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私の理想の王子様
私の理想の王子様
柚木ゆきこ
異世界恋愛ロマファン
2025年05月01日
公開日
1.5万字
連載中
エメリナ伯爵令嬢は物語が好きだ。 今日も彼女が愛読書を開いていると、侯爵令嬢のアリーヌが声をかけてきた。 エメリナにとってアリーヌは尊敬する令嬢だ。 そんな彼女からエメリナは『エスコートについて助言をしてほしい』と頼まれ、二つ返事で請け負った。 当日、待っていた私の目の前に現れたのは、理想の王子様でーー。

第1話

「ああ、とても良いわ……」


 私は読み終えた小説を机に置いた後、そう呟いた。


 この小説は史実を元に作られたものだ。数年前にある国で起こった実際の出来事を小説とし、貴族間の契約を勝手に放棄した者の末路を鮮明に描いている。読み物としてもそうだが、貴族の在り方を間違えるとどうなるか、という教科書的な意味合いもあるそうだ。


 主人公は第一王子の婚約者であった公爵令嬢。婚約者のために手を尽くした公爵令嬢だったが、ある日王子との交流の日に婚約破棄を告げられてしまう。失意のどん底に落ちた主人公だったが、そんな彼女の手を取ったのは婚約者のいない王弟殿下だった、というあらすじ。

 これが流行ってから実際、その国で婚約破棄する者はいなくなったらしい。この作品の第一王子の末路が悲惨なものだったからだろうか。


 まあ、そんな「反面教師の教科書」とも言えるこの作品は最近我が国に入ってきたのだが、特に令嬢たちの間で瞬く間に人気の小説となり、現在読んでいない者はいないと言われるほどだ。


 流行っている理由は、勿論主人公に手を差し伸べる王弟殿下が格好良いから。ほぼ全ての貴族令嬢の理想を体現したともいえる王子様であるからだ。例にも漏れず、私もこの本の愛読者だ。まあ、この本だけでなく、私はこのようなラブロマンス系の話が大好物なのだが。


「この話のヒーローである王弟殿下の格好良さを布教したい……」

「あら、布教しなくてももうすでに流行っているじゃない。またその本を読んでいるの?」

「何度読んでもときめいちゃいますよ! アリーヌ様は読まれました?」

「ええ、読んだけど、私が気になったのは第一王子が間抜けすぎでしょう、と言う部分かしら? 彼の王子教育はどうなっていたのかが不思議よね」

「もう、夢がないですねぇ」


 先程、の貴族令嬢と言ったが、ヒーローに興味のない令嬢の一人が彼女、アリーヌ様だ。


 こんなに格好いいのになぁ、と小説の表紙を見ていたら、アリーヌ様に声をかけられる。


「エメリナは本当にこの物語の王弟殿下が好きねぇ」

「そうなのです! この方こそ、女性の理想を体現したお方だと思います! 素敵ですよねぇ〜。こんな素敵な擬似体験をさせてくれるから、本は止められないんですよ」

「確かに本は、自身が体験できない事を学べるから良いわよね。この第一王子の末路を見たら、契約を破棄しようなんて考える者はいないでしょうし」

「やっぱりアリーヌ様は夢がないですよ〜」


 またそう告げるも、彼女はどこ吹く風だ。


「まあ、自分の王子様は自分で見つけるものだと思っているからかしら?」

「ああ、やっぱりアリーヌ様は素敵です……」


 物語のお姫様のように待つのではなく、自分で掴もうと努力しているアリーヌ様は本当に格好いい。そろそろ私も現実を見なくてはいけない時期なのだろうけれど、どうしても物語に走ってしまう。


 理由は分かっている。選択の時期が迫っているからだ。私は現在二学年。学園は三学年までなので、もう折り返し地点まで来てしまっている。


 私はルクレール伯爵家の一人娘。そのため、将来は伯爵家を継ぐ必要がある。

 まあ、学園では領主科に在籍しそこそこの成績を修めているので、跡を継ぐのも問題ないと思う。なら、何故将来について考えなくてはならないか……そう、結婚相手だ。家の存続のために、私は婿を取らなくてはならないのである。


 両親には、「自分で納得して決めなさい」と言われている。現在も家に縁談は届いているようだけれど、両親は一言も言ってこない。きっと私の幸せを考えてくれているからだと思う。


 ――ただ、どうしても男性に近づくのは苦手だった。


 ふとあの事を思い出してしまい、思わず眉間に皺を寄せてしまう。慌ててすぐに表情を戻したからか、アリーヌ様には気づかれていないようだ。ほっと胸を撫で下ろしていると、アリーヌ様がコテンと首を傾げた。


「そうそう、ひとつ聞いてみたい事があったの。もしエメリナの前にこの王弟殿下……まあ、この際似た人でもいいのだけれど、現れたとするじゃない? その時はどうするの? 彼に好かれるようにアピールしたりするの?」


