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第4話「帰還」

 俺とアンジュはNTニュートラルフィールドを全力で走って村に駆け込んだ。略奪屋ルーターは何組もいないだろうが、用心に越したことはない。

 二人パーティーで戻って来た俺とアンジュを、これから探索フィールドに出るらしいパーティーが奇異の目で見ている。司教ビショップ魔道士メイジもいない戦士ソード盗賊シーフ二人だけのパーティーなど、あり得ないのだ。

 村に入ったら、まず『番小屋』に行ってそこに武器を預ける。探索者がここで手放した瞬間に、すべての武器はデータとなって実体を失う。

 ただし記録された武器の消耗度合い、刃こぼれだの柄がほどけたとかのダメージもしっかり記録される。だから次に受け取る前に修理を依頼しておかなくてはならない。

 村の中央にあるのは『井戸の広場』だ。これから探索フィールドに向かうパーティーが作戦を練ったり、メンバーが足りていないパーティーが参加者を募っている。ポイントに替えられない不適合アイテムを並べて『商売』をやっているプレーヤーもいる。

 俺はほっと息をついた。接続の残り時間は10分を切っているが、村の中は時間制限外なのだ。村にいる時間の接続料金はかかるが、タイムオーバーで強制終了アウトがかかることはない。

「なにキョロキョロしてる?」

 村に戻ってから、何となくアンジュの様子が落ち着かない。

「パーティーのみんな、戻ってたらまずいなって……」

死亡デッド退場アウトだったらしばらくは入れないだろ」

 死亡デッド撤退リセット、通常の退場でもそのまま再接続はできない。受付に並び直さなくてはならないのだ。

「お前、どっから接続アクセスしてる?」

「代々木」

 女子高生のプレーヤーにはふさわしい場所だろう。制服の女子高生が夜の歌舞伎町をウロウロしていたら補導される。

「あそこは……結構混むブランチだから、パーティーの連中が再接続したくても1時間は待たされるな。そいつら、リアルで付き合いあるのか?」

「ない。みんな初めて」

 だったら店を出たとたんに取り囲まれる心配もないだろう。俺はアンジュと一緒に『酒場』に入る。プレーヤーは『酒場』と呼んでいるが酒が飲めるわけじゃない、ゲーム内にある精算所のことだ。

 ゲーム内で稼いだポイントをどうするかは村で決めて、リアルの精算所でそれをカードに記録するのだ。俺はまるで携帯ショップのように一人ずつ仕切られたカウンターにつく。

「お疲れ様でした」

 酒場と呼ぶにふさわしい、派手な女がカウンターの向こうで俺に笑いかける。この女はAIのキャラで、店に実体リアルがいるわけじゃない。

「薙刀のブレードを研いでくれ、柄の疲労もリセット。ブーツの底、貼り替え」

 翼竜の脚と翼と首を切り落としたのだ、ブレードに摩耗が発生しているはずだった。

「かしこまりました。4千と825ポイントかかります」

 女が差し出すタブレットには、今日の獲得ポイントと積算ポイントが示されている。獲得の内訳に『中級プレーヤー×2(1,800P)』と表示されていたので俺は苦笑した。あの略奪屋だ。

 カウンターを離れると、後ろのベンチにアンジュが座っていた。逃げずに待っていたようだ、逃げても俺は一向に構わなかったのだが。と言うより、後で考えると逃げてくれた方がよかったのだ。

