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第11話 静かな支配と民の覚醒 ── 宗教拒否と理性による国づくり

第11章-1 ティナ教、静かなる発生


**


新たな国王となったウォルフガング・ロイエンタールの戴冠式から数日。

冬の冷たい風がまだ王都を包んでいたが、人々の顔には希望の光が戻りつつあった。


長らく王族たちの腐敗に苦しめられてきた民衆にとって、

ウォルフガングの即位は、まさに新時代の到来を意味していた。


だが、その希望と熱狂は、やがて思わぬ方向へと膨れ上がっていくことになる。


**


最初は、小さな噂話に過ぎなかった。


市場の片隅、教会の裏手、宿屋の一角。

人々はひそひそと囁き合った。


「我らを救ったのは、ロイエンタール様だけではない」

「そうだ、ティナ様だ。ティナ・ロッテリア公爵令嬢こそ、真の救済者だ」

「ティナ様がいたからこそ、我らは生きている」


王都のあちこちで、ティナの名が口にされるようになった。


**


やがて、誰かが言い出した。


「ティナ様は、人ではないかもしれない」

「天から遣わされた守護者かもしれない」

「奇跡だ。あの魔王軍を一瞬で消し飛ばした。

それは聖女以上の神の業だ!」


そんな話が、酔った男たちや老婆たち、果ては子どもたちの間にまで広がり始めた。


**


それだけではない。


誰かが、ティナの似顔絵を粗末な木版画にして売り出した。


──金色の光に包まれた、美しい少女。

──片手に剣、片手に聖なる花を持つ。


それは明らかに誇張され、美化されたティナの姿だったが、

民衆は熱狂的にそれを受け入れた。


版画は飛ぶように売れ、今や王都の至る所に、

「ティナ様」の聖像画が飾られるようになっていた。


**


さらに悪いことに――


ごく自然な流れとして、祈りが生まれた。


「ティナ様、我らをお守りください」

「ティナ様、我らに救いを」

「ティナ様、我らに正しき道をお示しください」


小さな祈りは、やがて儀式となり、

組織となり、

いつしか『ティナ教』と呼ばれるようになった。


**


当然、その動きはすぐにティナ本人の耳にも届いた。


ある日の午後、ティナは離れ屋敷のサロンで、

膝に猫を乗せながら紅茶を啜っていた。


そこへ、モンゴメリー夫妻の老主人が、深刻な顔でやってきた。


「……お嬢様、申し上げにくいことがございます」


「なあに?」


ティナはカップを傾け、無邪気な声で応じる。


モンゴメリーは咳払いし、切り出した。


「……王都で、お嬢様を崇拝する宗教団体が自然発生している模様でございます」


「──は?」


ティナは一瞬だけ、カップを持った手を止めた。


「宗教、ですって?」


「はい。最初は噂話にすぎなかったのですが……

今では、礼拝堂を建てようという動きまで出てきております」


「……」


ティナは無言で紅茶を置き、椅子の背にもたれかかった。


膝の上の猫が、ふにゃあと鳴く。


「……なんて面倒なことに」


静かな声だった。


冷たい冬の光が、サロンの窓から差し込んでいる。

だが、ティナの表情はいつになく冷えていた。


**


モンゴメリー夫人も恐る恐る続ける。


「市民たちは、お嬢様を“聖なる守護者”と呼び、

救い主と讃えております。

……ですが、このまま放置すれば、

本格的な宗教化が進んでしまうでしょう」


ティナは瞼を閉じた。


静かに、ゆっくり、深く息を吐く。


(民の支持はありがたい。だが、宗教となれば話は別)


個人崇拝は、やがて盲信を生み、

いずれ制御できない怪物へと成長する。


そんなことは、前世で嫌というほど見てきた。


(わたくしが求めているのは、

民衆の理性と、自立による統治。

信仰に頼った愚かな支配ではありませんわ)