 そんな事考えた事もなかった私だったが、結論はすぐ出た。だがどう言えば良いか悩んだ末、私は告げた。


「……それはあり得ませんね。だって、その方に私が好かれるとは思いませんもの。現実は違いますから」


 理想と現実は違う。混合してはいけない、これが私の信条である。

 我がルクレール伯爵家は古参の貴族ではあるが、平凡中の平凡。特色があるとすれば、代々の当主が読書家であるため、我が家の図書館は他の家にも負けないくらいの蔵書を誇るくらいか。

 読書が大好きな令嬢が、高位貴族の令息に見染められる、なんて話もあったが……私は読書が好きであっても、能力は良く言っても中の上くらい。大抵の登場人物は学年一位の実力を持つ令嬢なのだから、私なぞ無理に決まっている。

 まあ、一度で良いからそういう扱いをされてみたいと思う事もあるけれど――。叶わない夢は心の中に閉まっておくべきだ。


 ふとアリーヌ様へと視線を送ると、彼女は真剣に何かを考えている。どうしました、と声をかけようとしたその時。


「おい、エメリナ。帰るぞ」


 振り返ると教室の入り口には、幼馴染のマクシムが立っていた。彼はブーロー伯爵家の次男であり、私の幼馴染である。王都のタウンハウスが隣同士という事もあり、よく家族でお茶会を開いて交流していたため、腐れ縁なのだ。そのためか、彼が唯一怖くない男性である。

 声をかけてからマクシムはアリーヌ様の存在に気づいたらしい。


「っと、アリーヌ様、失礼しました。エメリナを明日までお借りしても?」

「勿論、明日返していただければ大丈夫よ」


 いつものやり取りである。以前だったら、ガチゴチに固まっていたのにもう手慣れたものだ。なんとなく文句を言いたくなった。


「もう、いつも迎えに来なくて大丈夫って言ったじゃない!」

「エメリナの父さんに『送迎を任せた』と言われたからな」


 マクシムは自分が帰る時に、図書館か教室にいる私を迎えに来る。学園に入学前、「エメリナはこれでも伯爵令嬢だからな。マクシム、学園では任せたぞ」と律儀に父に言われた事を守ってくれているのか、毎日鍛錬が終わると迎えに来てくれて一緒に帰るのだ。

 最初はアリーヌ様に対して狼狽えていたマクシムも、何度も会ううちに慣れたらしい。緊張しているマクシムを見ているのが、個人的には好きだったのだが……残念だ。


「アリーヌ様、また明日」

「ええ、また明日。エメリナ、マクシムさん、お気をつけて」

「アリーヌ様もお気をつけ下さい」


 小さく手を振るアリーヌ様に私も手を振り返した。




 ――その日から二週間後。

 何故か私は成り行きで理想の王子様とデートをする事になったのである。




 それは小説の話をした時から数日後の事だった。


「ねぇ、エメリナ。相談があるのだけれど」

「相談ですか? 私でよろしければ、お力になります!」


 彼女が私に相談なんて今まで一度もない。むしろどんな壁も自力で壊そうとして、人に頼ろうとしないアリーヌ様。まさかそんな彼女が私を頼ってくれるなんて!

 溢れ出そうな喜びを胸に隠し、いつものような微笑みを貼り付けて彼女を見ると、アリーヌ様は私の両手を取って満面の笑みを私に向けた。


「本当?」

「ええ、勿論です! むしろ私でよろしいのですか?」

「エメリナじゃないと駄目なのよ」


 そう告げたアリーヌ様は手を頬に触れてから、困ったように話し始めた。


「私の従姉妹と出掛けて欲しいの」

「従姉妹、ですか?」

「ええ。ファイエット伯爵家の長女のマルゲリットは知ってるかしら?」

「お名前は存じ上げております」


 ファイエット伯爵家と言えば、代々騎士団長を排出する家である。かの家に生まれた令息令嬢は直々にファイエット家直属の騎士団から手ほどきを受けるためか剣術や武術に優れているという。そのため、かの家の令息令嬢は学園に在籍せず騎士団で自身の腕を磨く者が多い。

 学園の入学は強制ではない。学園に入学してくるのは人脈を作るためだったり、私のように婿を探す、嫁を探すためだったり。後は親の爵位を引き継げない次男や三男などは、騎士科や文官科で勉強をして働き先を探す人もいる。


