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第12話 エピローグ 静寂と紅茶と猫 ── 支配の果てに得た、本当の自由



エピローグ 静寂と紅茶と猫


**


春の陽光が、離れ屋敷の庭に柔らかく降り注いでいた。


真新しい草花が芽吹き、

ささやかな噴水の水音が、心地よいリズムを奏でている。


ティナ・ロッテリアは、

そんな静謐な庭を背に、サロンのテラスに腰掛けていた。


膝の上では、白い毛並みの猫が丸くなり、

すやすやと小さな寝息を立てている。


傍らの小机には、銀のティーセット。

琥珀色に輝く紅茶が、ティーカップに注がれていた。


ほんのりと漂うダージリンの香りに、ティナは満足げに微笑んだ。


**


(──ああ、これこそ、わたくしの求めた日々ですわ)


誰にも邪魔されない。

誰にも追われない。

誰にも媚びず、誰にも従わない。


ただ、紅茶と猫と本に囲まれ、

静かに、穏やかに暮らす日々。


それこそが、ティナ・ロッテリアの唯一の願いだった。


**


庭の向こうで、モンゴメリー夫妻が静かに掃き掃除をしている。


モンゴメリー主人は、春の柔らかな陽射しに目を細めながら、

「今年も良い年になりそうですな」と小さく呟いた。


夫人も、ふわりと微笑んで頷く。


「お嬢様のおかげです。

こんなにも、穏やかで、豊かな日々が訪れたのは」


夫妻は、もはやティナを「お嬢様」という以上の存在だと感じていた。


敬愛、そして誇り。

それは言葉にするまでもなく、空気に溶け込んでいた。


**


サロンの中では、柔らかな音楽が流れていた。


ティナが気に入って取り寄せさせた、異国の弦楽四重奏曲。


静かな音色に合わせて、

ティナはティーカップを軽く揺らし、猫の背を撫でる。


「ねえ、あなた」


猫がふにゃ、と寝ぼけた声を上げる。


「わたくし、少しだけ、頑張りましたわよね」


問いかけるように言うと、

猫は小さな手を伸ばし、ティナの膝にちょこんと乗せた。


その仕草に、ティナはふふっと笑った。


「ありがとう。

あなたが、わたくしの努力を認めてくれるだけで、十分ですわ」


誰も知らない。

誰も気づかない。


この国を裏から支え、

民に未来を与えたのが、誰だったのかを。


けれど、それでいい。


ティナは、自分が表舞台に立つことを望まなかった。


望むのは、ただひとつ。

この、穏やかで満ち足りた日常だけ。


**


春の風が、そっとカーテンを揺らした。


窓辺の小机には、一冊の本が置かれている。


「民衆政治論──統治とは民のために」


ティナが選び、民たちに教えるために簡略化した本だ。


だが、今のティナには難しい理論も、改革の苦労も必要ない。


今はただ、ゆったりと時を感じ、

猫とともに過ごすことだけが、大切だった。


**


遠く、王都の方角から、かすかに鐘の音が聞こえた。


市民たちが自主的に開いた、新たな議会の始まりを告げる鐘。


かつて、王族の命令一つで動かされていたこの国が、

今では民自身の手で運営されている。


それはティナの理想──

静かに、だが確実に実現しつつあった。


「……いい流れですわね」


カップを置き、ティナはそっと呟いた。


(民が、自ら歩くことを覚えれば、

わたくしが手を下す必要もない)


それこそが、ティナの静かな野望だった。


**


モンゴメリー夫妻が、庭の手入れを終え、ティナに一礼する。


「お嬢様、午後の読書のご用意ができております」


「ありがとう」


優雅に微笑み、ティナは立ち上がった。


膝の猫が、ふにゃあと抗議の声を上げたが、

ティナは器用に抱き上げると、胸元に収めた。


「あなたも、一緒に読書ですわ」


猫は満足そうに喉を鳴らす。


**


サロンの奥、陽だまりの中に置かれた肘掛け椅子。


そこに腰掛けると、ティナはそっと本を開いた。


物語の世界へと沈み込む前に、ふと思った。


──これ以上、何も望まない。


──これ以上、誰も傷つけたくない。


──これ以上、誰にも支配されたくない。


すべてを手に入れた今、

ティナ・ロッテリアは、初めて心からの安らぎを得ていた。


**


春の陽射し、香る紅茶、猫の温もり、

そしてページをめくる静かな音だけが、

離れ屋敷の空間を満たしていた。


──この静寂こそが、ティナにとっての"王国"だった。


そして、この静かな革命を成し遂げた少女の名は、

誰も知らぬまま、歴史の陰に隠されていく。


それでいい。


なぜなら、ティナは知っていた。


真の支配者とは、

誰にも知られずに世界を動かす者なのだから。


──完──


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