ティナは、そっと目を開いた。


「あらあら、困ったことになりましたわね」


微笑みながら、平然と告げる。


「すぐに布告を出しますわ。

わたくしの名を用いて団体・結社を作ること、

これを厳しく禁じる、と」


モンゴメリー夫妻は、同時に頷いた。


「かしこまりました、お嬢様」


**


その夜、ティナ・ロッテリアの名のもとに、王都全域に布告が出された。


──

「ロッテリア・ティナの名を用いての宗教結社、ならびに信仰的活動を一切禁止する」

「違反した場合、不敬罪に問う」

──


その文章は、きっぱりと、そして冷酷に書かれていた。


人々は驚き、戸惑い、

だが次第に理解した。


「ティナ様は……やはり、聡明なお方だ」

「民に媚びず、正しき道を選ばれるのだ」


逆に、ティナへの信頼と敬意はさらに高まる結果となった。


**


離れのサロン。

ティナはまた紅茶を傾けながら、微笑む。


「宗教にすがるような、

みっともない民には育てたくありませんもの」


冬の夜。

焚かれた暖炉の火が、彼女の横顔を照らしていた。


静かに、確実に。

ティナ・ロッテリアの影響力は、王都全体を包み込みつつあった。


第11章-2 宗教禁止布告後、ティナの真意と周囲の反応


**


王都プティニエールに貼り出された、ロッテリア・ティナの名による公式布告。

それは衝撃と共に受け止められた。


『ロッテリア・ティナ公爵令嬢は、

自身を信仰対象とする一切の行為を禁ずる』

『名を用いた団体・結社の設立を認めず、違反した者は不敬罪に問う』


内容は明瞭で、非情なまでに断固としていた。


これまでティナを「救いの女神」と讃え、信仰の対象に仕立て上げようとしていた民衆たちは、

一様に困惑し、戸惑った。


だが――

同時に、彼らの心には深い尊敬の念が芽生え始めていた。


**


「……ティナ様は、私たちに媚びない。

本当に、民のためだけに動いてくださったのだ」


市場の女商人たちが、集まって囁き合った。


「自分を神格化することで権力を握るような、

下卑たことはなさらないお方だ」


労働者たちが、酒場の奥で静かに杯を交わしながら語った。


「私利私欲ではなく、国を思って行動する方なのだ」


農民たちが、教会の前で誓うように語った。


──ティナの拒絶は、彼女への信頼をさらに強めたのである。


**


一方、ロイエンタール城。


国王となったウォルフガング・ロイエンタールも、

この布告に驚きを隠せなかった。


「ティナ様……」


報告を受けたウォルフガングは、しばし沈思黙考した。


正直なところ、彼自身、ティナの存在を民衆の支持を得るために活用すべきか、と考えたこともあった。

だが、ティナはそれを一切許さなかった。


──己の意志で、すべてを拒絶したのだ。


(やはり、ただの令嬢ではない)


ウォルフガングは、改めて実感した。


ティナ・ロッテリア。

この若き令嬢こそが、真に国を動かす存在なのだ、と。


表に立つのは自分――

だが、陰でこの国を導いているのは、紛れもなく彼女なのだと。


**


ロイエンタール城の謁見の間で、ウォルフガングは側近たちを集め、こう命じた。


「ロッテリア公爵令嬢の意思を最大限尊重せよ。

今後、彼女の名を利用しようとする動きがあれば、断固排除する」


「はっ!」


臣下たちが頭を垂れた。


**


だが、その一方で――


ウォルフガングの胸には、微かな危惧も芽生えていた。


(ティナ様が求めるのは、真に理想の統治。

だが、それは同時に、我々貴族社会全体への挑戦にもなり得る)


彼は理解していた。


ティナの理想は、美しい。

だが、その実現には、多くの既得権益を破壊する必要がある。


(……この国は、変わる)


自分が守ろうとしている秩序すら、

やがてはティナによって変革を迫られるかもしれない。


それでも構わない。


ウォルフガングは、心の中で誓った。


(たとえ、どれほどの困難があろうと──

私は、あの方を信じ、支え抜く)