 とにかく、言いたいのはマルゲリットに会った事はない、という事だ。


「彼女ね、今エメリナが読んでいた王弟殿下のようなエスコートの仕方を勉強したいようなの。ちょっとお遊びのつもりで付き合ってあげてくれないかしら?」

「え、それでしたらアリーヌ様でもよろしいのでは?」


 むしろアリーヌ様の方が的確な指導をしそうなのだが……なんて思っていると。


「王弟殿下のようなエスコートを勉強したいんですって。私だとそのエスコートが乙女心に響いているかどうかは分からないし、エメリナが適役だと思うの」

「なるほど……?」


 そもそも何故女性がエスコートの勉強をするのか、という根本的な点から疑問は尽きないが、アリーヌ様が困っているのなら力になりたいと思っているのは本当だ。


「私でよろしければ、引き受けさせていただきます!」

「ありがとう! じゃあ、詳しい日程はまた伝えるわね」


 そう言われてあれよあれよという間に、出掛ける日程が決まったのだ。


 当日。

 王都の貴族街にある噴水広場。私はアリーヌ様が見繕ってくれた服を着て立っていた。

 白い襟の付いた若草色のワンピース。柄はなく、レースを利用したスカートの下にはフリルのついたスカートがあり、足も見えないようになっている。それ以外の靴や鞄などの小物は襟と同じような白色なので、見た目も落ち着いた感じに見えるのが良かった。

 アリーヌ様の侍女から私の侍女のサラが化粧の仕方を教わったようで、「習った化粧方法でお嬢様を美しくいたします!」と気合が入った言葉を聞いていたが……化粧を施された私を見た瞬間、もう別人であった。


 だれだ、これ……と呆然としている間に、広場へと連れられた私はマルゲリット様を待っていたのだが、なんとなくチラチラとこちらを見ているような視線を感じる。あ、もしかして男性から見たらこの服が似合ってないのかも、そう思った私は服を少しでも隠そうと、付いてきてくれていたサラからストールを受け取ろうとした。

 そんな時に後ろから声をかけられたのだ。


「待たせてしまってすまない、エメリナ嬢」

「いえ、私も今来たところですか……ら……?」


 慌てて前を向き返事をしたところで、彼女の姿が目に入る。その瞬間、私は言葉を失くした。


 ………………格好良い!

 え?今日、一緒に出掛ける方は、こんなに素敵な方なの?

 え?王子様? 確かに王弟殿下が小説から飛び出してきたかのような……。


 私の頭の中はぐるぐるである。自分が何を考えているのかさえ、分かっていないほど目の前には麗しい王子様がいたのだ。いや、彼女、マルゲリット様は女性であるはずだ……あれ、本当に女性なのだろうか?


 一筋の風が私とマルゲリット様の間を吹き抜ける。その風に乗った真っ直ぐで短い濃紺の髪が顔にかかったため、マルゲリット様は右手で耳にかけた。その仕草が既に艶やかだ。髪は癖っ毛である私とは全く違い、ツヤがありサラサラ。羨ましい。

 髪だけではない。目も二重でぱっちり、鼻筋は高く、肌は健康的に見える小麦色。凛とした美しさを纏う男性――いや、女性である。格好も騎士服に似せているのか、シャツとパンツスタイルなので、第三者から見たら、男性だと思うだろう。私も声を聞いていなければ、勘違いしたと思う。


 あまりの衝撃に口が開きっぱなしになっていたらしく、マルゲリット様は首を傾げた。


「おや、どうしたのかな? 可愛らしい貴女に見つめられるのも嬉しいけれど、良ければ貴女の素敵な声を聞きたいな」


 言い終えた後、マルゲリット様は微笑む。その微笑みの破壊力のすごい事……。

 危ない、マルゲリット様が美しすぎて天へ召されるところだった。美貌は勿論のこと、あの小説の王弟殿下のような言い回し……目の前でそれを受けると、尊すぎて魂が抜けそうになるのか、と鈍い頭で訳の分からない事すら考えてしまう。

 少しだけぼーっとしていた私だったが、ふと前を見ると微笑んでいたマルゲリット様が気遣わしげにこちらを見ているではないか! そうか、私が声を出していないから心配されているのか! 謝らなくては……そう思って私は口を開いた。


 「あの、すみません。マルゲリット様が美しすぎて圧倒されて……ぁ……」


 言ってから私は赤面した。

 あまりの美しさに余計な言葉まで口走ってしまう。何を言ってるんだ、私! 穴があったら入りたい……そんな気持ちで頭を抱える事もできずに、引き攣ってはいるが、なるべく自然に見えるような笑みをマルゲリット様に向ける。

 彼女は私の言葉に驚いたのか目を見開いていたが、すぐに口角を上げて微笑を浮かべた。


「可愛らしい貴女にそう言ってもらえて、私は幸せ者だ。では、エメリナ嬢。よろしければ、貴女の貴重な時間を私に戴けないだろうか?」


 マルゲリット様は私の前に跪き、手を差し出してくる。私はその手の上に恐る恐る自分の手を重ねた。



 そこからは幸せの連続だ。マルゲリット様に連れられ賑わっている市場を散策したが、大好きな小説の王弟殿下が本から出てきたのかと思うくらい素晴らしいエスコート。夢のようだった。


 まず、歩幅を私に合わせてくれるのだ。先程私の元へと歩いてきてくれた時と明らかに歩く速さが違う。そう言えば、マクシムも昔は「お前遅いぞ」と言われる事が多かったけれど、最近は言わなくなったな……と思い浮かぶ。

 ぼーっとしていた私を気にしてくれたマルゲリット様が「大丈夫かな?」と声をかけてくださって我に返る。


 いけない、今はマルゲリット様に集中しないと……! 


