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第34話 お花見騒動

お花見防衛戦線


――開始二時間前。


桜が咲き乱れる城東公園。その中でも見晴らしのよい斜面のエリアに、一人の女が静かに歩いていた。


氷室澪の護衛、氷室家直属のSP・倉子だ。


淡いグレーのジャケットに、スニーカー。一見して一般人にしか見えないが、彼女の目線は常に鋭く、死角と人の流れを確認している。


ベンチの裏、植え込みの陰、トイレの出入口、そして桜の枝にぶら下がるカラスの巣まで。


「異常なし、っと。あとは……あの飲み物売ってる屋台、氷室家に献上履歴なし。立ち入り時は距離取ってもらおうかしら」


彼女の行動は警備員のそれを遥かに超えていた。もはや、プロのシークレットサービスの領域である。



――開始30分前。


公園入り口から、二人の女性が歩いてくる。その姿を見たクラスメイトたちは、ぽかんと口を開けた。


「え、だれ……?」

「……えっ? あの人たち……倉子さんと真子さんじゃない!?」


そう。制服ではない――つまり、スーツでもない私服姿の倉子と真子が、珍しく一般人のような恰好で現れたのだ。


倉子は、落ち着いた色味のロングスカートにシンプルなシャツとカーディガン。真子はカジュアルなパーカーにジーンズ姿という、年相応なラフな装い。


「制服である必要はないわよね? むしろ、スーツじゃ逆に目立つと判断したの」


倉子がそう言いながら、手にしたジュースのペットボトルを軽く振ってからストローをさす。


だが、クラスの中には混乱する者もいた。


「えっ……引率の先生?」

「うちの水無瀬先生より年上に見えるんだけど……あの美人さん……」


「美人っていうか、圧あるよね……SPだって忘れそうになるけど」


「なにあの落ち着き……下手な大人より大人だよ……」


その視線の中、倉子と真子は人混みに溶け込むように、澪の近くに腰を下ろす。


「……あー……酒が欲しいわ」


そうつぶやいたのは倉子。手にしたぶどうジュースのボトルを虚ろに見つめている。


「勤務中っす。だめっす」


「わかってるわよ。でも……ほら、春の風って……飲みたくなるじゃない?」


「そりゃわかりますけど……高校生の集まりっすよ、ここ」


「……常識くらいあるわよ……」


そこへ桜の花びらが一枚、倉子の肩にふわりと落ちる。春らしい一幕――にもかかわらず。


「帰りたいっす」


「私もよ」


「でも、お開きになるまで、澪お嬢様を送り届けるまでが任務っす」


「……わかってるわよ……」


二人はため息をつきつつも、常に澪の周囲を視界に捉えていた。見た目は完全に休日を満喫する大人の女性――だが、内面はいつも通り臨戦態勢。


「……やっぱ酒がほしい……」

「帰りたいっす……」

「わかってるわ……」

「わかってるっす……」


そして、そんなぼやきも、澪の笑顔を守るためならば、彼女たちにとっては“平和な一日”の証なのだった。




小さな侵入者


 春の日差しに包まれ、公園の桜は満開だった。  倉子と真子の見守る中、クラスの花見は穏やかに進んでいた。澪を中心に、和やかな空気が流れ、お弁当やジュースを囲んで、皆が笑顔を浮かべていた。


 だが、事件は静かに起こる。


「……あれ? この子……誰?」  弓子がふと気づいた。輪の中に、小さな女の子が混じっていた。


「どこから来たの? ママと一緒じゃないの?」  そう声をかけると、女の子はキョロキョロと周囲を見回し、やがて倉子を見つけるなり、ぱぁっと顔を輝かせて──


「ママーっ!」


 トコトコと駆け寄ってきて、倉子の腰に抱きついた。


「はぁ!? ちょ、ちょっと待って!」


 周囲が一斉に固まる。


「先輩……隠し子がいたっすか?」 「く、倉子さん……?」


 驚いた顔の真子と澪、そしてクラスメイトたち。


「違う! 知らない! 私の子じゃない! あなた、お名前は?」


「ちぃちゃん!」


「このお姉さんがママっすか?」 

真子がそう聞くとちぃちゃんは倉子から離れ、今度は真子に駆け寄り──


「ママーっ!」


「へ!?」


「なんだ、真子の隠し子じゃない」  倉子がニヤニヤと笑いながら言う。


「ち、違うっす! 本当のママはどこにいるっす?」


 「本当のママ……?」


 ちぃちゃんはさらにキョロキョロし、今度は澪に抱きついた。 「ママーっ!」


「え? え? 違います! 産んでませんーっ!」


「澪お嬢様、何歳で産んだっすか?」


 と、真子が小声でツッコミを入れる。


 ついには、誰かれ構わず「ママーっ!」と抱きつくちぃちゃん。 

 弓子が困惑の声を漏らした。 

「これは、困りましたね……」


 その弓子にも、ちぃちゃんがしっかり抱きつく。 「ママーっ!」


「ええ!? ……はい、ママでちゅよ~」  と、半ばあきらめた顔で抱き上げる弓子。


「委員長、その子を連れて、公園の管理事務所に行ってみましょう。真子は、澪お嬢様についていて」 「了解っす!」 「はい、倉子さん、一緒に……行きます」


 倉子と弓子はちぃちゃんを連れて、管理事務所へ向かった。


 そこでは、すでに母親らしき人物が待っていた。


「ちぃちゃんっ!」 「ママーっ!」


 弓子からちぃちゃんを受け取り、母親が抱き上げる。どうやら、ひと安心のようだ。


「よかった、委員長、戻りましょう」  と、倉子が言い、歩きながら二人は会話を交わす。


「本当によかったですね、倉子さんって……すごいんですね」 

「え? なにが?」

 「わたし、あんなとき、どうすればいいかわからなくて……」 

「まあ、こんなのも仕事のうちよ」 

「仕事……?」 

「警備の仕事って、迷子の対応も含まれるの。だから、こういうのも想定内」

 「なるほど……。もし管理事務所がなかったら?」 

「その場合は、交番ね。たとえば、ここなら公園前交番に連れて行くわ」 

「勉強になります」 

「何の勉強よ?」  

と、くすくすと笑い合う二人。


 やがてクラスメイトの元へ戻ると──


「どうだったっすか?」 

「無事、迎えに来てたわ」

 「それはよかったっすね」


 ほっとした空気が流れ、笑顔が広がる。


 そのまま、お花見は楽しくも温かな雰囲気に包まれながら、お開きを迎えた。







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