**


その頃、離れの屋敷。


ティナは、膝に猫を乗せながら、報告書を淡々と読んでいた。


「ふむ……混乱は起きなかったようですわね」


静かな声で呟き、紅茶を一口。


モンゴメリー老夫婦が控えめに尋ねる。


「……お嬢様。

あれほどの信仰を、なぜここまできっぱりと拒絶なさったのですか?」


ティナは微笑んだ。


「簡単なことですわ」


カップを置き、猫を優しく撫でる。


「信仰とは、理性を奪うものです。

そして、理性を失った民は、容易に操られ、

やがて暴走します」


「……」


モンゴメリー夫妻は、言葉を失った。


ティナは、淡々と続けた。


「わたくしが目指すのは、

支配でも、独裁でもありません。

民たちが自ら考え、自ら選び、自ら生きる国です」


「ですが、お嬢様……それは非常に難しい道では?」


「ええ、承知の上ですわ」


ティナは微笑んだ。


その微笑みには、少女らしからぬ覚悟と、冷徹な知性が宿っていた。


「でも、だからこそ。

民に媚びる支配者にはならない。

民衆を神格化で縛る支配者にもならない」


静かに、しかし確信をもって言い切る。


それは、圧倒的な意志だった。


**


夜更け。


ティナは暖炉の前で独り、星空を見上げていた。


冷たい冬の星たちが、静かに瞬いている。


「……利用されるのではなく、利用するのですわ」


小さく、小さく、ティナは呟いた。


それが、彼女の信条。


従順なふりをして、すべてを意のままに操る。

それこそが、ティナ・ロッテリアという存在なのだ。


そして今――

この国は、確かに彼女の手のひらの上にあった。


第11章-3 民衆の本当の覚醒とティナのさらなる布石


**


ティナ・ロッテリアによる宗教活動の禁止布告から数週間。

王都プティニエールの空気は、明らかに変わり始めていた。


民衆たちは、ティナを盲目的に崇めることを止めた。

だが、それは失望や混乱ではなかった。


むしろ、彼らの心に芽生えたのは――


「自ら考え、自ら動かなければならない」という、

理性と自立の意識だった。


**


市場では、商人たちが自主的に集まり、

公平な価格取引のための協定を作り始めた。


「高すぎる商品には誰も手を出さない。

値段を吊り上げた者には市場からの退出を求めよう」


農村では、農民たちが互いに助け合い、

余剰作物を融通し合う協同組合を作り始めた。


「困ったときはお互い様だ。

金だけじゃない、助け合いで生きよう」


職人たちは、質の悪い仕事をする者を自浄し、

技術を正当に評価する仕組みを作ろうと動き出していた。


──誰に命令されたわけでもない。

──誰かに崇めろと言われたわけでもない。


民たち自身が、変わり始めたのである。


**


それを、ティナは離れ屋敷から静かに見守っていた。


暖炉の前、膝に乗せた猫を撫でながら、

毎朝届けられる報告書に目を通す。


「ふふ……順調ですわね」


優雅な微笑みを浮かべながら、静かに呟く。


モンゴメリー老夫妻は、最初こそ戸惑っていたが、

今ではすっかりティナの意図を理解し始めていた。


「……お嬢様が宗教を禁じた理由が、今になってよく分かります」


老主人が感慨深げに言う。


ティナは紅茶を啜り、さらりと答えた。


「ええ。

民を縛るために宗教を使うのは、短期的には便利ですわ。

ですが、長い目で見れば、必ず腐敗を招きますもの」


「……」


モンゴメリー夫人が、小さく頷く。


「信仰ではなく、理性と責任感を。

民衆自身に、自らの未来を選ばせる」


それが、ティナ・ロッテリアの流儀だった。


**


だが、ティナは決して「見守る」だけで満足してはいなかった。


彼女は次なる布石を、静かに、しかし確実に打ち始めていた。


──民衆教育の推進である。


**


「民に、学問と知識を」


それが、ティナの掲げた新たな目標だった。


まず、ティナはウォルフガング・ロイエンタール国王に提案書を送った。


内容はこうだ。


・識字率向上のため、各地に無償の基礎学校を設立する。

・農民や職人向けに、計算や基本的な法律知識を教える。

・王国法をわかりやすくまとめ、民に公開する。

・貴族や役人にも同様に、倫理教育を義務付ける。


提案を受け取ったウォルフガングは、最初こそ驚いた。


「民に知識を与える、だと……?」


だが、ティナの真意を聞かされ、深く頷いた。


「……無知なままでは、また圧政を許してしまう。

民が賢くならなければ、この国はまた腐る」


ウォルフガングは、ティナの提案を全面的に採用した。


こうして、ティナ主導による「民衆啓発計画」が静かに動き出した。


**


新たに建てられた簡素な学校。

木の机と石板だけの、粗末な教室。


だが、そこには活気が満ちていた。


子どもたちが読み書きを学び、

農民たちがそろばんを覚え、

職人たちが契約書の読み方を習う。


「先生、王国法って、民も守ってもらえるんですか?」


小さな少年の問いに、教師は答えた。


「もちろんだ。

法は、民を守るためにある。

それを忘れた王や貴族には、正義を求めることができる」


少年は目を輝かせた。


希望。

未来への希望が、確かに根を張り始めていた。


**


そして、そのすべてを動かしている中心に、

ティナ・ロッテリアがいた。


だが、彼女は表には一切出なかった。


あくまで、離れ屋敷の奥で、静かに微笑みながら――


(ふふ……順調ですわね)


**


夜。


ティナはバルコニーに出て、冬の星空を仰いだ。


冷たい夜風が、長い金髪をさらりと揺らす。


「……これで、よろしいですわ」


誰にともなく呟く。


民を奴隷にせず、

民を信仰で縛らず、

民が自ら立つ国を作る。


それが、ティナ・ロッテリアが目指す理想だった。


たとえ、それがどれほど遠く、困難な道であろうとも――


(民たちが育つのを、ゆっくり見守りますわ)


