制服指定と疑惑の告知
「来週15日、1限終了後に卒業アルバムの写真撮影を行います。3年生は全員、制服で登校してください。なお、撮影後は通常授業に戻ります」
その一報が朝のHRで告げられた瞬間、教室の空気がわずかにざわめいた。
「……ねえ、今のってさ」
「うん、聞き間違いじゃなければ、“制服で登校してください”って言ったよね?」
ごく当たり前のような注意喚起に聞こえたが、3年C組の生徒たちには、違和感が残った。なぜならこの高校では、制服登校が“普通”だからだ。
「まるで普段は制服じゃないみたいな言い方だよな」
「わざわざ指定される意味がわからん……」
中には「えっ、私服でもよかったの?」と冗談めかして言う生徒もいたが、冗談では済まないと思っている者が一人いた。
真田真子——
SPであり、26歳。制服に身を包み“生徒”を演じながら、密かに護衛任務をこなしている彼女の眉がピクリと動いた。
「なんか……臭うっすね」
そうつぶやき、真子は鞄から小さなメモ帳を取り出すと、「15日」「1限後」「制服指定」とメモをとった。
するとその後ろからひょこっと顔をのぞかせる人物がいた。
「真子、あれ、やっぱり変よね?」
倉子だった。もう一人のSPであり、真子と同じく“高校生を演じている大人”である。
「ええ、普通なら“制服で来ること”なんて、当たり前すぎて言う必要がないっす」
「ということは、“制服じゃない日”に何か仕掛けるってことでしょ」
二人の目が合った瞬間、思考が共鳴する。何かが起こる。いや、起こされる——。
その昼休み、二人は購買横の人目のつかない物陰でこっそり会話を交わしていた。
「最近、不審な影も見かけないし、静かすぎるって思ってたのよね」
「逆に怖いっすよ。何かが動いてるか、何かを待ってるか……」
そこへ、もう一人、委員長こと大橋弓子がこっそり近づいてくる。
「ごめん、盗み聞きするつもりじゃなかったの。でも……やっぱり、あれ変だよね? あの通達、私にも届いてて……。他のクラスの委員長もざわついてる」
「委員長さんもそう思ったんすね」
真子は軽く笑ってみせたが、表情に油断はない。
「生徒会には何か情報、届いてるんすか?」
「ううん、全然。けど、写真撮影に“指定”って、やっぱり違和感あるよ。だって、去年までは普通に“撮るよー”って感じだったもん。こんなに固い言い方、なかった」
倉子が腕を組み、静かに唸った。
「仮に何かを仕掛けるとしたら、“制服”でなければならない理由があるのか……それとも、制服を着せたい理由があるのか」
「写真に“誰がいたか”を確認する必要があるんじゃないっすかね? つまり、ターゲットの特定……」
真子の脳裏に、“過去の事例”が次々とよみがえる。卒業アルバムが“記録”として使われたこと。誰かを追うために、写真を操作されたケース。顔認証のために収集された画像データ。
「……あり得るっす」
そのとき、スマホがバイブで震えた。倉子が確認する。
「……警護対象の近親者、国外から帰国予定。15日着、東京入り」
「ピンポイントっすね……」
——つまり、“15日”という日付に意味がある。しかも、卒アル撮影と称して、“全校3年生の顔と姿が揃う”タイミングで。
「私らの任務も、いよいよ佳境かもね」
倉子がそう言って、笑みを浮かべる。だが、真子の表情は硬いままだ。
「油断しないでいきましょう。写真に写るのは、記憶に残すってこと。そこに何か仕込まれてたら……取り返しがつかないっすよ」
その言葉に、委員長も息をのんだ。
「じゃあ……どうするの?」
「まずは、“撮影の主導権”を握ることっす。撮影場所、タイミング、機材、担当……全部、調べさせてもらうっす」
「本格的に動くのね……!」
「ええ。今週は、制服のアイロンかけるのも忘れないでくださいね、委員長」
「えっ、そっち!? う、うん……!」
その場にいた三人はまだ知らなかった。この卒業アルバムの撮影日が、後に“ある出来事”の引き金になることを——。
影を嗅ぎ取れ
卒業アルバムの撮影日まで、残された日はわずか——あと3日。
教室の空気はいつもと変わらないように見えたが、真子の目にははっきりと映っていた。
異質な“何か”が、静かに学校を覆っている。
「撮影の担当、決まりました」
生徒会からの連絡を持ってきたのは、大橋弓子だった。
「今年は外部のカメラマンじゃなくて、去年の文化祭で撮影してたプロの人に頼むって……。生徒会が決めたんだけど……あの人、確か……」
「“山田カメラワークス”の山田誠一っすね」
倉子が即答した。
「知ってるんすか?」
「去年の文化祭、会場全体のドローン撮影をしたって評判だった人。確かに腕はあるけど……」
「でも、今年の文化祭は撮影入ってないよな?」
真子が続ける。
「それが、今週急に依頼されたっていうの。最初は、先生たちが“卒業アルバムの予算で”って……」
「急すぎるっす」
