目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第32話 二年生の終わり】


 冬の午後、傾きかけた夕陽が校舎の窓を橙色に染めていた。


 校門のすぐそばには、黒光りするセダンが一台。高級感と重厚感を備えたその車は、明らかに一般の女子高生が乗るような代物ではない。


 制服姿の三人が校舎から現れた。先に歩いていた真子が当然のように助手席へと乗り込み、続いて澪が後部座席に滑り込む。運転席に座っていたのは、三人の中で最も年上――とはいえ見た目は同じ制服姿の少女、倉子だ。


「発進するぞ」と短く呟き、倉子はエンジンをかけた。車は音もなく滑るように動き出す。


 今日は終業式。4月からは、いよいよ三年生になる。


 静かな車内には、控えめなクラシック音楽が流れていた。三人とも同じセーラー服姿。しかし、運転席でハンドルを握る倉子のその姿だけは、どうにも現実味が薄く、シュールですらある。


「……ようやく、生徒会に振り回された二年生も終わりだな」


 倉子が溜息まじりに言えば、


「それは、SP26歳、三年生の始まりっす」


 隣の真子が、まるで事実を読み上げるように淡々と返す。


「いちいち歳を出すんじゃない。同い年じゃないか!」


 倉子が顔をしかめると、真子は口元を緩めて言った。


「……でも、いよいよっすね。あと一年でこの任務から解放される……!」


「あと一年、先は長いな……」


「でも三年生は、受験が本番っすから。余計なイベント、減るのが救いっすね」


「それだけが……ほんとに唯一の救いだわ……」


 そんな二人の会話を、後部座席で聞いていた澪が、ぽつりと呟いた。


「……いつも思うんですけど、よく今まで警察に止められなかったなと感心してしまいます」


「え? 免許あるし、大丈夫よ?」と倉子が不思議そうに返す。


「いえ、そういうことじゃなくて……26歳がセーラー服で運転してたら、普通に職質されそうだなって……」


「……言わないで……」


 倉子が苦い顔をする。


 だが、その静寂を破ったのは、真子だった。


「AV感が増すだけっす」


「やめろおおおお!!」


 倉子が片手を伸ばし、真子の頭を軽く小突く。


 続けて、冷ややかな視線を投げた。


「真子、人のこと言えないからね……合法ロリ感、増々じゃない?」


「ひぃっ……予想外の反撃、回避不能っす~~!!」


 真子は助手席で頭を抱え、身を縮めるようにして座り直す。


 後部座席の澪は、こらえきれずに吹き出し、慌てて口元を押さえた。


 窓の外には、夕焼けに染まる街並み。穏やかな時間がゆっくりと流れていく。


 ――こうして、少しばかり騒がしく、けれどどこかあたたかい二年生の一年は、静かに幕を閉じたのだった。


【春休みに休めるって本当?】


「なあ……これって、現実?」


 午後の陽射しが差し込む窓際席。人気のない平日の喫茶店で、澪と真子はぼんやりとカップを手にしていた。


「わたしも、今、自分が夢見てるんじゃないかって思うっす……」


 真子がミルクたっぷりのカフェオレをすする。隣では澪がスプーンでホイップを崩しながら、遠い目をしていた。


「春休み、2週間だけってのは別にいいの。だけど――」


「その間に、他の任務が一つも入ってないなんて……ありえないっすよね?」


「うん。マジで不気味」


「ほんと、それっす。……倉子先輩、なんか裏で揉み消してないっすかね?」


「あるいは、私たちが気づいてないだけで、もっとヤバい任務が控えてるとか……」


 ふたりは無意識に身を寄せ合う。警戒するように周囲を見渡すが、聞こえてくるのは静かなBGMと、遠くのテーブルで雑誌を読むおばさまのページをめくる音だけだった。


「そういえば、この間、委員長に進路聞かれたんだけど」


 ぽつりと澪が口を開く。


「大橋さんすか?」


「うん、大橋弓子。『澪さんって、どこの大学に進学するんですか?』って」


「進学って……もう、私たち就職してるんですけど……!」


 真子がテーブルに突っ伏すようにして笑う。


「私も聞かれたっすよ。『国立ですか? 私立ですか?』って」


「……もしかして、最近、みんな本当に私たちを“学生”だと思い込んでる?」


「澪お嬢様の護衛って知ってるはずなのにっすよ?」


「クラスに歳バレしてるのに……」


 ふたりの視線が合う。


「……まさか、もう“26歳の現役女子高生”として受け入れられてない……?」


「生徒会なんて真面目にやるから……っすかね?」


「……バイトじゃないんだけどな」


「SPですからっす!」


「護衛というか、もはや人生の方向性間違ってる気がしてきた」


「この仕事を辞めたら、女子高生の履歴書が残るっすね……」