第11章-4 ティナの静かな支配確立と新時代の始まり


**


冬の厳しい寒さがようやく和らぎ、

王都プティニエールには春の気配が訪れようとしていた。


瓦礫と血にまみれた王政崩壊から数ヶ月。

今、王都は再び息を吹き返していた。


商人たちは再び市を開き、

農民たちは種を蒔き、

職人たちはハンマーを振るい始めた。


すべてが、静かに、力強く回り始めたのだ。


そして――


その中心には、誰も知らぬままティナ・ロッテリアがいた。


**


表向きの権力者は、国王ウォルフガング・ロイエンタール。


彼は民衆の信頼を集め、実直な改革を進めていた。


だが、その政策の骨子、進め方、調整案――

すべてが、ティナ・ロッテリアの手によるものだった。


ウォルフガング自身も、それを認めていた。


(私は、ただ前に立つ盾だ)

(真にこの国を導く光は、離れにおられるあの方だ)


だからこそ、彼は忠実にティナの意向を汲み、国を動かしていた。


**


ティナは決して表舞台に立たなかった。


市民の前に出ることもなく、

政務の場に姿を見せることもない。


だが、すべての流れは彼女の意図した通りに進んでいった。


民衆啓発計画による教育の普及。

地方自治制度の導入による貴族権限の削減。

税制の改革による負担の公平化。

司法制度の整備による民衆の権利保障。


一つ一つが、小さな改革だった。


だが、それらは確実に国の土台を作り変えていった。


ティナの支配は、

力で縛るものではなく、

知識と制度で包み込むものだった。


**


「民を信じて、任せる」


それがティナの哲学だった。


だからこそ、

民は「誰かにすがる」のではなく、

「自分たちの力で生きる」道を歩み始めたのだ。


──かつて、王族たちが民衆を支配し、搾取していたこの国。


──今は、民衆が自らの手で未来を切り開く国へと変貌しつつあった。


**


離れの屋敷。


ティナは、変わらず暖炉の前で紅茶を啜っていた。


モンゴメリー老夫婦が静かに控えている。


「……順調ですわね」


膝の上で丸くなる猫を撫でながら、ティナは呟いた。


モンゴメリー主人が、そっと口を開く。


「……お嬢様。

王都では、貴族たちの間でも、

『ティナ様こそ真の導き手だ』と囁かれております」


「ふふ……そうでしょうね」


ティナは、何も驚いた様子を見せなかった。


「けれど、それで良いのですわ。

わたくしは、民たちが理性を持ち、

自ら生きる道を歩んでくれるだけで、満足ですもの」


「……」


モンゴメリー夫妻は、胸を打たれる思いだった。


彼らの目の前にいるのは、

かつて『ただの公爵令嬢』だったはずの少女ではない。


冷徹な知性と、揺るがぬ覚悟を持った、

一人の支配者だった。


**


だが、ティナ自身はそんなことに頓着しなかった。


彼女が求めていたのは、権力の座ではない。

自身が崇められることでもない。


「ただ、静かに暮らしたいだけですわ」


猫に頬を寄せ、愛おしそうに囁く。


(……静かに、自由に、

紅茶を飲み、本を読み、猫と戯れる日々)


そのためならば、多少手を汚すことなど、何でもなかった。


**


やがて、春の陽射しが王都を包み込んだ。


市場には笑顔が戻り、

教会には感謝の祈りが捧げられ、

民衆の顔に、かつてなかった誇りが宿っていた。


誰もが、未来に希望を持ち、

自らの意志で歩み出していた。


かつて、この国に絶望していた者たちが、

今や、胸を張って生きていた。


──それこそが、ティナ・ロッテリアが望んだ光景だった。


**


夜。


離れ屋敷のバルコニーで、ティナは夜空を仰いだ。


無数の星々がきらめき、

まだ少し冷たい春風が、彼女の髪を撫でた。


「……利用されるのではなく、利用する」


自らに言い聞かせるように、静かに呟く。


「民も、貴族も、王族も……

すべて、この国も」


微笑みながら、ティナは続けた。


「──でも、誰も不幸にしない形で、ですわ」


彼女は、誰よりも冷酷で、

誰よりも優しい支配者だった。


すべては、

彼女が愛する「静かなる日々」を守るために。


**


こうして、ティナ・ロッテリアによる静かな支配が確立した。

王国に、本当の意味での新時代が訪れたのだった。


──それと気づく者は、ほとんどいなかったが。





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