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第12話

助手席に乗せてもらい、出発する。

今日の目的地は大型ショッピングモールだ。

一カ所で映画もショッピングも済ませられるから助かる。


「暑かったり寒かったりしたら言ってくれ」


猪狩さんの手が空調を調整する。

しかし流行のJ-ROCKのかかる車内は快適だ。

音楽も話を邪魔するほど大きいわけでもなく、かといって聞き取れないほどでもない絶妙な音量だった。


「今日はひなとデートだと思ったら、初カノと初めてデートした前日くらい興奮して眠れなかった。

もし、映画観ながら寝てたらごめん」


運転しながら少し照れ気味に猪狩さんが告白してくる。


「いやいや、さすがにそれは冗談ですよね?」


二十代も前半ならわかるが、彼はもうアラフォーの域に入った落ち着いた大人なのだ。

なのにデートごときでそんなに興奮して眠れないとか信じられない。


「ほんとなんだけど?」


心外だと言わんばかりに彼は瞬きをした。


「なんかさ、ひなは今まで付き合ってきた女性とは違うんだよ。

年が離れてるってのもあるけど、なんかやってひなに嫌われたらどうしよう、こんなこと言ってひなにおじさんって思われたらどうしようってそんなことばかり気になる」


「えっと……?」


彼がなにが言いたいのかわからなくて、首が斜めに傾いた。

そんな私に気づいて、猪狩さんは苦笑いしている。


「それだけ俺にとってひなは特別だってこと」


「特別、ですか?」


「そう。

なんていうかなー、今までの彼女とも当然、結婚とかも考えたよ?

でもプロポーズに至る前にフラれて、なのにこう、そうか、仕方ないなーってけっこうなんかあっさり受け入れてたんだよな」


なぜかふふっとおかしそうに、彼が小さく笑う。


「でもひなにフラれたら、これ以上ないくらい立ち直れなくなる自信がある。

十も年下の小娘になにをって笑われそうだけど、俺にとってひはなそれだけ特別なんだ」


猪狩さんにとって私がそれだけ特別なのはわかる。

けれど、どうしてそこまで思ってくれるのかわからない。


「その。

……私のどこが、そこまでいいんですか?」


「え?」


驚いたように彼は、眼鏡の奥で目を大きく見開いた。


「ひなの笑顔が好きだからだけど?」


さも彼は聞かれるのが意外そうだが、私にはさっぱり理解できない。


「いや、その話は前に聞きましたけど。

笑顔が好きってだけで絶対結婚したい!ってなりませんよね?」


「んー」


猪狩さんはなにやら悩んでいるが、どこに悩む要素があるんだろうか。


「……なんというか、さ」


あまりにも沈黙が続きそろそろ居心地が悪くなってきた頃、ようやく彼が口を開いた。


「昔のひなは妹として可愛いと思ってたけど、大人になって綺麗になってて。

恋愛対象に昇格したんだよな」


「はい」


昔から恋愛対象としてみていたとか言われたらドン引きだが、今の私なら恋愛対象というのなら別にかまわない。


「大人になってもこう、やっぱひなはひなのまんまなんだよ。

いや、変わったところもあるけど、根っこのいい子のひなは全然変わってなくて。

だからこう、安心、っていうか?」


「はぁ?」


いい子の私はそのままって言われるのは、褒められているのか成長していないと言われているのか判断に悩む。

さらに猪狩さんは疑問形で、聞かれても困るっていうか。


「なんだろな、こう、なんかわかんないけど、ひなになら俺の人生預けられるって信頼があるのよ。

それがひなの笑顔が好きっていうのに集約されてるっていうか」


「んん?」


猪狩さんが悩みながらなのもあって、私には彼がなにを言いたいのかさっぱりわからない。


「あー、こんなこと言われても困るよな。

俺もわけわからんこと言ってる自覚があるし。

でもこう、ひなの笑顔には俺にそう思わせるものがあるし、ここしばらく会って話してひなが変わってないってわかってこの直感は外れてないなって確信に変わったってわけ」


「うー、全然わかんないです……」


「ごめんな、上手く言葉にできない」


彼は苦笑いしているが、それしかできないのだろう。

……でも。


「なんか上手い言葉はないかな……」


まだぶつぶつ言いながら悩んでいる彼をちらり。

私のどこが好きなのかとかはまったくわからなかったけれど、猪狩さんの中で私が大切な存在になっているのはわかった。

それだけ私との結婚に本気だというのも。

だったら私も妹ポジションに甘えず、きちんと彼と向かいあう覚悟を決めなければならない。


「あ、そうだ」


なにかを思いついたのか、猪狩さんが少し顔を上げる。


「俺の仕事を聞いて結婚は無理ってひなに言われたときは滅茶苦茶落ち込んだけど。

あとになってちゃんと考えて断れるひなと絶対結婚したいって思ったんだよな」


「え?」


思わず見た彼は、真っ直ぐに前を見て運転していた。

その顔にどこか、強い決意のようなものを感じた。


「俺が警察官だって言うとじゃあ守ってくれるから安心だよねとか軽いんだ、だいたい。

仕事中に死ぬ可能性があるとかいっても、もしかしたらで絶対じゃないしと他人事なんだ。

でも」


一度、言葉を切った彼の視線がちらっと眼鏡の奥から私へと向かう。


「ひなは守ってくれとかひと言も言わなかったし、真剣に死ぬとはどういうことか考えてくれた。

あとでそれに気づいて、ますます諦められなくなったんだ」


うんとひとつ、彼が頷く。

私としては当たり前のことに猪狩さんがそんなに感動しているとは思わない。

だって警察官だから守ってって違わない?

プライベートでは猪狩さんだって一般市民なんだし。

それに死ぬ可能性もあるから覚悟をしておいてくれと言われたら、ちゃんと考えないとあとで困るのは自分だ。


「その」


「ん?」


「猪狩さんが本気だっていうのだけはわかったんで、お兄ちゃんじゃなくてひとりの男の人として見られるようになるように……善処します」


「善処かー」


ちょうど車が信号で止まり、彼はハンドルに項垂れかかった。


「まー、無理って言われたわけじゃないし、可能性があるだけいいか」


頭を少し上げた彼が、うかがうように私をちらりと見る。

僅かに右の口端が持ち上がったその顔は絶対に俺を好きになるよね?といたずらっぽく言っていて、びくっとしてしまう。


「……ぜ、善処、シマス」


おかげで内心だらだらと汗を掻いて目を逸らし、言葉はカタコトになってしまった。

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