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第10話 乏しき糧と潜む影

地図という道標を得た俺たちは、以前よりはいくらか精神的な余裕を持って進むことができた。

とはいえ、遠くから時折聞こえてくる異形の咆哮や、乾いた銃声は、ここが依然として危険地帯であることを嫌でも思い出させる。


俺たちは、地図を頼りに、大きな国道を避け、かつては住宅街だったであろう細い路地や、人通りの少なそうな裏道を選んで西へと進んだ。

地震によって道が寸断されている場所も多く、そのたびに迂回を余儀なくされる。

太陽が中天から傾き始め、影が長く伸びる頃には、疲労はかなり濃くなっていた。


「陽太…そろそろ、食べ物が…」


美羽が、リュックの中を探りながら、力なく言った。

見ると、昨日手に入れたスナック菓子はほとんどなくなり、ペットボトルの水も残りわずかだ。

俺自身のリュックも、状況は同じだった。


「ああ…なんとかしないとな」


本格的に食料と水を調達する必要があった。

しかし、破壊され、略奪されたであろうこの街で、都合よく食料が見つかるだろうか。


俺たちは、比較的損傷の少ない一軒の民家を見つけた。

表札は落ちてしまっている。

窓から中を窺うが、人の気配はない。

意を決して、壊れた玄関から中へ入った。


「ごめんください…」


声をかけるが、返事はない。

家具は倒れ、床には物が散乱している。

やはり、ここも誰かが漁った後なのかもしれない。

キッチンや戸棚を調べてみるが、食料になりそうなものは見当たらなかった。

空の缶詰や、破れた食料品の袋が無情に転がっているだけだ。


「ダメか…」


諦めかけたその時、食器棚の一番奥、手が届きにくい場所に、小さな缶詰が一つだけ残っているのを陽太が見つけた。

サバの味噌煮、と書かれている。

まるで、見つけられるのを待っていたかのように。


「陽太、あれ…!」


「よし、あれを取ろう」


しかし、棚の奥深くで、腕を伸ばしてもギリギリ届かない。

無理に取ろうとすれば、棚ごと崩れてしまうかもしれない。


「…『置換』で、いけるか?」


俺は、缶詰と、足元に転がっていた空のペットボトルをイメージした。

重さも大きさも、それほど変わらないはずだ。

距離も近い。

集中しろ。

今度こそ、確実に…。


『置換(リプレイス)!』


慎重に念じる。

軽い眩暈と共に、目の前で二つの物体が入れ替わった。

ペットボトルが棚の奥に収まり、代わりに、サバの味噌煮の缶詰が、コトン、と床に落ちた。


「やった!」


美羽と顔を見合わせ、小さく笑みを交わす。

貴重な食料だ。

しかし、たったこれだけ。

二人で分ければ、一食分にも満たないかもしれない。


「…少し休んで、これを食べよう」


俺たちは、その民家の比較的片付いた居間に腰を下ろし、缶詰を開けた。

分け合って食べるサバの味噌煮は、塩辛く、だが空腹の腹には染み渡るように美味しかった。


「私たち…本当に、九州まで行けるのかな…」


食べ終えた後、美羽がぽつりと呟いた。

その声には、隠しきれない不安が滲んでいる。


「行けるさ。

絶対にな」


俺は力強く言ったが、内心では同じ不安を抱えていた。

この過酷な状況が、いつまで続くのか。

俺のこの中途半端な能力で、本当に美羽を守り通せるのか。

ふと、施設で、みんなでテーブルを囲んで賑やかに食事をした日の記憶が蘇った。

温かくて、何の心配もなくて…。

今の現実とのあまりのギャップに、胸が締め付けられる。


「…陽太?」


俺が黙り込んだのに気づき、美羽が心配そうに顔を覗き込む。


「いや…なんでもない。

大丈夫だ」


俺は無理に笑顔を作った。

弱音を吐いている場合じゃない。


日が完全に暮れる前に、今夜の寝床を探さなければならない。

俺たちは民家を後にし、再び歩き始めた。

しばらく進むと、小さな公園が見えてきた。

その隅に、レンガ造りの、比較的頑丈そうな管理小屋のような建物があった。

窓は小さいが鉄格子がはまっており、ドアも厚そうだ。


「あそこなら、今夜は少し安心して眠れるかもしれない」


俺たちは小屋に近づき、中を確かめた。

幸い、鍵はかかっておらず、中には誰もいなかった。

公園の備品倉庫か何かだったのだろうか、いくつかの工具や、使われていないプランターなどが置かれているだけだ。

俺たちは、ドアの内側に倒れたロッカーを押し当ててバリケード代わりにした。


「これで少しはマシだろう…」


小屋の中は薄暗く、カビ臭い匂いがした。

それでも、壁と屋根があるだけで、野宿よりはずっといい。

少しでも使えそうなものがないかと、懐中電灯(リュックに入っていた数少ない備品の一つだ)で小屋の奥を照らしてみる。


その時、床の一部に、何かを引きずったような、不自然な傷跡が続いているのに気づいた。

比較的新しい傷だ。

そして、その傷跡が途切れる先、小屋の最も奥まった暗がりから……。


グルルルル……。


獣のような、低い唸り声が、微かに聞こえてきた。

懐中電灯の光が、暗闇の奥で爛々と光る二つの赤い点を捉えた。


俺は咄嗟に美羽を庇い、鉄パイプを握りしめた。

この狭い小屋の中で、もしあれが潜んでいたら…。

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