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第10話 文化祭と幽霊とゾンビとSP


 文化祭――それは、学生たちが一年で最も浮かれるイベントであり、ある意味、学校が最もカオスと化す二日間でもある。


 久遠女子高でもその例に漏れず、文化祭の準備が佳境を迎えていた。


 澪の所属するクラスも活気に満ちており、出し物は「お化け屋敷」に決定していた。


 そして、その流れの中で――


「えっ、わたしが幽霊役……ですか?」


 困惑する澪の声が、教室に響いた。


「うんうん、氷室さん、雰囲気ぴったりだし! 黒髪ロングだし、無口でミステリアスだし!」 「白装束絶対似合うって!」


 クラスメイトたちが勢いよく押し切る。


「……無口は地です……でも、ミステリアスって……」


 さすがに断りたい気持ちもあったが、澪は結局、うなずいてしまった。


「分かりました……頑張ってみます」


 そして、当然のように視線はふたりのSPにも向けられる。


「で、もちろん倉子さんと真子さんも参加ですよね?」


「え……あの、私たちは警備担当で……」


「お化け屋敷で“幽霊のボディーガード”って超新しい!ゾンビとかどうですか?」


「……ゾンビ……?」


 倉子が眉をひそめた。


「布面積が多いなら、まあ……いいけど……」


「先輩、また新たな羞恥任務来ましたね……」


 こうして、ふたりのゾンビSP出演が決定した。



 文化祭前日。


 教室はお化け屋敷仕様に改造され、カーテンは黒く張り替えられ、教壇の上には手作りの棺桶、壁には蛍光塗料で書かれたお札や手形が貼り付けられていた。


 澪は試着中の白装束に身を包み、化粧班の生徒に幽霊メイクを施されていた。


「澪さん、静かに立ってるだけで怖い……」 「歩かなくていいから、目だけで追いかけるの! それだけで充分怖いから!」


 その一方で――


「ゾンビメイク完成でーす!」


 真子と倉子は、顔に血糊と傷メイクを施され、ボロボロに裂けたスーツを着せられていた。


「これ……予想以上にガチじゃないッスか……」


「おまけに、この格好で“護衛”って、ギャップがすごいわね」


「ギャップどころか、SPの尊厳が消し飛ぶ寸前ッス……」


「先輩、歩き方はどうします? やっぱゾンビっぽくのろのろと?」 「警備上、速やかに対応できるよう、足運びはリアルで行くわ」 「“俊敏なゾンビ”って逆に怖いッスよそれ!」



 文化祭当日。


 開場と同時に、お化け屋敷の前には長蛇の列ができていた。


「『ゾンビに守られる幽霊』って何これ!?」「ネーミングセンス意味わからんけど気になる!」


 そして入った者たちは、無言で立つ澪の白装束姿と、その背後に控えるゾンビSPふたりの姿に絶句する。


「やばい、目だけで威圧してくるゾンビSP」「幽霊が一番守られてるやつ……」


 澪の幽霊演技は予想以上にハマり、ゾンビSPたちの無言の圧がそれをさらに引き立てた。


 観客は恐怖と混乱と笑いの入り混じった反応を見せ、話題は一気に校内中へ広まっていく。


 ――だが、その盛況の裏で、SPたちの本能はふとした違和感を察知し始めていた。


 観客に紛れていた、一人の男。視線の動き、手の仕草、そして――澪に向けられる興味の質。


 倉子と真子は、顔では笑い、足元では警戒の構えに切り替えていた。


 ゾンビ姿のまま、ふたりは静かに位置をずらす。澪の背後を、決して見せることのないように。


 今度の敵は、幽霊でもゾンビでもない。だが、確実に“人間”の中にいた。


 お化け屋敷の奥に潜む影に、ふたりのSPは、ゾンビの皮を被ったまま――本能を研ぎ澄ますのだった。




10-2:ゾンビSP、任務を遂行せよ


 文化祭初日の朝、久遠女子高の校門前は開場前から賑わいを見せていた。保護者や地域住民、卒業生に加え、他校の生徒も多く詰めかけ、まさに“学園の祭典”といった様相である。


 そんな熱気をよそに、お化け屋敷ブース前の控え室では、まったく別種の緊張感が漂っていた。


「先輩、顔色悪いっスよ……ゾンビだからってレベルじゃない」 「布面積はあるのに、なぜかいつも以上に恥ずかしいのよ、この格好……」


 倉子は、着古されたようなボロスーツに血糊をまとい、頬には不気味な傷メイク。真子も同じく、ゾンビ化粧を施され、完全に“歩く脅威”と化していた。


 「SPって“見えない盾”じゃなかったっスか……見えてるどころか、インパクト強すぎる盾……」 「仕方ないわ。今回は“警備”じゃなく“演出の一部”なのだから」 「いや、こっちはいつもどおりガチ警備モードなんスけど……」


