ウィリアムの顔は笑っていなかった。
それもそのはず、王族が『呪い持ち』など、あってはならない。
アイザックが『呪い持ち』である事実は、国家機密級の秘匿案件だ。
(とんでもないやり口で先手を取りやがった。なんて真似してくれる、この腹黒皇子!)
ウィリアムがノエルをここに呼んだ理由は一つ、『呪い』の解呪法を聞くためだ。
『呪い』を受けて生きている以上、誰もが解呪に成功したと思うだろう。
ウィリアムは、王族の秘密を先んじて明かすことで、ノエルを逃げられない立場に追い込んだのだ。
(強引なやり口はウィリアムらしい。これがシナリオなら悪くない手だ。シナリオならな! これじゃぁ、何か話さないと逃げられないじゃないか)
原作者なので解呪法なら知っている。しかし、ここで総て明かしては意味がない。
アイザックルートは
他のキャラルートより『呪い』は一番のキーであり、重要で描写も細かい。
(そうか。アイザックルートにいるからマリアは『呪い』についてノエルに質問しきりだったのか。マリアがやる気を出しているわけだから、もういいじゃん。今の状況は私的に、良い方向なんじゃないのか)
マリアが無事にアイザックルートに入ったのなら、物語は始まっている。
最初の難題、クリアだ。
ならば、適当に流して、この場を離れるのがベターである。
(マリアがやる気になってくれれば、
ノエルは表情を整え、あくまで冷静にウィリアムに向き合った。
「驚愕の事実に動揺を隠しきれません。私の経験をお伝えしたいのですが、生憎、今の私は事件より前の記憶がありません。心苦しいですが、現時点では、お役に立てそうもありません」
如何にも申し訳なさそうに、ノエルは俯いた。
今のノエルの状態を違和感なく周囲に納得させるための演出、それは「記憶喪失」だ。
事件より以前を覚えていなければ、何も話せない。
友人や家族の名前を覚えていなくても違和感がない。
(そう、これが準備しておいた最大の
ほくそ笑みそうになる顔を必死に耐えた。
アイザックとマリアが、落胆の表情になる。
「やっぱり、そうよね。ノエルにも、きっと精神的に強い負荷が掛かっているんだわ。記憶を失っただけじゃなく、性格まで変わってしまっているんだもの」
マリアがノエルの手を握る。
(性格変わったというか、別人だからな)
と思いつつ、悲しい表情を作ってマリアの手を握り返した。
しかし、ウィリアムの表情は変わらなかった。
「現時点では無理、だが、将来的には役に立てる。とも聞こえる言い回しだね」
ウィリアムが、にっこりと笑みを向ける。
笑顔はいかにも無害な優しいそれなのに、言葉には隠れた圧がある。
(しまった、余計な言い回しをしてしまった。腹黒皇子め、揚げ足取りやがって。この感じは、何か答えるまで、付き纏われるかな。ここで、ちょろっと話して終わりにした方がいいか)
ノエルは頭を捻った。
入学して二カ月弱の今の時点で、マリアとアイザックが二人で『呪い』について調べている。
つまり、王族の自分が『呪い持ち』だとアイザックから告白された、ということだ。
アイザックとの親密度がそれなりに上がっていないと起きないイベントであり、本来なら、もう少し先の展開のはずだ。
(シナリオ通りなら、まだ出せないネタだけど。展開が早まっているなら、伝えられる小ネタは、幾つかあるな)
いっそ情報を与えて、ノエルは用済みだと思ってもらった方が、動きやすくなる気がする。
悩んだ挙句、ちょっとだけ
「ウィリアム様は、『呪い』の構成要素をご存じですか?」
「魔族が残した古代の闇魔術だと記憶している。あまりに古すぎるので、人体に巣食った『呪い』の解析は難しいと聞いているが」
「それが、今の『呪い』に対する常識です。でも実は、解析できない本当の理由があります」
「本当の理由?」
ウィリアムが息を飲んだ。
「人の意識を蝕むから。つまりは、意識操作です。それに抗えば人は魔力を消費します。やがて魔力が一定以下に減れば、『呪い』が宿主の魔力を封じる。魔力封印です。この二つの闇魔術が、『呪い』の正体です」
アイザックが表情を強張らせて絶句した。
「長い間、『呪い』の解明が困難だった理由は、罹患者本人が他者の介入を『呪い』により拒否させられていたから、か。精神操作と魔力封印。つまり『呪い』の正体は、闇魔術そのもの、なのかい?」
半信半疑のウィリアムに対し、ノエルは頷いた。
青褪めた顔のマリアが、ノエルに問う。
「どうして、そんな大事なことを、ノエルが知っているの? 記憶は、ないのよね? バルコニーから飛び降りた時のこと、覚えていないのよね?」
知っているのは勿論、原作者だからである。『呪い』の原理を考えたのは、他でもない自分だ。
千年以上、誰も解析しえなかった魔法原理、という設定だ。三人の懐疑的な視線は当然だろう。
「事件のあと、ユリウス先生に色々と調べられたの。それで私も、初めて知ったんだよ」
ハンカチで口元を覆って、「辛かった……」みたいな顔をしてみる。
この療養期間中に、『呪い』について、ユリウスには今のウィリアム以上に尋問されていた。半ば脅し状態で口を割らされたし、体に残る『呪い』の残滓も隅々まで調べられた。
(実際、辛かったけどな。危うく嫁にいけない体になるところだった)
『呪い』の生き残りともなれば、誰かは必ずウィリアムと同じ質問を投げてくる。
ユリウスとは既に口裏合わせをしていた。
『君が知っている『呪い』の詳細について、易々と他人に話したりしないように。僕が手を下すまでもなく、殺されちゃうかもしれないからね』
何ともユリウスらしい口止めだ。
(あの人こそ、何を何処まで知っているのかな。この国の人は『呪い』の
『呪い』の詳細を知れば命を取られかねないという事実は、この時点で誰も知らないはずなのだ。
(私の考えすぎ、なのかな。意味のないブラフとか投げてくる人だし。ユリウスの言動に対して考えすぎるのは時間の無駄な気もする)
「本当は、ユリウス先生に、きつく口止めされているんです。でも、アイザック様のお話を聞いて、何もお返しができないのは心苦しいから」
ちらり、とウィリアムに視線を送る。
「ですので、ウィリアム皇子殿下、今のお話はくれぐれも内密にしてくださいね。折角、拾った命は惜しいですから」
ノエルの表情を見て、ウィリアムが感心して笑った。
「やり返されてしまったな。お相子というわけだね。ノエルは、なかなかに策士だね。マリアに聞いていた印象と違うな。いいよ、私たちは互いに秘密の共有者だ」
人差し指を口元に添えて、ウィンクする。
イケメンは何をしても絵になる。
(あくまで自然に振舞ったつもりだったのに。でも、こっちの意図を見透かしてくるあたりは、流石ウィリアムだ)
ウィリアムの性格設定に、何となく満足した。
「確かに、事故前のノエルとはちょっと違うけど、変わっていない所もあるんですよ。優しくて強いところは、同じだもの」
「ね?」と笑いかけるマリアが意外だった。
療養期間中、何度も通ってくれているマリアは、ノエルの性格の変化に一度も触れてこなかった。
(本当は一番感じているだろうに。違和感だって、一番持っているはずだ)
それがマリアの優しさなのか、他に思うところがあるからなのか。
聞くのは、少し怖い気がした。