 そう思った私は、「大丈夫です」と返して微笑んだ。


 周囲の視線が突き刺さる。それはそうだ。こんなに素敵な、王子様然としている人に目が行かないわけがない。周囲を一瞥すれば、女性はマルゲリット様に見惚れているし、男性ですら目を見開いてこちらを見ている人も多い。やはりマルゲリット様の美貌は男女両方に通じるのだろう。

 こんな美しい方の隣にいるのが、私で良いのか……と何度も思うけれど、これはアリーヌ様の依頼である。マルゲリット様のお役に立てるよう、頑張ろう。そう思った私は、今までに読んだ恋愛小説を思い出しながら、マルゲリット様のエスコートに集中する。


 だからだろう、物陰から自分に視線が送られていた事なんて、全然気がつかなかった。



 午前中は貴族街にある様々な店舗を二人で回る。

 最初は服飾店や雑貨屋、私の好きな本屋などを見ていたが、後半はマルゲリット様の興味を引いた武器屋などにも足を運んだ。最初は武器屋へ行く事を申し訳なさそうにしていたマルゲリット様だったが、冒険小説も読むので前々から武器を間近で見てみたいと思っていたから、良い経験だ。

 武器屋に入ると私が口だけではない事に途中から気がついたのか、マルゲリット様も最後は楽しそうに見てくれていたのが印象的だった。


 最後に私たちは王都で人気のカフェと呼ばれる場所で軽食を取る。今日のお出掛けはここが最後だ。夢のような時間を下さったマルゲリット様に感謝すると共に、もう少し一緒にいられたらな、という思いも重なる。


 店舗に入った瞬間、周囲が色めき立ったのは気のせいではない。やはり周囲から見てもマルゲリット様の王子然とした振る舞いは、見惚れるものがあるのだと思う。私たちは窓側の席に案内され、座る。勿論、マルゲリット様のエスコート付きで。


 手渡されたメニューを見ると、昼食用の料理から軽めの料理、デザートまで取り揃えられていた。私は事前にアリーヌ様から教えてもらっていた、この店自慢のパンケーキを注文する事にした。


「エメリナ嬢は何を注文するだろうか?」

「私はアリーヌ様から教えていただいた、パンケーキと紅茶を注文しようと考えています。マルゲリット様は何をご注文されますか?」

「そうだな……」


 歯切れが悪い。どうしたのだろうか、と私は首を傾げる。そしてひとつの事を思いついた。


「あ、もしかして……甘い物が苦手なのでしょうか?」


 昼も過ぎ、午後のティータイムと言っても差し支えない時間だからか、他のお客たちはほぼ甘いデザートを注文している。甘い匂いがこの席まで届いているのだ。甘い物が苦手な人は、匂いも駄目だと聞く。マルゲリット様もそうだと考えたのだ。


「ああ、いや。そんな事はないから安心してくれ」


 もしそうであればこのカフェを出た方が良い、と私は考えていたのだが、カフェを出なくてすみそうだ。


「良かったです! マルゲリット様、この店はデザートが非常に好評なのです。折角ですから、デザートを頼まれてはいかがでしょうか?」

「……それなら、戴こうか」


 その後、マルゲリット様は果物の沢山載ったタルトと紅茶を注文していた。



 注文を終えた後、まだ見ぬパンケーキに胸を躍らせていた私へマルゲリット様が話しかけてきた。


「エメリナ様、今日は私の我儘で協力してくださり、感謝いたします」


 今までの口調と違ったので、狼狽える。けれども、なんとなくこちらが彼女の素なのかもしれないと思った。


「いえ、今日は夢みたいな一日を過ごせました……こちらこそ、ありがとうございます」

「そう言っていただけると、こちらも嬉しいです。ところで、今日の私のエスコートはいかがでしたか? 何か改善すべき点などは――」

「いえ! ありません! あ……遮ってしまって、すみません……」


 マルゲリット様の言葉に被せて、思わず話してしまった私は頭を下げる。最初は勢いに呆然としていた彼女だったが、私が謝罪した事で我に返ったようだった。


「改善点がない、ですか……?」

「はい! アリーヌ様からは『王弟殿下のような心ときめくエスコート』という話をお聞きしていたので、その点から判断すると素晴らしかったです! まるで物語にそのまま出てきそうなエスコートだと思います」

