二階に上がると、歪んだ教室のような空間が広がっている。
机と椅子は床に溶けるように歪み、黒ずんだチョークの粉が天井から舞っている。
壁には無数の手形がべっとりと貼り付き、奥へと続く道を形作っていた。
そこで、ミツキが顔をしかめたのだ。
「……おかしい。この空間、ただの異界化だけじゃない。誰かの……強い、悪意が流れ込んでくる」
「悪意……。ベグが用意した悪意縫合体とかいうバケモノか?」
マオは、無意識に手を握りしめている。
女性の歌声が、歪んだ空間からかすかに響き始めている。
確かこれは、『姫騎士リリカ』のオープニング曲……。
……とすると、マオの言う『悪意縫合体』はまさか……!!
「来るぞ!」
空間の最奥、黒く淀んだ闇の中から、足音が響く。
コツン……コツン……と床を叩く不規則な音。足音が、二重にも三重にも重なって聞こえた。
そして、闇の中から
「――!!」
俺たちは悪意縫合体の姿に驚いた。
歪んだ少女の肉体。頭部は、柔らかく微笑むはずだったリリカの顔。しかしその瞳は虚ろで、口元だけが裂けたように笑っている。
縫合体の左部分と右足は、マオから聞いた「ルミエール=リリカ」のパーツ。
右部分と左足は、リリカの仲間である「ジャッジメント=アストレア」のパーツだったのだ。
アストレアは正義を執行するメカのせいか、なんともアンバランスな見た目だった。
つなぎ目には、黒い糸と血液に似た液体がにじんでいる。
「また会ったね、マオくん。また、あえて嬉しいよ」
不出来な機械音声のような声だった。
俺たちが戦闘態勢を取った瞬間、マオとミツキの足元に、黒い糸がついている巨大な縫い針が現れる。
その針は彼ら以外の侵入を阻むように空間を縫い始めたのだ。
「マオ! ミツキ!」
俺の声は、幾重にも縫い合わされた黒いネットに阻まれて届かなかったらしい。
▲▽▲▽▲▽
「……囲まれた。これは、私たちを強制的に、ルミエトレアと対峙させるために……!」
「ルミエトレアに勝つしかないってことだな……」
鳴島マオこと俺は、顔をしかめながらも、想念武装の元になってくれるキーホルダーを握った。
想いを武器に変えるための起点だ。
ルミエトレアが不出来な機械音声のような声でささやく。
「さあ、マオくん。壊してあげる。君が信じた『姫騎士と正義のメカ』を、全部、ね」
俺はつばを飲み込んだ。
目の前にいるのは、間違いなく、俺が知っている『ルミエール=リリカ』と『ジャッジメント=アストレア』だった。
……正確に言えば、二人を悪意に歪めてつなぎ合わせた異形ルミエトレア。
青白い光をまとった想念武装が、俺の手に型どられた。
ルミエトレアが、ヒュッと音を立てるかのように消える。
左腕のリリカの細腕が、信じられない速度で俺の顔面を狙ってきたのだ。
「……ッ!!」
青白い刀で受け止めるが、衝撃で身体が吹っ飛び、床を転がった。
ミツキが援護に入ろうとするも、アストレアの光弾で俺に近づくことができない。
「あら……マオくん、どうしたの?
君の好きなリリカとアストレアが姿を表したのに、どうしてそんなに恐怖しているの?
こわがらなくていいのにさ……」
不出来な機械音声のような声で喋るルミエトレア。
(黙れ! 俺の知るリリカとアストレアはそんなやつじゃない!!)
刀を杖代わりにして立ち上がる俺。
「――! マオ君! ルミエトレアは、攻撃するタイミングで、右の足を強く踏み込んでいるわ!」
……そうだった!
ミツキは読心能力者! ルミエトレアの攻撃意図を読み取ったのか!
「わかったぜ、ミツキさん……!」
アストレアの腕で光る刃を展開して、迫ってくるルミエトレア。
俺は奴の右足に注目した。……踏み込んできたな!
光の刃の薙ぎ払いを難なく躱すことができた。
「イデアブレイドよ! 俺の想いを、悪を挫く武器に変われ!!」
手にした青白い刀が変形を始めた。
柄の部分が大きく開き、大剣を思わせるような刀身に姿を変えていく。
大剣ならば重いのではないだろうかと思ったが、重さを全く感じなかった。
「必殺、悪斬刀! ビクトリー・プロミネンス!」
何処ぞのヒーロー物のような必殺技とともに、ルミエトレアに向かって斜めに大剣を振り下ろした!
「GYAAAOOHHHHH!!」
バケモノのような悲鳴をあげて、ルミエトレアは真っ二つに斬り裂かれた。
ルミエトレアは、斬り裂かれたところから黒い霧となって、そのまま闇の中に消えるように消滅した。
「……マオ、ミツキ、無事か?」
「あぁ、なんとかね」
マサムネの声だ。どうやら、特殊な空間も消え去ったらしい。