 演出チームの指示では、澪の“幽霊役”の護衛をするゾンビ警備員として、客を誘導しつつ威圧感で空気をつくるのが任務だという。


 「要するに、無言で立ってろってことッスよね?」 「そう。無言、無表情、無慈悲でいきましょう」


 まもなく、最初の来場者グループが入場する。


 暗幕の中、白装束を纏った澪が静かに立つ。その背後左右に立つふたりのゾンビスーツSP。


 動かない。


 しかし、ただそれだけで十分だった。


「……こ、こっち見てるゾンビの人、絶対生きてる……けど逆に怖い……」 「なんか……すごいリアルだよね……演技? これ演技?」


 観客の中には震え上がる者もいれば、笑い出す者もいた。だが、誰もが口を揃えて「忘れられない」と語ることになるだろう。


 澪はと言えば、完璧に“幽霊”だった。無表情、無言、ほのかに漂う儚さと不安定な存在感。  そしてその後ろに控える“地獄の門番”のようなふたり。


 「……あれは役者の域を超えてる……本物じゃないの?」


 という噂まで飛び出した。


 警備対象が無事であり、かつ観客の満足度も高い。任務としても興行としても完璧だった。


 「先輩、なんだかんだ盛り上がってますね」 「そうね……このまま何事もなく終われば、言うことなしだけど」


 だがそのとき、倉子の目にひとりの男の姿が映る。


 校内関係者ではない。  服装も目線も“客”とは明らかに違っていた。


 「真子、6時方向、チェック。灰のスーツに黒シャツ、ノーリボン」 「確認。挙動不審ではないけど……視線が泳いでる」


 ふたりはゾンビメイクのまま、ほんの数歩だけ澪の側へ詰めた。


 「ゾンビに見えて、実はセンサーばりの警備体制。これが最新式ってやつっスね」 「ふざけてるようで、本気。これが私たちの任務よ」


 ゾンビSP、任務継続中。  敵か観客か、それを見極める眼光だけは、どんな演出よりも鋭く光っていた。




10-3:幽霊とゾンビ、他クラス見学ツアー


 お化け屋敷の当番時間がひと段落し、澪とSPふたりは小休止を兼ねて校内の見学に出ることになった。


 もちろん、服はそのまま。  白装束の幽霊・澪。  ゾンビスーツのSP・倉子と真子。


 「……先輩、これで校内歩くの、罰ゲームにしか見えないんスけど」 「いまさら制服に着替える時間もないし、ここまで来たら開き直るしかないわ」


 澪は申し訳なさそうに振り返った。 「ごめんなさい……おふたりまで巻き込んでしまって……」


 「いえ、お嬢様が目立っている以上、私たちも目立つのは当然です」  倉子はプロ意識全開で返す。


 「目立ちすぎっスけどね……」真子がぼやいた瞬間、通りすがりの生徒たちがざわめいた。


 「見て見て! あれ幽霊SPトリオだよ!」  「なんでまだゾンビなん!? 校内ツアーもそのままいくの!? めっちゃ推せる!」


 無言で歩くだけで視線を集め、通りすがるたびにスマホが構えられる。


 「……逆に警備妨害になってる気がしてきた……」真子が小声でつぶやいた。



 そのまま一行は、校内各所を見て回った。  射的や喫茶、展示系のクラスを巡るたびに周囲の注目は増していく。


 そして、軽音部のライブ会場へと足を運んだときのこと。


 薄暗い視聴覚室の中、観客たちはステージの音に酔いしれていた。  その後方、壁際に立つ幽霊とゾンビ。


 「えっ……」「えっ……!?」「あの3人……マジで来てる……」


 バンドが曲のMCに入ったタイミングで、ボーカルの子がステージから気づいてしまった。


 「え!? なんか……ホンモノいるんだけど!? え、すごくない!? てか怖っ!」


 観客たちが振り返り、ざわざわと笑いと歓声が混じる。


 だが、当の本人たちは至って冷静だった。


 「動かないでいれば、きっと風景になるはずです」  「そもそもSPが目立つ時点で任務として破綻してる気が……」


 倉子は腕を組んだままステージを注視していた。  音の反響、窓の構造、出入口の導線――すべてを確認する目。


 真子はリズムにわずかに足先を合わせながらも、目線だけは常に澪のそばを離さない。


 澪はというと――


 「……いい歌ですね」  小さく、呟くように言った。


 幽霊の姿のまま、誰よりも楽しそうに微笑んでいた。


 「……なら、護る価値はあるってもんスね」


 真子の声に、倉子もうなずいた。


 ゾンビのふたりと幽霊の少女は、観客の笑いの中でも、確かに“SP”としてそこにいた。





10-4:ゾンビと幽霊、買い食いと後夜祭


 校内ツアーを終えた澪とSPふたりは、少しだけフリータイムを許されていた。


 「文化祭の定番といえば――買い食い、ですね」  澪がそう言ったときには、もう真子は屋台へと駆け出していた。


 「先輩、あれ見てください! フランクフルト100円ッス!」 「……ゾンビの格好で買い食いって、どこか間違ってる気がするけど」


 だが、すでに澪も並んでいた。


 数分後、三人はベンチに腰かけ、フランクフルトを手にしていた。


 白装束の幽霊がフランクフルトをほおばり、左右には血糊ゾンビのふたり。


 周囲の生徒はもはや慣れきったのか、写真を撮る者、指をさして笑う者、黙って敬礼して通り過ぎる者までいた。


 「……不思議と、いつもどおりって感じするわね」


 倉子がフランクフルトをかじりながらつぶやく。


 「文化祭って……楽しいんですね」  澪の頬に、フランクフルトの油がきらりと光る。


 「澪さん、それ口元……幽霊に生活感出すと“成仏しきれてない感”増すから拭いて」


 真子の的確すぎるツッコミに、澪は小さく笑った。


 そして夕方。


 更衣室で衣装を脱ぎ、三人はようやく制服姿に戻った。


 「……なんか、落ち着く」


 倉子は自分のスカートの裾を整えながら、深く息を吐く。


 「逆に、制服着てるのが新鮮に感じるくらいッスね」


 澪も同じ制服に身を包み、鏡の前でそっとリボンを整える。


 「じゃあ、後夜祭……行きましょうか」


 その声に、ふたりは同時にうなずいた。


 陽が落ち、キャンドルの光が灯り始めた中庭へ。


 かつて幽霊とゾンビだった三人が、普通の女子高生として、最後の文化祭の時間を楽しむ準備をしていた。









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