三人は廊下に出て、人気のない屋上へと向かう。昼休み、風が吹き抜ける屋上で、倉子がポケットからタブレットを取り出した。
「ほら、去年の山田誠一。撮影クレジットに名前がある。そして……最近の活動履歴が、やけに曖昧なの」
タブレットの画面には、業界ニュースの記事、SNSのプロフィール、そして“なぜか削除された投稿”の痕跡。
「去年までは毎週なにかしら投稿してたのに、ここ2ヶ月、まったく動きがない」
「潜伏っすか……?」
「しかも、この人、もとはドローン開発会社の技術者だったそうよ」
真子の目が細くなった。
「つまり、撮影名目で……空からの“索敵”もできるってわけっすか」
委員長——弓子が言葉を失う。
「……アルバム用の集合写真を“ドローン”で? でも、そんなの——」
「言いくるめればどうとでもなる。今どき“自然な構図のために上から撮ります”って言えば、生徒は納得するっす」
「でも……なんのために?」
「対象の顔、服装、動き、全部解析に使える。特定人物のデータを狙ってるなら……最高のチャンスっす」
真子は空を仰いだ。透き通るような秋空。
その青の下で、彼女は静かに拳を握る。
「——情報操作された撮影が行われる可能性、大」
倉子がうなずく。
「生徒に混ざってる誰かを追跡する可能性もある。あるいは“学校全体”を洗い出そうとしてるか……」
「警備強化っすね。学内の警戒レベルを上げましょう」
「私、生徒会を通じて、機材チェックの名目で接触する」
弓子が一歩踏み出した。
「演技なんか、もういい。これって、現実の話よね。私たち、狙われてるのかも」
「そう思って動いた方がいい。実際、もう“演技”はとっくに終わってるっす」
真子の言葉に、弓子は力強くうなずいた。
そのとき、昼休み終了を告げるチャイムが鳴る。
「じゃ、私は3限目、情報処理の授業行ってくるっす」
「私は古典。寝ないようにしなきゃ……」
「私は委員会室で打ち合わせあるから」
三人は、それぞれの“仮面”を再び被って教室へ戻っていった。
——けれど、それぞれの中で、すでに戦いの準備は始まっていた。
:この日常を守るということ
昼休み、3年A組の教室には、制服姿の生徒たちが次々と戻ってきていた。来週に控えた卒業アルバムの写真撮影に向けて、誰もが髪型や着こなしを気にし始めていた。
「ねえねえ、前髪もうちょっと切ったほうがよくない?」
「制服のリボン、ちょっとズレてるよ」
「本番に向けて、しっかりアイロンかけておかなきゃ」
和やかな空気が、教室中に満ちていた。
そんななか、真子は窓際の席で、制服の襟を指で摘みながら、小さくため息をついた。
「……やっぱ、こういうイベントって、苦手っす」
「何よ。オタクのくせに、イベント苦手とか、矛盾してるわね」と、隣の席の倉子が呆れ顔で言った。
「だってこれは、リア充イベントっすから」
「写真撮られるのが嫌なんでしょ?」
「ぐっ……図星っす」
そう答えた真子だったが、心の奥では別のことが引っかかっていた。
――アルバムに“真田真子”として、普通に写っていていいのだろうか。
この写真は、後に生徒たちの記憶に残る。だが、そこに護衛任務中の自分が映り込むのは、果たして正解なのか――。
「真子、また顔が険しくなってるわよ。そんなに撮られるの嫌?」
「いや……ちょっと、考え事っす」
倉子はちらりと真子の横顔を見て、勘づいたように目を細めた。
「バレたっすか?」
「そりゃね。あんたが“普通の生徒”のフリに悩んでるときの顔、何回見たと思ってるのよ」
その時、教室の後方で軽い歓声が上がった。
「うわ、委員長、いつもと雰囲気違う!」
「髪、巻いてる!おしゃれだね~」
振り返ると、大橋弓子が控えめに笑っていた。制服の着こなしは変わらないが、髪に軽くカールが入っており、普段よりも柔らかな印象だった。
「撮影くらい、ちゃんとしたくて」と弓子は照れくさそうに言った。
倉子がすっと立ち上がり、弓子のもとへ向かう。
「いいじゃない。ちゃんと“思い出”を残すって、素敵よ」
「ありがとう。……あの、真子さんも」
弓子の視線が、遠慮がちに真子へと向けられる。
「撮影、楽しみにしてるんです。だから、真子さんも、無理しないで……ちゃんと笑ってくれたら嬉しいです」
真子はきょとんとしていたが、すぐに表情を崩し、頭をかいた。
「委員長……優しすぎるっすよ」
「ふふ。……だって、みんな同じクラスだもの」
その言葉が、真子の胸にじんわりと染み込んだ。
――たしかに、任務でこの場にいる。けれど、ここで“みんなと一緒に過ごした”時間は嘘じゃない。
だったら、その一瞬くらい、笑顔で映っても、罰は当たらない……かもしれない。
「了解っす。あんまり上手く笑えるかわかんないっすけど、努力はするっす」
弓子は安心したように、ふわっと微笑んだ。
* * *
午後の授業が始まる前、真子はこっそり屋上へと足を運んだ。
