起き上がってみると、自分の部屋の天井がいつもより遠く感じた。
頭の奥がじん、と痛み、胸のあたりが重い。
まるで高熱の夢から覚めたような、不快で、不確かな感覚。
――本当に夢だったのか?
あの炎の空間も。不動明王と名乗った存在も、全部。
だが、そんな疑問は右腕を見た時にすぐ否定された。
手首の内側に、淡く赤い痕が残っていた。まるで火傷で焼け焦げたような不思議な痕。
「やっぱり、夢じゃなかったんだ……」
あの禍影に襲われたこと。
聖剣を持った少女に助けられたこと。
そして、夢の中であの
(鎮護八葉……。境界守護者……。狂戦鬼……)
何もかもが、現実から乖離しているようで……それでいて、やけに生々しい。
しかし、時間は待ってくれない。
ベッドから起き上がった俺は、制服に袖を通し、朝ご飯もそこそこに家を出た。
△▼△▼△▼
「よお、マサムネ。なんか寝不足か?」
教室に入ると、友人のカズキが軽く声をかけてきた。
その軽さがありがたくもあり、どこか遠く感じている。
「ン……。ちょっと、変な夢を見てさ」
「夢、ねぇ……。どうせ、ゲームのやりすぎだろ。それよりも、聞いたか? 昨日の話」
「何の話だ?」
「駅前で変死体が発見されたって話だよ」
俺はカズキの言葉にドキッとした。
――駅前……。俺が最初に禍影に襲われた場所だ。
そこから必死に逃げていた記憶が蘇る。
まさか、俺以外にも襲われた人がいたのか……?
「やべーよな。最近、そういうの多すぎでさぁ」
そうだなと、俺は返した。
――禍影の襲撃。
――夢に現れた不動明王と名乗った存在。
――右腕に残る赤い焼けたような痕。
いつもの日常のはずなのに、昨日とはなにかが違ってきている。
非日常の世界に俺だけが、足を踏み入れてしまったような……そんな感覚を覚えた。
△▼△▼△▼
帰り支度をして廊下に出たところで、名前を呼ばれた。
「マサムネくん……だよね。少し、話があるの」
声の主は、クラスメイトの女の子だった。
黒髪ロングで、伏し目がちだけどどこか影を宿した瞳。
普段は誰ともあまり話さない彼女が、まっすぐこちらを見ている。
その隣に立っていたのは、見間違えようもない。
昨晩、俺を救ったあの銀髪の少女だった。
「君に伝えたいことがある。……昨日の夜のことについて」
銀髪の少女の声は静かで、しかし確かな強さを帯びていた。
動揺を隠せない俺に、クラスメイトの女の子が一歩近づいてくる。
「ちょっと、待って」
彼女の目がじっと俺を見つめる。まるで、何かを探るように。
不意に、頭の奥にザワリとした感覚が走った。
視線だけじゃない。何かが、俺の内側に踏み込んでくる。
「……!?」
彼女が眉をひそめ、小さく息を呑む。
「どうして……読めない……」
ぽつりと、戸惑いの混じった声が漏れた。
「え?」
「あなたの心が見えないの。声も、感情も、届かない。
今まで、こんな人はいなかったのに……」
銀髪の少女がそれを聞いてうなづいた。
「やはり、
「何の話を……?」
「少し、歩こうか」
銀髪の少女の目に宿る光は、まるで俺の内側を見通しているかのようだった。
△▼△▼△▼
校舎の裏手、人気のない中庭。
風が吹き、桜の花びらが数枚舞っていた。
「君を襲ったのは、禍影という存在。人に仇なす異界の残滓。
本来、この世界に現れてはならない存在……。だけど、『境界』が揺らぎ始めている」
「境界……?」
俺が聞き返すとミツキと呼ばれた少女が口を開いた。
「この世界と、もうひとつの世界の境目。それが境界。
それを護るために生まれたのが、『
言葉に詰まる。冗談にしか聞こえない。でも、どこかで納得している自分もいた。
「あなたは、『境界守護者』の血を引く者。禍影に狙われたのは偶然じゃない。
そして、私たちは――その戦いに巻き込まれる人間なの」
ミツキの目が、まっすぐ俺を見る。
「そして、その『境界』は今、破られようとしている。
禍影の出現はその前兆。そして……『
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かが強く脈打った。
昨夜の夢が、呼応するように思い出される。
そして、銀髪の少女が一歩、俺の前に進み出た。
「自己紹介するわね。私はユキミ。あなたと同じ境界を守る守護者の一人。
君には、私たちと同じ力がある。私たちと共に戦って」