「それは良かった」


 彼女は笑みを湛えている。


「ですが、ひとつだけ……少々お聞きしたい事があるのですが、よろしいですか?」

「何でしょうか?」

「今回の事が『勉強』……いえ、練習だとすれば、この後『本番』と考えている相手がいる、という事ですよね」

「そうです」


 マルゲリット様がどんな相手にエスコートをするのかは分からないけれど、これだけは伝えておきたい。


「でしたら、私からはひとつだけ……もう少し、マルゲリット様らしさを出しても良いのでは、と思いました」

「私……らしさ……?」


 私は頷いた。


「何と言えば良いか……先程のマルゲリット様は、物語の王子様を完璧に演じようとしている役者のように見えるのです。今回、私は『勉強』という点からマルゲリット様にエスコートしていただいたので、素晴らしいエスコートだと感じたのですが……それをお見せしたい方が本当にそのエスコートを望んでいるのかな、と思いまして」


 もしかしたら披露する相手がマルゲリット様の従姉妹……齢五歳の女の子とかであったとしよう。男性の格好が似合う彼女に「お姫様になってみたい!」と言われて披露するのなら、絶対喜ぶ。

 その時はその時だ。けれども、なんとなくそうではない、と私は思ったのだ。


「先程武器屋に入った時のマルゲリット様は、生き生きされていて……とても楽しそうでした。実は、お相手もそんな表情を求めているかもしれないかな……なんて……いえ、これは私の想像なので、正しいとは限りませんが」


 そう慌てて彼女へ話せば、マルゲリット様は少し考え事をされているようだった。


「……私が『格好良い』を求めるのは……間違っていたのでしょうか」


 その瞳は遠くを見ていた。きっとそのお相手の事を思い出しているのかもしれない。


「今日お会いした私がどうこう言えるものではないのですが……私の意見をお伝えさせていただくと、マルゲリット様の『格好良さ』も、今思い悩んでいらっしゃるその姿も、とても素敵だと思います。マルゲリット様はお相手の方に喜んで欲しいのではありませんか?」


 きっと彼女の『格好良さ』は相手のために身につけた物なのかもしれない。そう考えると、彼女がその人の事をいかに大切にしているかが窺える。相手を想って身につけた事を間違っている、なんてあり得ない。


「喜んで……そうですね。笑っていて欲しいと思います」


 彼女の瞳はとても優しい。お相手の事を大切に思っている事が分かる。だからこそ、マルゲリット様には考えて欲しかった。


「マルゲリット様が想っているお相手の方も、きっとマルゲリット様と同じように思っているのではないでしょうか? もしかしたら、その方にも何か思う事があるのかもしれません」

「……!」


 マルゲリット様は目を見張った。胸のつかえが取れたような、そんな表情だった。


「そうですね……エメリナ様、素晴らしい助言をありがとうございます」

「申し訳ございません。生意気な事を……」

「いえ、貴女の助言で心の霧が晴れたような気がします」


 そう眩しい笑みで私を見つめてくるマルゲリット様は、王子様の真似をしておらずとも王子様にしか見えない。そんな彼女が披露する相手が誰か気にはなったけれど、それを聞くのは野暮というものだろう。


「そう言っていただけて良かったです。あ、あの……もしよろしければ、私の事はエメリナとお呼びください」


 ファイエット伯爵家の名声は我が家のそれと比べて、月と地ほどの差がある。同じ伯爵家であっても、ファイエット家は侯爵家と同等の権力を持つと言われている。そんなお方に、エメリナ様と呼ばれるのは……心臓に悪い。

 最初はきょとんとしていたマルゲリット様だったが、彼女は花開くように笑った。


「では、私も……マルゲリットと呼んで下さい、エメリナ」

「分かりました! マルゲリットさん!」

「違います。マルゲリットです」

「ええ、そんな恐れ多い――」


 最終的には、私は彼女をマルゲリットと呼ぶ事になる。しかも今度はアリーヌ様と三人で会おう、といつの間にか約束していた。そう気づいた私が、彼女に顔を向けると、悪戯が成功した子どものように笑うマルゲリット。そんな彼女が今日の中で一番素敵だと思った。



 その翌々日、週始め。

 私がクラスにたどり着くと、先に来ていたアリーヌ様から今週末に会おう、と約束を取り付けられた。どうやらその日にマルゲリットがアリーヌ様に相談したらしい。彼女の行動の速さに私は驚きを隠せなかった。

