11-1:転校生、爆誕
十一月、秋も深まり、木々が紅く染まり始めた久遠女子高。澪のクラスでは、文化祭が終わり、ようやく日常が戻りつつある。
そんな中、朝のHRで担任が発した一言が、教室を一瞬にしてざわつかせた。
「えー、本日から新しい転校生が来ます。では、入ってきてください」
扉が開いた瞬間、全員の目が釘付けになった。
金髪に透けるような白い肌、背筋の通った長身の美少女が一歩、二歩と教室に入ってくる。
だが――その口から発せられた言葉が、すべてをひっくり返した。
「拙者の名前は、エリーナちゃんでおます!」
クラスが固まる。
「父の仕事のせいで留学しやがることになったでござる!」
(ど、どういう自己紹介!?)
「に本語難しねん。少しおかしいかですと。許してくんなまし!」
全員の心の中でツッコミが爆発した。
『少しじゃない!!』
真子(……ツッコミが……追いつかないッス)
倉子(……会話すると、こっちの言語中枢まで変になりそう)
「席は……澪さんの隣です」
担任の言葉に、エリーナはぱあっと花が咲いたような笑顔を浮かべ、まっすぐ澪の隣の席へと向かった。
「よろしくおねがいしもす、澪殿!」
「よ、よろしく……お願いします……」
どこか危なっかしい日本語とは裏腹に、澪への距離感は自然で、やたらと懐いている様子だった。
*
昼休み。
クラスメイトたちは、エリーナの言語バグに大いに困惑しながらも、見た目の可愛さと明るい性格に惹かれ、話しかける生徒が後を絶たなかった。
「エリーナちゃんって、日本語どこで覚えたの?」
「母上が京女でしてな。あとはアニメと忍者映画で独学したで候!」
「母上!? 京女!? 忍者映画!? 情報量!!」
その横で、澪はそっと溜息をついていた。
「……エリーナさん、その話し方、みんなちょっと困ってますよ」
「えっ!? そうでござる!? でも……拙者、これが正しき日ノ本語だと、教わり申した……」
「どこで!?」
困り顔の澪だったが、どこか放っておけない感情が芽生えていた。
*
放課後、廊下。
SPのふたりは校舎裏で情報交換していた。
「先輩、あの子……マジでなんなんスか?」
「分からないわ。けど、歩き方が異様に無音。しかも視線誘導と死角回避が自然にできてる。明らかに訓練されてる」
「やっぱ、ただの天然キャラじゃないッスよね……」
ふたりの警戒心は強まるばかりだった。
だがそのころ、澪はこっそりエリーナを呼び出していた。
「エリーナさん、少しだけ、正しい日本語、勉強してみませんか?」
「おおっ……! 澪殿、直々の指南でござるか!? かたじけない!!」
「“ありがとう”でいいんですよ、そこは……」
こうして、澪による日本語再教育の日々が始まるのだった――。
11-2:澪先生の日本語講座、はじまる
放課後の図書室の隅。澪とエリーナは、ふたりきりで机を並べて座っていた。
澪の手元には、ひらがなの練習帳と中学生向けの会話集、そして自作の単語カード。 エリーナの手元には、ペンとノートと――やたらと高性能そうな録音機器が置かれていた。
「えっと、まずは自己紹介からもう一度……。『私はエリーナです』って、言ってみましょうか」
「拙者は……あ、いや、私はエリーナでありんす……ござる!」
「……うーん、惜しいです」
澪は苦笑しながら、ゆっくりノートにカタカナでふりがなをつけていく。
「“私はエリーナです”。『でありんす』も『ござる』も使わなくて大丈夫です」
「ほほう! “でありんす”は不要! つまり江戸言葉は排除! 了解でござっ……あっ、また言った!」
エリーナは頭を抱えて転がる。
「大丈夫ですよ、少しずつ直していけばいいんです」
澪の落ち着いた声に、エリーナは目を細めた。
「澪先生、やさしい。拙者、感激……もとい、感謝です」
「それでいいと思います」
図書室の片隅に、ゆっくりとした言葉のやりとりが静かに流れる。
*
翌日。
澪のクラスでは、授業中にグループディスカッションの時間が設けられていた。
「では各班で、意見を出し合ってまとめてください」
エリーナは、慎重に手を挙げた。
「私は、皆の意見を集める、役目を、やって……よろしいですか?」
一瞬クラスが静まり、だが、すぐに周囲から「おおっ」と小さな歓声が漏れた。
「普通にしゃべった!?」「エリーナちゃん、すごい進歩だよ!」
エリーナは顔を赤くしながら、照れくさそうにうなずいた。
「これは、澪先生の特訓の……おかげです」
そのとき澪は、ノートに何かを写しながら小さく微笑んでいた。
*
昼休み。屋上にて。
SPふたりは、少し離れた場所からエリーナを観察していた。
「……先輩。なんか、マジで成長してません?」
「ええ。口調はまだ不安定だけど……あの努力量は、本物ね」
「語彙が増えるたびに、ボケ成分が薄れていくのは少し寂しいっスけど……」
「警戒対象から、観察対象に変えておくわ」
真子がふっと笑った。
「澪さんの教育力、恐るべしっスね」
*
放課後。
「……えっと、『おなかがすきました』」
「ばっちりです」
「『フランクフルトが、食べたい、であります』」
「“です”だけでいいですよ」
「了解いたし申した!」
「そこだけ時代劇に戻らないで……」
――それでも、言葉は確かに、通じ始めていた。
11-3:潜む本性、警戒のまなざし
エリーナの日本語は、驚くほどのスピードで上達していた。
