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第9話 破壊者

 異界の空気は、ねっとりと重かった。


 薄暗い教室。

 教壇の上に置かれた、白い仮面。


 私はそれを見つめていた。


(今しかない……)


 仮面に手を伸ばす。


 だが、異界全体が私の動きを察知したかのように、教室の外から、異形のモノたちがうごめき、うなり声を上げていた。


 床を這う音。壁を叩く音。

 怒りと憎しみが、世界を満たしていく。


 逃げ場はない。


 でも、私は知っている。


 この仮面を砕かない限り、また生徒たちが“選ばれ”、また無惨に消えていくことを。


 私は、教壇の仮面を掴んだ。


 その瞬間、教室のドアが破られた。


 異形たちが、なだれ込んでくる。


 腕が三本ある者、顔がねじれている者、人間の形を模した、しかし人間ではないものたち。


「……来るなら、来い」


 私は、仮面を胸に抱き、走った。


◇ ◇ ◇


 逃げる私を追って、異形たちは廊下を埋め尽くす。


 突き当たり。

 崩れた階段。

 朽ちた非常扉。


 すべてが、私を閉じ込めるために歪んでいた。


 だが、私は知っていた。


 異界送りの構造は、廃校そのものと重なっている。


 ならば、非常階段の踊り場――

 美琴が、かつて命を絶った場所。


 ここが、呪いの起点。


 そこまでたどり着けば、仮面を砕く力も最大になる。


 私は、異形たちの腕をかいくぐりながら、朽ちた非常扉を蹴破った。


 ◇ ◇ ◇


 踊り場に出た瞬間、空気が変わった。


 重い。

 苦しい。

 世界全体が私の動きを押さえつけようとしている。


 足がもつれ、膝をつく。


 仮面を握る手が、痺れるように痛い。


 だが、そのとき。


「……先生!」


 聞こえた。


 背後から、生徒たちの声。


 振り返ると、数人の生徒たちが、必死に異形たちを押し返していた。


 恐怖に震えながら、それでも私を信じ、支えようとしてくれていた。


「終わらせてください!」


「先生しか、できないから!」


 涙を浮かべながら叫ぶ生徒たち。


 私は、立ち上がった。


 仮面を高く掲げる。


 そして――


(これで、すべてを終わらせる!)


 叫びとともに、仮面を、踊り場のコンクリートに叩きつけた。


 バキィィィンッ!


 甲高い音が異界に響き渡る。


 仮面は、砕けた。


 細かい破片が、空中に舞う。


 その瞬間、異界全体が、震え、崩れ始めた。


 壁が割れ、天井が落ち、黒い霧が渦巻き、異形たちが苦悶の声をあげながら消えていく。


 異界という世界そのものが、消滅しようとしていた。


 ◇ ◇ ◇


 私は、目を閉じた。


(みんな、どうか――)


 次に目を開けたとき、私は現実世界の教室に立っていた。


 朝日が、差し込んでいた。


 生徒たちも、そこにいた。


 全員――無事だった。


 私は、教壇の上で、震える足で立ちながら、

 心の底から、静かに息を吐いた。


(終わった……)


 ◇ ◇ ◇


 放課後。


 人気のない廊下を歩きながら、

 私はポケットに手を入れた。


 そこには――


 ひと欠片の、白い仮面の破片。


 砕いたはずの仮面。


 けれど、消えきらず、私の手の中に残っていた。


(本当に……終わったのか?)


ふと、教室の奥のガラスに映った自分の顔。


その口元が、

わずかに――

笑っているように見えた。

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