 しかもアリーヌ様は私にこう話す。


「聞いたわよ? 素晴らしい助言をありがとう、とマルゲリットが大喜びしていたわ! 流石、私の見込んだエメリナね」

「え、いや、大した助言はできていないと思うのですが……」


 むしろ王子様のエスコートの勉強、という意味で言えば……あまり良い助言ではなかったと後から反省していたのだが……申し訳ない表情をしている私に何故かアリーヌ様は目を瞬いた。


「むしろ私の望む以上の助言をしてくれたと思うのだけれど……うーん、そうね。まあ週末になれば分かるわね」


 その言葉に私は首を傾げたのだが、週末……確かに私の助言は役に立った事が分かったのだ。



「あの助言をいただけて、本当に助かりました!」


 週末、私はマルゲリットの迎えで以前来たカフェへと訪れた。以前は窓際の席であったが、今回は奥の個室だ。今日もマルゲリットはシャツとパンツを履いている。本人曰く常にパンツ姿でいるからか、スカートだと心許ないらしい。基本私服はパンツ姿をとっているのだという。

 奥の個室には既にアリーヌ様がおり、紅茶を嗜んでいた。私たちが席へと座ると、彼女はマルゲリットににっこりと微笑んだ。それが先程の言葉だ。


「えっと、王子様のエスコートについての助言、という意味ではあまり良い物ではないと思うのですが……」


 彼女は満面の笑みで私の手を握っているのだが、どうしても私はそこの部分が胸に引っかかっていたのだ。その言葉を聞いたアリーヌ様が、「ああ、そういう事」と呟いた。


「エメリナ、まさかそれを気にしていたの?」

「え、あ……はい。アリーヌ様から『王子様のようなエスコートを勉強したい』という話を聞いていたので……」

「そんな事……ああ、言ったわね。それが建前だったから、忘れていたわ」

「建前?」


 私は首を傾げる。アリーヌ様はマルゲリットを一瞥した。彼女が花開いたような笑みを見せていたからか、すぐにアリーヌ様は私へと顔を向けた。


「実はね。マルゲリットからある相談されていたのよ。彼女の婚約者であるブラッドリー・フォーガス伯爵令息はご存じ?」

「フォーガス伯爵令息様……は一度だけ、遠くからですが拝見した事があります」


 マルゲリットの家が「武のファイエット」と呼ばれているのと同様に、フォーガス伯爵令息様のご実家は「知のフォーガス」と呼ばれている。

 フォーガス伯爵家は代々宰相、外交官長、財務官長など……かの家は歴代含めて全ての役職を網羅したと言わしめる程、かの家で育った者たちは文官として優秀と言われている。勿論、中には武芸に優れている者も出るのだが、伯爵家で扱かれるために例え騎士の道に進んだとしても、その者は大抵書類仕事が非常に早く重宝されているらしい。婚約していた話は聞いていたが、まさかマルゲリットと婚約しているとは思わなかった。


 いや、自分の婚活にかまけて情報収集していなかっただけね。反省しなくては。


 話は戻るけど、フォーガス伯爵令息様は……こう言ってしまうと令息様に申し訳ないけれど、遠くから見ると幼い男の子……十歳くらいに見えた。実際はマルゲリットと同い年らしいが。

 可愛らしい容姿とは裏腹に、文官としての能力は歴代一二を争うほどの能力だと言われている。色々な部署から引っ張りだこらしい。

 それとエスコートがどう関わるのだろうか、と首を傾げているとアリーヌ様が面白そうに話を振ってきたのだ。


「実はあのエスコートをフォーガス伯爵令息にしていたみたいなの」

「……ふぇ?!」


 ちょっと待って。男性が女性にエスコートをする、これが普通だよね、うん。混乱している私に気づいたのか、アリーヌ様は更に話を追加してくる。


「幼い頃に『マルゲリットは王子様とか騎士様みたいで格好良いよね!』ってフォーガス伯爵令息が言っていたらしいのだけれど……マルゲリットは貴女に助言をもらうまで、ずっとそれを信じていて実行していたらしいのよ」

「……」 


 つまりマルゲリットは幼い頃からフォーガス伯爵令息の事を好き……いや、自覚があったかは分からないけど、とにかく好意を持っていて、彼の言葉を胸に今まで頑張ってきた、という事?!


 いや、尊すぎる……これ、どこの小説よ……あ、現実だったわ。事実は小説よりも奇なり、なんて言うけれども、まさか当事者になるとはねぇ。


 私は興奮でマルゲリットをチラリと見れば、彼女は頬を染めてそっぽを向いている。王子様の真似をしていた彼女も素敵だけれど……普段凛々しい女性が見せる恋心!


 ――良い!良い! 誰かこの状況を小説にして!