初日は「ご趣味は護衛でござる!」と高らかに宣言していた彼女が、今では「趣味はボディガードの動き研究です」と真顔で語るまでに成長していた。
クラス内でも徐々に違和感が薄れ、エリーナの“ちょっと変わった留学生”というポジションは固定されつつあった。
しかし――。
「先輩、今日のエリーナ……“壁抜け”してませんでした?」
放課後、体育倉庫裏。真子がぼそりと呟いた。
「視認してないけど、姿が消えたタイミングと場所が不自然だったわね」
倉子は、教員通用口の監視カメラ記録を取り出しながら眉をひそめる。
「しかもこの動き……死角を正確に把握して移動してる」
「言葉は上達してても、体の動きは“プロ”そのものって感じッスね」
ふたりの警戒レベルは、再び上昇した。
*
数日後。
澪のロッカーに、見慣れないタグのついた箱が入っていた。開けてみると、外国製の高性能な録音用デバイス。
「……これは?」
澪は不思議そうに首をかしげた。
「そんなの、私……もらってませんけど……」
そのやり取りを聞いた倉子が、すぐに社へ報告を入れる。
「氷室澪嬢のロッカーから、未登録の通信機材を発見。調査を要請」
社からの返答は数時間後に届いた。
『該当する通信機材について、持ち込み許可を出した記録はなし。注意人物の可能性あり。現場対応を委任する』
つまり、判断は現場に任された。
*
翌日。
エリーナは、普段通りに登校してきた。
「おはようございます、澪さん。今日も、空気が乾いていますね。これは、静電気注意報、です」
「……おはようございます。えっと、天気は“乾燥してる”で大丈夫ですよ」
「はっ……また誤用!」
澪に見せる笑顔は変わらず自然だった。だが、SPふたりはその笑顔の奥に、何かを探っていた。
*
昼休み。図書室。
倉子は、社から送られてきたプロファイル写真と、スマホに保存したエリーナの横顔をじっと見比べていた。
「先輩、それ……」
「数年前、ロシア某所のSP養成プログラムにいたとされる訓練生。顔の構造、ほぼ一致」
「やっぱ……ただの“天然ハーフ留学生”じゃなかったか……」
真子がぼそりと呟く。
「でも、なんでそんな彼女が澪さんのクラスに? 偶然ってあり得ます?」
「ないわ。――何かの“テスト”よ」
倉子の声に、少しだけ怒りがにじんでいた。
澪の周囲には、常に“力”が働いている。政治的、経済的、そして軍事的に。 今回もまた、その余波なのだろうか。
*
その夜。
社から追加の資料が届いた。
『対象エリーナ・カロリーヌは、他国連携プログラムの訓練枠。今回の転校は、上層部判断による“実地評価任務”である可能性が高い。正式な任務ではなく、非公表扱い』
「つまり……黙認されてるわけですか」
倉子は拳を握りしめた。
「“澪の警護能力を試すための実地テスト”。冗談じゃない……!」
真子が驚いて目を見開く。
「じゃあ、エリーナさんは最初から――澪さんの周囲に“仕掛け”として来たってこと……?」
「でも、澪さんは彼女に心を開き始めてる」
「……どうします?」
倉子は黙って立ち上がった。
「――私たちは、どんな状況でも澪を護る。それが答えよ」
11-4:友情と真実、そして――
翌朝、倉子は職員室で担任に話しかけた。
「エリーナさんの転入、正式な書類は揃っていましたか?」
「ええ、教育委員会の通達もありますし、全く問題ありませんよ?」
つまり、“表向き”は完全に合法。だが――。
*
昼休み。屋上。
倉子と真子はエリーナを呼び出していた。
「……エリーナさん。ひとつ、確認させてください」
「はい? なんでありんすか?」
「日本に来た理由。澪さんと同じクラスに配属された“本当の理由”を」
エリーナは一瞬だけ表情を曇らせた。
だが、すぐにふわりと笑った。
「やはり……バレてしまいました、か」
その瞬間、彼女の目つきが一変する。 やさしく、柔らかい瞳の奥に、鋭く冷静な光が宿っていた。
「私は、某国セキュリティ訓練機関の特別枠生です。日本の警護技術と、貴国のSP育成の現場を、体験するための試験として――ここに派遣されました」
真子が息をのむ。
「やっぱり……スパイ的な……」
「スパイではありません。任務は“観察”と“評価”だけです」
エリーナは深く頭を下げた。
「澪さんの警護体制が、どれほど優れているかを、この目で確かめ、学ぶこと。それが私の使命です」
倉子は無言で彼女を見つめ続けた。
その瞳は、敵意ではなく、敬意と誠実さを宿していた。
「……で、結論は?」
「はい。結論として――」
エリーナは真っすぐに言った。
「氷室澪嬢には、すでに世界最高クラスのSPがふたり、常にそばにおります。これ以上の護りは、必要ありません」
その言葉に、ふたりは思わず吹き出した。
「先輩、褒められましたね」
「ええ……少し、悪くない気分ね」
*
その日の放課後。
「澪さん。わたし、ほんとうは訓練のために来ていたのです。でも、あなたと過ごす毎日が……とても、楽しかったです」
澪は静かにうなずいた。
「エリーナさんが嘘をついていたわけじゃないって、分かってました」
「……え?」
「言葉じゃなくて、行動を見れば、信じられる人だってわかりますから」
エリーナは小さく笑って、深々と頭を下げた。
「これも、全て澪先生のおかげ、おます」
「……また、おかしくなった。道は……遠いね」
でも、澪の声にはもう、笑いが混じっていた。