朝の通学路。
見慣れた道のはずなのに、今日はやけに空気が重く感じた。
前を歩く女子たちの会話が、風に乗って耳に入ってくる。
「まただって。今度は駅前のビルの裏手で……」
「怖っ……! 女の人ばかり狙われてるんだよね?」
「倒れた人、変なことをずっと呟いていたって……。なんか、心霊的なやつじゃないの?」
俺は立ち止まって空を見上げた。
曇ってはいるけど、特に変わった様子はない。ただの鈍色の空。
でも――。胸の奥がざわつく。
あの夜、禍影と初めて対峙したときの『気配』に、どこか似ていた。
――まさか、もう一体、現れてる?
そんな予感を抱えたまま学校に着くと、ミツキが落ち着きなく視線を泳がせていた。
彼女は何かを感じているのだろうか?
「おはよう、ミツキ」
「……! マサムネ君か。おはよう」
俺の呼びかけに驚いて振り向く彼女。
「どうしたの、ミツキ」
「最近、女の人ばかりが襲われる事件が多発しているの。
聞いた話だと、襲われた女の人はうわ言みたいなことを言ってたりしてるって。
それでね、ユキミと一緒に被害者の女性の心の中を覗いたの」
ミツキが取り出したノートの端に、黒いモヤのようなものとねじれた人影を描き始めた。
「でもね、読めなかったの。奥になにか黒いのがいたの」
その言葉に、胸がざわつく。
――禍影だ。
あのバケモノ、人の心に巣食ってるのか。
「黒いのって……。禍影とかいうバケモノが?」
「そうかもしれない」
「前に倒したのとは、また違う感じなのか?」
「多分そうだと思う」
ミツキが言う。
「おはよう、二人とも」
「おはよう、ユキミ」
俺とミツキがユキミに返事をした。
「……あの禍影が出た話ね?」
ミツキが頷く。
「気を抜かないほうがいいわ、マサムネ。次のやつは、もう動き出してるかもしれないわよ」
教室の窓の外、曇天の隙間から差し込んだ光が、一瞬だけ揺らいだように見えた。
――何かが、街のどこかで、静かにうごめいている。
そんな気がしてならなかった。
▲▽▲▽▲
ユウカは、強くスマホを握りしめていた。
画面には、男の名前と『既読』の文字。そして、それ以上、何もなかった。
――まだ信じていたのに。
――あんなの全部、ウソだっていうの?
最初は優しかった。言葉も、仕草も、約束も。
プロポーズだって、冗談には聞こえなかった。あの時はそう思ってた。
でも気づけば、通帳は底をつき、指には、安物の指輪すら残っていない。
彼は他の女と逃げたのだろう。自分から金を毟れるだけ毟って。未来も奪い去った。
紹介してくれた相談所に、泣きついたが、当人同士の問題で私たちは関知できないと冷たく返された。
(誰も、私を見てくれない)
(あの人のせいなのに……)
心が歪んだその瞬間だった。
黒い影が、彼女の胸の中に入り込むように溶けた。
目が見開かれ、呼吸が止まる。
体の奥から、言葉にできないほどのねっとりした『怒り』がユウカにこみ上げてくる。
「……壊してやる……幸せそうな……女……全部……」
焦点のあってないような瞳が、窓の外にある相談所の看板を捉えた。
笑顔のカップルが描かれたその広告が、ユウカの視界の中で歪む。
彼女の心の中に忍び込んだ『禍影』はそれを『依代』にして、現実へと侵蝕を始めていこうとしていたのだ――。