「いよいよ、婚活で『高校在籍歴10年』みたいな経歴を……」


「なんで婚活前提なんすか!」


 互いに突っ込み合いながらも、どこか安堵したような空気が流れる。


 任務も事件もない、ただの日常。春休みの昼下がり。誰にも気づかれず、誰にも追われない時間。

 そんなありふれた“普通”の尊さを、ふたりは静かにかみしめていた 


【喫茶店雑談】


 春の陽射しがやさしく差し込む午後の喫茶店。

 ふたり掛けのソファ席で、倉子と真子はそれぞれホットティーとミルクたっぷりのカフェラテを前に、気の抜けた時間を過ごしていた。


「……しかしさ、去年の今頃ってさ」


 倉子がふいに呟く。紅茶のスプーンをかき回しながら、遠い目をした。


「……地獄の始まりだったっすね」


 真子も応じるようにため息をついた。


「『卒業生を送る会』終わったと思ったら、すぐ『新入生歓迎会』の準備に突入でさ。あの頃の春休みなんて……」


「なかったも同然っすよ」


「うん。まじで存在忘れてたレベル」


 ふたりの間に、思い出したくもない“生徒会激務シーズン”の記憶がよみがえる。

 春とは名ばかりの戦場だったあの季節を、ようやく抜け出して今ここにいることが、もはや奇跡のようだった。


「……思わず、今春休みって言葉聞いて『あ、そんなのあったな』って思ったもん」


「会社側……春休みの存在、まさか……忘れてるとかないっすよね……?」


「いや、まさか。さすがに、それは……」


 倉子は言いかけて口を閉じた。真子もカフェラテの表面を見つめたまま沈黙。


 ──その“まさか”が、ありえるのがこの仕事だ。


「……とりあえず、黙っておこっか」


「ですね。気づかれないように、全力で気配を消すっす」


「それで静かに春休みを乗り切れたら、それでいいよ」


「春は、穏やかに……スケジュールが白紙のままでありますように……」


 真子が合掌するように祈る。倉子も思わず、そっとカップを掲げた。


 春の午後、外では学生たちの笑い声が聞こえる。

 けれどこの一角だけは、元・生徒会戦士ふたりの心の平穏が、静かに保たれていた。



---






【いやいや、あり得ないでしょう】


 春の風が、制服の袖をやさしく揺らす朝。

 登校ラッシュの喧騒から少し離れた静かな道を、一台の黒塗りの車が滑るように走っていた。中には、三年生になったばかりの澪と、その両脇に座る倉子と真子の姿。


 新学期初日、彼女たちの任務も再開である。


「三年生も、同じクラスだと良いですね」


 後部座席の中央に座る澪が、無邪気な笑顔でそう言った瞬間──


「ぶふっ!」「うぐっ!」


 両サイドのSPコンビが同時にむせた。危うく車内が緊張空間になるところだった。


「……いやいや、同じになるに決まってますから!」


 倉子が目を見開く。


「澪お嬢様まで、私たちを“普通の学生”だと思い始めてるっすか?」


 真子もあきれたように続けた。


「仮にクラスが別になったら、どうやって護衛するんですか。そもそも私たちの学校活動って、護衛業務ありきで、学校側の正式承認と全面協力のもとに成り立ってるっすよ?」


「……あ、そっか。すっかり忘れてました」


 澪が軽く頬を指でつつきながら、申し訳なさそうに笑った。


「いやいや、この送迎も護衛ですから! その送迎中に護衛の存在忘れるって、逆にすごいっすよ!」


「つい、当たり前の日常と思ってましたので……」


 そんな微笑ましいやり取りのまま、車は正門に到着した。


 新学期のざわめきに包まれる校舎。昇降口には新入生らしき緊張した顔が並び、在校生たちの間にも、どこか新鮮な空気が流れている。


 三人はそのまま教室前の廊下へと歩き、壁に貼り出されたクラス分け表の前に立った。


「……あれ?」


 倉子が固まる。


「え?」


 真子も目をこする。


「全員、別のクラス?」


 澪がゆっくりと読み上げたその言葉に──


「いやいやいやいや! あり得ないでしょう!?」


 倉子のツッコミが廊下に響く。


「どういうことっすか!? 学校側の全面協力はどこいったっすか!?」


 真子も取り乱す。


 だが、張り出された紙は何度見ても変わらない。**澪は3年A組、倉子は3年B組、真子は3年C組。**三人、見事にバラバラである。


「え、えっと……私たち、いつも通り一緒に……」


 澪が戸惑いながら言葉を探す。


 しかし、事態を把握した倉子と真子は顔を見合わせ、同時に叫んだ。


「「いやいやいや、それ、どこからどう見ても任務放棄の配置っすよ!?」」


 この新学期、波乱の幕開けである。



---





この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?