「ポーション返す」

 アンジュが言った。

「いらん。お前が一撃食らわせた略奪屋ルーターのポイントで埋め合わせになる」

 アンジュが肩をすくめた。

「半弓のツルは換えておけよ」

「わかってる」

 一杯やりたいところだが、こっちの世界では飲食は不可能だ。それにもし可能にプログラムが変更されても、馬鹿馬鹿しいので誰もここで酒なんか飲まないだろう。

「おいムラマサ、新しい女を捕まえたのか?」

 背後から声をかけてきた奴がいる。俺と同じくソロプレーヤーの『ウッズ』だ。

「いや……拾っちまっただけだ。うっかりな」

 そう言うと、アンジュが俺を睨んだ。

大鴉ブランが墜とされたって噂だぜ。どこのパーティーかな?」

「知らんな」

 俺はウッズに向き直った。

「見た奴がいるのか?」

 ウッズが首を傾げて肩をすくめた。こいつは小柄な槍使いなのだが、実体リアルの名前は『林』じゃないかと俺は勝手に思っている。

「大鴉の塔はブンバの廃城から見えるだろ? あそこを攻めていたパーティーが、たまたま大鴉が降りて行ったのを見ていてな。降りたところで変な動きをして消えたのを見たと言ってる」

 目が良いプレーヤーなら廃城から大鴉の塔は見えるだろう。だがいくら何でも人間の姿までは見えないはずだ。

「あ……」

 何か言いかけたアンジュを、俺は目で黙らせた。

「少しすれば、誰かが得意になって言いふらすだろ」

 まだ何か言いたそうなウッズをそこに残して、俺はアンジュの腕を引っ張って酒場から出た。

「なんで自慢しないのよ?」

「自慢したら、行き方教えろって言うウザい奴らが後から後から来るじゃねーか」

「案内してやって、ガイド料稼げばいいじゃない」

「俺は一人でじっくり攻めたいんだ。団体で動くのは好きじゃない」

 アンジュを引きずるようにして『びょう』に向かう。

「こっちにもう用がないなら離脱するぞ」

「あたしも、もう家に帰らないと……」

 廟と言っても葬式をやるわけじゃない。見た目が何となくそんな雰囲気なのでいつの間にかそう呼ばれているだけだ。建物の中は壁に沿って大きめのベンチが並んでいるだけで、そこに座ればフィールドから離脱アウトできる。

 アンジュに何か言ってみたかったが、何も思いつかなかった。

「ねえ……」

 アンジュが何か言いかけたが、そこで接続が切れた。

 俺はヘッドセットを外して、ゲーミングチェアの上でゆっくりと体を起こした。2回3回と深呼吸して、体に力が戻るのを待った。

 ようやく手に力が入るようになったところで、水のペットボトルを取り上げて心ゆくまで喉に流し込んだ。本当はビールが欲しいところだが、接続ブースの中は食事禁止の禁酒禁煙だった。

 ゲーミングチェアから立って体を伸ばし、凝り固まった首回りを少し手で揉んだ。ハンガーにかけておいたスーツの上着を着直して、ネクタイはわざわざ締め直すことはしなかった。

 接続ブースを出れば俺はソロプレーヤーのMURAMASAではなく、しがない平社員の群正祥司むらまさしょうじだった。

 俺は左右に接続ブースのドアが並ぶ狭い廊下を歩き、空席待ちの連中がたむろするロビーに出た。

 夜の9時に近いのだが、『ワイルドネスハンター』はまだ混み合っている。営業は午前0時までだから、これから接続するプレーヤーが今日の最終組だ。

 俺は自動精算機のブースに入ってカードリーダーに『WHカード』を置く。薙刀を研ぎに出していい加減すり減ったブーツを更新したので、今日はブース使用料を差し引いて1万5千ポイントの稼ぎだった。

 一昨年までは有人カウンターで精算をやっていたので、どれだけ稼いだのかを他の客に知られてしまうことがあった。それが恐喝やら暴力事件の原因になったので、今のブース型に変更された。