 浮き足立っている私に、マルゲリットは更に燃料を投下するのである。


「だって、彼に初めて褒められて……嬉しかった……」

「あわわわわ……!」


 私は慌てて口を塞いだ。心があまりにも昂ってしまったため、思わず口に衝いて出てしまった。そんな私の様子を楽しそうに見るのはアリーヌ様。


「私にエスコートの勉強をしたい、と頼ってきたのも、最近フォーガス伯爵令息の顔色が良くない、とマルゲリットが気づいたからね。もしかしたら自分のエスコートが問題だったのかもしれない、と青い顔をしていってきたのよ」

「それで私に依頼したのですね」


 それであのような依頼になったのか、と私は納得した。アリーヌ様もひとつ頷く。


「マルゲリットは気づいていなかったけれど、私はすぐにそれはエスコートの問題ではないと判断したの。もう既に一人前として扱われているフォーガス伯爵令息の事よ。きっと彼が自分でマルゲリットをエスコートしたいと思っていても不思議ではないでしょう? エメリナのお陰でマルゲリットは、やっとそこに思い至ったのよ。それで翌日のお出掛けでそれを実行したみたいなの」


 流石マルゲリット、行動早いな……と驚いていると、アリーヌ様は一瞬彼女に視線を送る。少し首を動かしていたので、この後はマルゲリットに言わせるのだろう。



「最初はいつものようにエスコートをしていたのですが……いくつかの店を訪れた後、ブラッドリーに聞いてみたんです。『この後どうしようか』って」


 マルゲリットはこう聞くのが初めてだったそうだ。確かに小説の中に描かれる王子様は、女性の手を煩わせる事なくスマートにエスコートしているわよね。

 その言葉にフォーガス伯爵令息は目を見開いて驚いたらしい。そして「マルゲリットの行きたい場所に行きたい」と言ったのだとか。


「それでエメリナと行った時のように、武器屋や薬屋なんかに寄ってきました。食事も予約していなかったので、ブラッドリーに聞いて大衆食堂へ行ってきました」


 なんでもそこはフォーガス伯爵令息の同僚がお勧めしていた食堂らしい。彼から「一度マルゲリットと一緒に行ってみたかったところだ」と満面の笑みで言われたという。

 その言葉を言う時のマルゲリットは桃のようにほんのり頬を染め可愛らしい表情で……失礼かもしれないが、彼女の姉のような気分になって話を聞いていた。

 その上で、アリーヌ様は更なる特大な燃料を投下してくる。


「それで最後にフォーガス伯爵令息へと聞いてみたのでしょう?『今度はエスコートをお願いしてもいい?』って……」

「流石マルゲリット! で、返事はどうでしたの?」


 二人でじーっとマルゲリットを見つめると、彼女の頬は更に赤く……林檎のように真っ赤になる。ああ、これは良い返事が貰えたんだろうな、と私も察するけれど。やっぱり本人の口から聞きたいよね!

 ニコニコ彼女を見ていたら、その視線に耐えられなかったのか、マルゲリットは目をそらす。だが、じーっと見続ける私たちに根負けしたらしい彼女は、小さな声で呟いた。


「『任せて欲しい』と……」


 うっひゃあ! 乙女のマルゲリットが可愛すぎる!

 きっとフォーガス伯爵令息の前でもこんな感じだったんだろうな、と思う。私も小説はたくさん読んだけれど、やっぱり人から恋の話を聞くのはまた違った胸の高鳴りがあるよね。


「楽しみですね、マルゲリット!」

「……」


 無言で頷く彼女に萌える。普段はキリッとしている彼女が、恋愛になるとこんな可愛らしくなるなんて……やっぱり恋はいいな、と思う。


 でも……自分が恋をするのは怖いな、と思う。


 目の前のマルゲリットは本当に楽しそうだ。心の底からフォーガス伯爵令息を慕っているのだと思う。私も前を向いた方が良い、そう思うのだが……どうしても入学の時の出来事を思い出してしまう。

 私の表情が暗くなった事にアリーヌ様は気がついたらしい。


「エメリナ、もしかしてあの事を思い出したの?」

「あ、アリーヌ様……お気を遣わせて申し訳ございません」

「良いのよ。割り切れれば良いんだけど、なかなか難しいわよね」

「私が聞いても良いかは分かりませんが……何があったのですか?」


 彼女はその頃からお付き合いさせてもらっていたから、あの事も知っている。アリーヌ様はこちらの様子を少し見ると、マルゲリットに話し始めた。


「学園に入学した時の話なんだけど、一度エメリナがエセリナと間違えられた事があるの」

「エセリナ……エセリナ・ルグラン侯爵令嬢の事でしょうか?」

「ええ、そうよ」


 エセリナ様は私と同い年……しかも私の誕生日の二日後にルグラン家で生まれている。私の名前とエセリナ様の名前が似ている事を知ったのは、エセリナ様と名付けられた時の事だった。

