「マルゲリット様が想っているお相手の方も、きっとマルゲリット様と同じように思っているのではないでしょうか? もしかしたら、その方にも何か思う事があるのかもしれません」
――その言葉に私は胸を打たれた。ああ、私に足りなかったのはそこなのだ。
我がファイエット伯爵家は代々騎士団長や副団長を輩出しており、自他共に認める騎士の名門と言っても良いだろう。私も含めて兄妹が五人いるが、全員武道が得意だ。
私も兄二人との年齢が近かった事から、ずっと二人に混ざって訓練をしてきた。その結果かは分からないけれど今年受けた近衛騎士試験に合格し、来年から女性近衛騎士として働くこととなっている。
男性に囲まれた私だったが、恋愛の方はさっぱり。騎士として同僚や先輩、後輩はいたが、やはり騎士団長の娘という事で一線を引かれている気がする。まあ、私も自分の剣を磨くのに忙しい事もあり、恋愛のれの字の欠片も頭になかったからだろうが……。
そんな私を心配したのは、母であった。
「器量は良いと思うのだけれど……」
一度だけ母はそう言ってため息をついていた気がする。その後ろでバツが悪そうにしていたのは、兄たちだ。どうやら、私に好意を寄せてくれていた人はいたらしい。それを跳ね除けていたのが、兄たちだったそうな。
まあ当時好意を伝えられていても、私が受け取ったかは分からない。けれども、確かに兄たちが邪魔をしていなければ、恋人の一人や二人いたかもしれないな、と思った。
反省した兄たちは、その後一人の男性を連れてきた。それがブラッドリーだった。
ブラッドリーの生家であるフォーガス家とは、家族ぐるみの付き合いだった。武のファイエット家、知のフォーガス家と呼ばれるほど我々は両極端ではあるが、案外馬が合うらしい。
現当主である我が父とブラッドリーのお父上は同級生で、暑苦しい我が父はいつもブラッドリーのお父上に絡んでいてため息をつかれていたそう。
それだけ聞けば、ブラッドリーのお父上が嫌がっているように見えるが……。
「あの人はツンデレなのよ、ツ、ン、デ、レ。なんだかんだ言いながらファイエット伯爵がいない時、そわそわしていたもの」
とのほほんとのたまったブラッドリーのお母上が、一番肝が座っているように思う。
話は戻るが、ブラッドリーと私が最初に会ったのは六歳の頃。剣を振っていた自主練中、現れた彼に目が釘付けになったものだ。
ああ、こんな可愛らしい男の子がいるんだな、と。
そんな出会いを果たした後、両親の仲が良かった関係でしょっちゅうお互いの屋敷を行き来していた。と言っても、お互いの家にいても二人ともマイペースに過ごしていたが。
私がブラッドリーの屋敷に行く時は、フォーガス家が所有する蔵書を見せてもらって、許可を得て読ませてもらっていた。そして分からない事があれば、ブラッドリーに尋ねていた。
一方、ブラッドリーが私の屋敷に来る時は、本を片手に私の自主練や兄たちの訓練をじっと見ていたような気がする。一度「見ていて楽しい?」と尋ねた事があるが、「自分ができない事を知れるから楽しいよ」と言っていたのが印象的だ。
その時はいつも「王子様みたいで格好いい!」「騎士って素敵だね!」と言われていたから、私はブラッドリーにそう思ってもらえるように頑張ってきたのだ。その言葉がすごく嬉しかったから。
だが歳を重ねるに連れ、ブラッドリーも足を運ぶ事が少なくなった。勿論、私もだ。今までは訓練だけだったが、勉強が始まった事もある。
そして最後に顔を合わせてから数年が経って……兄の紹介と我が母の意向により私はブラッドリーと婚約した。
久々に出会ったブラッドリーは、以前より背は伸びてはいるがあの可愛らしい顔立ちは変わらないままだった。少し大人っぽくなったような気がする。
久しぶりに出会ったからか、初対面のようにオドオドしていたブラッドリーに私は手を差し出した。その顔が真っ赤になっているのを見て、やっぱり可愛らしい方だ、と思ったのは内緒である。