見晴らしのいい場所に立ち、風に揺れる校庭を眺める。
「……静かっすね」
この日常の風景が、どれだけ脆いかを、真子は知っている。
不意の危機は、いつも平穏な顔をして忍び寄ってくる。
けれど――。
「この静けさを守るのが、あたしの役目っすよね」
ポケットの中で、護衛用の通信機が小さく振動した。警戒レベルは通常通り、特に異常なし。
真子は通信機を見つめ、ふっと息をついた。
「任務中でも、思い出は作れる……っすよね、隊長?」
真子の声は風に溶け、空へと舞い上がっていった。
彼女は再び、制服姿の“ただの高校生”として、教室へと戻っていった。
そして、来週の写真撮影に向けて、小さな笑顔の練習を始めたのだった。
了解しました。以下に**第42章-4(最終話)**をラノベ小説としてお届けします。
テーマは「卒業アルバム撮影当日と、守りたい日常の象徴としての一枚の写真」です。
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第42章-4:この瞬間に、微笑みを
卒業アルバム写真撮影当日。
教室には朝からピンと張りつめた空気と、どこか浮足立った雰囲気が混在していた。
「ちゃんとネクタイ締めた?」
「ほら、髪の毛!最後まで気を抜かない!」
男子も女子も、今日はなんだか落ち着かない。
来週でも再来週でもない、“今日”というこの日。
それが、たった一枚の写真に永遠に閉じ込められる。
真子は、教室の隅で制服のスカートを整えていた。
本来、制服姿など任務に不向き。動きにくく、目立つ装飾は防御にも不適合。
だが――今日は特別だ。
「真子、準備はいい?」
倉子が近づいてきて、肩越しに声をかける。
「まあ、そこそこっす」
「相変わらずテンション低いわねぇ。もっとこう、記念写真なんだから、笑顔、笑顔!」
「だって、これ一度きりなんすよ? 一発勝負なんすよ? プレッシャーっす……」
「カメラマンに向けて銃口向けるよりマシでしょ?」
「それはそうっすけど!」
二人の軽口に、周囲の生徒たちがくすくすと笑った。
普段なら「年上の雰囲気がある二人」と一歩引かれていたが、この瞬間ばかりは、完全に“同級生”だった。
やがて、担任の教師が声をかけた。
「それでは、3年A組、アルバム用の集合写真を撮影します。全員、移動を始めてくださいー!」
体育館横の中庭、校舎を背景にしたスポットへ、ぞろぞろとクラスメイトが移動していく。
一人ひとりの顔に、笑いと緊張が入り混じる。
カメラマンがポーズの指示を出しながら、全体を調整していく。
「前列、腰かけてー。後列は段差に合わせて並んでくださいねー」
「中央は委員長、はい、そこ! そして……そこの髪型崩れてる子、ちょっと待ってね」
弓子が中央に座る。彼女の表情は、少し緊張しながらも凛としていた。
その隣に真子、そして倉子が並ぶ。
「……なんか、感慨深いっすね」
「まさかこの制服でここまで過ごすことになるなんてね。しかも、卒アル撮影まで完走するとは」
「潜入任務って、思ったより長丁場っすからね……」
二人がそう呟くと、弓子が小声で言った。
「でも……私、ずっと気づいてました。お二人って、普通じゃないって」
一瞬、空気がぴしりと凍った。
だが、弓子の目に敵意はない。むしろ、慈しむような光が宿っていた。
「普通じゃないけど、大事な人たちだって……そう、思ってました」
真子と倉子は目を合わせ、ふっと微笑む。
「……委員長、やっぱ只者じゃないわね」
「それ、褒め言葉っす」
「はい!」と、弓子は誇らしげに返した。
「はーい、それじゃあ撮りますよー! 3秒前からカウントします!」
「「「はーい!!!」」」
カメラマンのカウントダウンが始まる。
3、2、1――
――カシャ
シャッター音が鳴る。
その瞬間、真子は思った。
この写真が、誰かの記憶に残る限り。
この“平穏だった日常”が、確かに存在したことを証明してくれる、と。
だからこそ、今日だけは。
「……うん、悪くないっす」
つぶやいた真子の顔に、自然な笑顔が浮かんでいた。
* * *
放課後、人気のなくなった校舎の屋上で、二人のシルエットが夕日を背に立っていた。
真子が腕を伸ばしながら言う。
「ふぅ、やれやれっす。……今日も異常なし」
倉子も背伸びをして、風に揺れる髪を押さえた。
「写真、一枚残るだけでも、けっこう気疲れするわね……でも、いい思い出になったわ」
「来年は27歳っす。もうアラサーっすよ」
「それ、何回言うのよ」
「でも、こうやって一緒に任務して、笑って、騒いで……それも悪くないっす」
「ふふ、そうね。――この日常、守る価値はあるわ」
二人は並んで空を見上げた。
夕焼けが、教室での賑やかな一日を、優しく包み込んでいた。
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