 当時両親は驚いて、侯爵家へとお伺いに行ったらしい。その話を侯爵夫妻にしたところ、「あら〜、姉妹みたいで良いじゃない!」と仰られたのだとか。

 侯爵様も「役所に提出しているのだから、変える必要はないだろう」と判断されて、私はエメリナとなった。


 名前が似ているから、と何度かエセリナ様とお会いした事もある。その時、エセリナ様も「名前が似てるなんて、嬉しい!」と仰ってくれて、この名前が誇らしかった。

 エセリナ様も実は学園に通われているのだが……淑女科である事、現在婚約者様の元で花嫁修行をしているらしく、最近学園ではあまりお会いしないのだ。


「確かに一文字違いですから、間違える可能性はありますが……」

「エメリナは間違えた男性に、罵倒されたのよ」


 そう、入学して暫くした頃。

 一人の令息から手紙を貰った。手紙には「放課後、噴水の下で待つ」と書かれており、当時アリーヌ様と私は今流行りの愛の手紙かと心躍っていたのだ。

 放課後、私の様子が気になったであろうアリーヌ様は少し離れた場所にあるベンチに座り、私は指定の噴水の前で待っていたのだが……現れた令息が目を釣り上げて私を罵倒してきたのである。


「お前! エセリア様ではないじゃないか!」

「お前みたいなブスに用事はない!」

「お前のような弱小が、俺に愛されていると思ったのか! 烏滸がましい!」


 等々、散々に言われたのである。異変に気がついたアリーヌ様が仲介してくださったのだ。初めて男性に罵詈雑言、暴力を振るわれそうになった私は、どうしてもこの事が頭から離れなくなってしまったのである。


「少しずつ、癒えてはいるのですが……情けないです……」

「あら、情けなくなんかないわ。あの男は騎士科で圧が強かったもの。怖かったわよね……」

「そうですよ。その男、自分が間違えたのでしょう? エメリアは巻き込まれただけじゃないですか。そんな女性に暴言とは……男として情けない! そんな男が騎士志望だとは……我が家に招待して扱いてやりたいくらいですね!」


 マルゲリットが自分の事のように怒ってくれ、私の心が少し軽くなったような気がした。

 あの後、幼馴染のマクシムは幸い問題はなかったが……。領主科のクラスメイトは辛うじて喋る事はできるけれど、たまにあの光景が頭に思い出されたため、長時間話す事ができなかった。

 ちなみにアリーヌ様も同じ領主科で、後継なのだ。あの時いつも一緒にいてくれた事、感謝している。だからアリーヌ様が困っている事があれば、どこにいても駆けつける所存だ。

 そう再度決意していたら、アリーヌ様が思い出したように言葉を紡いだ。


「あらマルゲリット、残念ながらそれはできないの。あの男は辺境伯領にいるわ。辺境伯領にある国境守護部隊にね。比較的お顔立ちのよろしい方でしたから」

「そうでしたか。先を越されてしまいましたが……まあ、我が家よりはそちらの方がお灸を据えるなら良いかもしれません」


 この時の私は国境守備部隊について知らなかったので「だからあの方、学園でお会いしないのですね」と話していたが……まさか国境守備部隊が顔の良い男が好きなあつま――いや、ここまででやめておこう。

 きっとアリーヌ様は私の事を考えて、内緒にしてくれていたのだと思う。数ヶ月前まではその令息の事を考えるのも恐怖だったから。


「まあ、あの名前も言いたくないあの男の事なんか忘れましょう。エメリナも自分のペースでゆっくり進めれば良いのよ」

「アリーヌ様、ありがとうございます。ただ心配なのが……この調子だと、相手を見つける前に学園が終わってしまいそうで……」


 正直それが一番懸念している事だ。後一年半しか残されていないのだから。そう告げると、アリーヌ様の眉間に皺が寄る。


「もし、卒業までに相手がいなければ、私の同僚を紹介しましょうか? 騎士で良ければ」

「え?! 良いのですか?」

「同僚にも独身の男性は何人かいますし、父の伝手でも紹介できるかもしれません」

「ありがとうございます!」


 私はマルゲリットの優しさに感極まっていた。

 まるで小説から王弟殿下が現れたような……理想の王子様にエスコートしてもらった上に、アリーヌ様には褒めていただき……。しかもマルゲリットとも友人になる事ができた上に、男性の紹介をしてもらえるかもしれないなんて! 私は嬉しさを噛み締めた。


 マルゲリットに紹介してもらえるのであれば、学園生活をもっと気楽に過ごせる気がする。そんな私たちを見て、アリーヌ様が「本当に臆病な男……」と誰かに対してため息をついているなんて気がつかなかった。


 そしてマルゲリットを男性だと勘違いしたマクシム幼馴染と一騒動起きたのだが、それはまた別の話。

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