その後、私の身長がブラッドリーより大きい事、ブラッドリーがお母上に似ているからか、女顔である事、幼い頃のあの輝いた目で見てほしいと思った事……色々な事が重なって、私がエスコートを買って出たのだ。
何度目かの外出で、彼の顔色が良くないことには気が付いていた。ブラッドリーに尋ねても、「なんでもない」と言うだけ。
だから、アリーヌ様に尋ねてみたのだが……。
思えばアリーヌ様もエメリナと同じような事を言っていた。私が受け入れられなかっただけで。
小説愛好家で有名なエメリナに「エスコートは完璧」とお墨付きをもらえたからこそ、受け入れる事ができたのだ。エメリナに、自分のやってきた事を認めてもらえたような気がしたから。
そうか、私は今までやってきた事が的外れであったと認めるのが怖かったのかもしれない。そしてそんな今の私をブラッドリーが受け入れてくれないのではないか、と心の奥底で恐れていたのだ。
エメリナと出掛けた日の翌日が、ブラッドリーと出掛ける日だった。私は家に帰って、書き出していた計画の大半を没にする。
そして一緒に行きたいと思った三箇所だけを残し、私は彼に委ねる事にしたのだ。
当日。
いつものようにエスコートを始めた私。ブラッドリーが好きそうな店を巡る。予定していた店舗を見終えた二人だったが、昼には早い時間。
広間の噴水に腰掛けた私は、きょとんとしているブラッドリーにも座るよう勧める。
とても緊張した。
本当に自分の選択は正しいのか、何度も考えた。
だが、ブラッドリーがどう思っているのか、聞いた事がなかったのだ。以前母が言っていた。「きちんと相手と話合わないとダメよ」と。
だから勇気を出して聞いてみるのだ。
「ぶ、ブラッドリー。こ、この後どうしようか……?」
両手を握りしめて告げる。彼の顔を見るのが怖くて、視線は手になってしまったが……。しばらくして何も反応がない事に気づき、私は顔を上げた。
するとブラッドリーがぽかんと口を開けているではないか。
「ど、どうした?」
そう尋ねると、彼は我に返ったようだ。目をぱちくりさせながら私を見てきた。
「いや、えっと……僕が決めていいの?」
今まで全て私が計画を決めてきたからだろうか、驚きが隠せないようだ。
「ああ。私が連れて行きたいところはもう終わったからな。折角だしブラッドリーの行きたいところを教えてもらいたいと思ってね」
思えば私は、このような場所が好きそうだという彼のイメージで店を選んでいたところがある。もしかしたらブラッドリーだってそれ以外に好きな物があるかもしれない。私の中に彼の理想像があり決めつけていたのだろうな、と反省する。
ブラッドリーは私の言葉に少し悩んでいたが、すくっと立ち上がった。そして私の前に手を差し出してくる。
その行動に私は固まった。
エスコートをする事があっても、エスコートされた事など人生で一度もないのだ。動かない私にブラッドリーはこう告げた。
「マルゲリットの行きたい場所に行きたいな。君はどこに行きたい? 良かったら、歩きながら教えてほしい」
ブラッドリーの顔を見つめる。彼の顔は確かに可愛らしいが、以前に比べて物腰の柔らかさが重なり落ち着いた大人へと成長していた。
私は見惚れていたようだ。彼が首を傾げてこちらを不思議そうに見るまで、ずっと彼を見ていたのだから。
「私の行きたい場所でいいのか?」
「勿論。僕だってマルゲリットの事について知りたいからね」
そう言ってブラッドリーは笑った。まるで閉じていた蕾が開いたような……美しい笑みだった。自分の頬が熱くなるのがわかる。
ほんのり体温が上がった手をブラッドリーの手に乗せる。
「それなら、薬屋に行ってもいいだろうか?」
「薬屋? 確か二つくらいあったけど、両方行ってみる?」
「いいのか?」
「勿論!」
その笑顔が眩しくて……心躍る自分がいた。私はこの笑みを見たいがために、頑張っていたのだろう。
一歩踏み出して良かった、そう思えた。