気付くこともなく、レイカたちは村人に向かって声を発する。
「皆さん初めまして。ご紹介にあずかりました、レイカと――」
「レンです。よろしくお願いします」
レイカの声は怯えが混じったものではなく、別人かと思えるほどに堂々としたものだった。
いままでの彼女とは異なる姿に目を離せないでいると、背後から服を引かれた感覚がしたために体を跳ねさせてしまう。
「何をしているんですか。二人の邪魔になっちゃいますよ」
声に振り返ると、ナナがいつの間にかそばにやって来ていた。
彼女が服の裾を引っ張り、待機場所へと連れて行こうとしていたようだ。
「あ、うん。ちょっとびっくりしちゃったから」
「私も驚きました。レイカちゃんがあそこまでしっかり話せるなんて……。とりあえず、邪魔にならない場所へ」
ナナに続き、姉弟たちから距離を取る。
彼女も姉弟と同じ時間を過ごしているので、突然の大きな変化に思う所があるのだろう。
僕とは異なり、不安よりも喜びの方が強いようだが。
「――というわけで、現在はソラさんのお宅にお邪魔させていただいております」
レイカたちの自己紹介はつつがなく進行していく。
僕の心配も杞憂に終わりそうだ。
このまま、静かに見守っていよう。
「そして、最後に……」
言葉を一旦区切り、レイカはレンに顔を向ける。
レンもまたレイカに顔を向け、互いにうなずき合う。
「私たちはヒューマンではありません。ホワイトドラゴンという種族の者です」
レイカの口からは、まだ秘匿にするべき真実が発せられた。