 何しろ1ポイントが1円の電子マネーに交換できて、提携コンビニやショッピングサイトで買い物ができるのだからほとんど現金収入に近い。

 酒の臭いをさせている客が増え始めた電車に乗り、俺は家に向かう。途中のコンビニで夕食とツマミとビールを買い、家賃7万8千円のワンルームマンションに戻る。

 ここが勇敢なソロ戦士MURAMASAの住み処だ。家族はいないし、当然嫁もいない。

 俺は安物のスーツを脱いで丁寧にハンガーにかける。ズボラなことをやっているとすぐにこの部屋はゴミ溜めになってしまうのだ。 

 ビールのプルトップを開けて、どこにもいない誰かに向かって乾杯のポーズを取った。

大鴉ブランの魂に」

 そんな物があるかどうかは知らない。

 俺は缶ビールを持ったまま浴室に入る。膝を抱えないと入れない小さな浴槽なので、ほぼ毎日シャワーで済ませている。

「『大鴉ブラン』はとした……次は……」

 俺は肩口からお湯を浴びながら、ビールを一口飲んだ。

「ヴァルガヌスか……」

 地上型の竜で、攻撃力はたいしたことはないが大鴉よりも防御力は高い。とにかく硬いやつだ。魔道士の遠射でHPを減らしておいて、一人を囮にして死角から接近して急所を衝くのが定石だ。だが戦士一人だけでは当然そんなフォーメーション戦闘など不可能だ。

「湧いたところで待つのもできねーし……」

 地上型の大型ターゲットはほとんどが最初から固定されたポイントに出現している。だから待ち伏せなどできないのだ。その点で翼竜はまだたおしやすいターゲットだと言える。

「突っ込んで、退いて……追わせて、罠にかける……しかないか」

 ヴァルガヌスの足は速くない。逃げ切ろうと思えばできないことはない、どこまでも追ってくるから川なんかの遮断フィールドや身を隠す場所があれば不可能ではないという程度だが。

 罠を作る資材はフィールドで探すのだ。フィールドにある物は、アンジュが石をスリングで投げ打ったように何でも使える。

「おびき寄せながら、飛び道具でダメージを食わせ続ける……」

 アンジュの半弓とスリングの石でどれだけのダメージになるのか。それよりはアンジュを囮にした方が確実かも知れない。

 それにあまり移動を続けると、他のパーティーに遭遇する恐れがある。集団戦闘になれば倒すのは楽だが、俺が止めを刺さないとポントをパーティーに攫って行かれることになる。

「まあ……当分は試行錯誤だな……」

 俺は缶のビールを飲み干した。明日は早出だから6時には起きなくてはならない。


 朝7時少し前、俺はIDカードをリーダーにかざして自動ドアを開けた。まだ無人の事務所を通り抜け、もう一度IDカードで自動ドアを開ける。そこは商品倉庫で、青い5リットルのボトルが天井近くまで積み上がっている。

 俺の正業はウオーターサーバーの納品とメンテナンス、つまり契約した事務所なんかに行って定期的にでかいボトルを交換してサーバーの清掃と消毒をする担当だ。

 安い給料で朝から晩までこき使われる。その日に任された客先を回り切らないと勤務時間をオーバーしても残業にはならない。サービス残業が嫌なら昼休みを切り詰めてでも動き回らなくちゃならない。まあ、ほぼ社畜と呼ばれる社会人だろう。

 ミネラルウォーターのロゴでラッピングされたワンボックスに乗って、一日中でかいボトルを運んで回るのだが、会社でも客先でも空気のような存在だった。

 そして今日も無事に勤務時間内に客先回りを終えて、ロッカールームで作業ツナギからスーツに着替える。出社するのにスーツである必要は全くないように思うのだが、会社の命令なので仕方がない。不合理を不合理と思わなくなるから社畜なのだ。

 IDカードをかざして退勤、地下鉄に乗って新宿へ出る。歌舞伎町のネオンゲートを潜ったとき、俺は社畜から一人の男に戻る。酒を飲むのでもなく風俗に入るのでもなく、戦いに向かう戦士であることを思い出すのだ。

 受付機にIDカードをかざす。

『Welcome to the Wilderness』と表示が出ると、俺の心拍数が上がり呼吸が速くなる。そして自然と顔に笑みが浮かぶ。

「ムラマサだ、帰ってきたぞ」


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