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はらはら くさはら
はらはら くさはら
蒼開襟
文芸・その他童話
2025年05月01日
公開日
2,413字
完結済
ぴゅうと風が吹き込んで木々を揺らしている。 赤い花の刺繍の着物を着た山神は小枝の上で座り遠くを見つめていた。 もうこうして数年待ちわびているのに帰ってきやしない。 山のふもとから嬉しそうな顔をして上がってくるのは小さな子供ばかりで待ち人は現れずだ。 子供たちはりんごの頬をして山神を見上げた。 『かみさま、おらんちのりんご食うか?』

かみさま お名前は?

ぴゅうと風が吹き込んで木々を揺らしている。

赤い花の刺繍の着物を着た山神は小枝の上で座り遠くを見つめていた。

もうこうして数年待ちわびているのに帰ってきやしない。

山のふもとから嬉しそうな顔をして上がってくるのは小さな子供ばかりで待ち人は現れずだ。

子供たちはりんごの頬をして山神を見上げた。

『かみさま、おらんちのりんご食うか?』

頬と同じ色をしたりんごを着物の胸から取り出してむんずと掴み持ち上げる。

山神はふふと笑うと指先を下に向けて置くようにと差す。

『うん、またもってくるろ。』

子供たちはケラケラ笑いながらまたふもとへ降りていった。

山神はふわりと降りてりんごを掴む。赤い子供の頬と同じ色のりんごは甘い香りがしていつかの花を思い起こさせた。


夏が来れば子供たちは夏の果実、花、そして涼を届けてくれる。

りんご色の頬をした子供はいつの間にか大人になっていた。

小枝の上に座る山神を見上げて青年になった子は笑う。

『かみさま、かみさまは何時見ても美しいな。話はできんのかね?』

山神は何度か瞬くとふと思いたって、ふわりとその場に降り立った。

青年の前に立ち赤い花の刺繍の着物を手繰り寄せる。

青年は山神が思ったよりも背が大きく精悍に見えた。

『かみさま、名前はなんというんだ?』

青年にそう聞かれても山神は微笑むだけで唇を動かすことはない。

山神には言葉がなかった。声もなく唇だけが楚々とついている。

容姿こそ美しく見えるが、それも人が作り上げたもの。そもそも山神は人々が願う祈りが形になったのだ。

大昔、この木の前で男が一つ嘘をついた。恋人がこの木に攫われてしまったと。

だから自分は他の娘とは結婚できないと。

木の前で男は泣いた。一人きりで嘘をついたこと、求婚した娘が死んだこと。

もう一度会いたいと。

その思いは願いとなり、祈りとなり、強い力になり山神は生まれた。


青年に伝える言葉をもたぬ山神はただ傍に立ち彼を見る。

遠くを見る目は美しく、どこか良いなあと心に思った。

青年は事あるごとに山神のもとへやってくる。子供の頃とおなじように

果実、花、そして愛の言葉を持って。

山神は小枝の上に座り青年が来るたびにふわりと降り立っては彼の傍にたち、彼の口から零れる愛の言葉を聞いて幸せを感じていた。


ある日、青年は赤い花を持ってやってきた。

山神の前に立ち、お嫁さんになって欲しいと願った。

しかし山神はここから離れることも、青年に触れることもできない。

影のような存在は青年が見たいからいるだけなのだ。

山神はただ花を受け取るとそれに口付けをし、ふわりと舞い上がると木の上に立つ。

強い風に吹かれて、向こうの山からやってくる黒い雲を待ち、稲光が鳴り始めると山神は空気に溶けた。


それから少しして山のふもとで青年は村の娘と結婚した。

幸せな家庭を持ち、子供が生まれると嫁と三人で山神の木の前に立ちお祈りをした。

『どうぞ山神さまのご加護がありますように。』

三人がふもとに帰る頃、山神は姿を現してほとほとと涙を流した。

言葉を持たぬ山神、愛を知り心を知った。

けれど伝えるすべがなく、ただ涙が流れるだけ。

山神が泣き暮れていると、お面をかぶった子供が山神の顔を覗きこむ。

子供は狐の面を被っている。小さな手で山神に触れると狐面を上げた。

『かみさま、何故泣く?』

山神は悲しげに首を振ると指先を唇にあてた。

子供はふんと言い、狐面を被りなおす。

『かみさま、待ってろ。良い物をやるよ。』

そう言い、子供は消えてしまった。


秋が来て、冬が来て、春の花が咲く頃、山神はいつものように小枝に座っていた。

近頃は誰も見えないのか山神に声をかけるものはいない。

あの青年も時々親子で現れては果実と花を置いてくれるが山神を見つけられない。

風に吹かれて山神はふわりとその場に降り立った。

置かれた花を手にとり、匂いをかぐ。春の匂いだ。


次の夏が来る頃、少し大きくなった狐面の少年がやってきた。

山神を見つけて手招きすると山神の手におたふくの面を置いた。

『じいちゃん、お面を作るんだ。おたふくさんは口がある。この面をつけると話せるよ。』

山神はそっと面を顔につける。するとおたふくが口を開いた。

『おお、声が出る。』

少年は狐面を少し上げると口元で笑ってみせた。

『良かったね。これでかみさまも話せるね。』

『ありがとう。』


山神は嬉しくておたふくの面を被り山のふもとに下りた。いつも祈りに来てくれる人々を見ながら歩くのはとても楽しかった。

時々野良仕事をしている人が顔を見ずに話しかけるので、山神は普通の人のように答えた。

幸せで楽しくて山神は山と村と行き来を繰り返す。

ところがその年は不作で村の人々の間であの娘が来たから不作になったと噂が広まった。赤い花の刺繍のおたふくの娘だ。

山神はそれを知りまた山に閉じこもった。

おたふくの面は木々の間に隠して、姿を隠していた。


ある朝、ふもとの人々が木の前にやってきた。小枝に座っていた山神を見つけて老人が指を射す。

身の毛もよだつ言葉を吐いて山神の木に火をつけた。

山神は恐ろしくなり姿を消し、山の奥へ奥へと逃げ込んだ。

恐ろしい言葉は呪詛となり山神の体に食いついた。蝕まれていく体を赤い花の刺繍の着物で隠すがもう顔は黒く呪詛で埋まっていた。

山神はふらふらと黒く焼けた木の傍に立つ。少しこげたおたふく面を手に取り被る。

『ああ、おまえたち。言葉は祈りを。呪詛は無に返すだろう。』

『ああ、おまえたち。心優しきおまえたち。優しい心でお天道様に感謝をし、大地に種をまけ。』

山神はそう言い狂ったように歌い踊る。三日三晩それを続けるとおたふく面は割れて山神は真っ黒な灰になった。

主を失くした赤い花の刺繍の着物は地に落ちて朽ちていく。

そこにぽつりとふたつに割れたおたふく面がからりと風に吹かれた。


山神が消えて少しした頃、大雨があり田畑が潤うと沢山の芽が出た。人々はお天道様に感謝し大地を耕す。しかし人々がもう山神を思い出すことはなかった。


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