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第12話 廃村・緒川

 緒川澪に導かれ、私は廃村へ足を踏み入れた。


 夕暮れはすでに終わり、林を越える風が、どこか湿った匂いを運んでくる。足元には、砕けた瓦礫と、折れた木の枝。

歩くたびに、ぱきり、ぱきりと乾いた音が鳴った。


「ここが、緒川村の跡地だよ」


 澪は、何気ない口調で言った。私は小さく頷きながら、辺りを見渡す。


 かつて家だったものの、骨組みだけが残り、草に飲み込まれた道、朽ち果てた井戸、文字の消えた古びた石碑。


 人の気配は、まったくない。


「……誰もいないんだね」


「うん。もう、ずっと前から」


 澪は、まるで散歩でもしているかのように、崩れた石段を軽やかに歩いた。私は、その後ろをついていく。


 静かだった。鳥の声も、虫の羽音も、しない。ただ、風が草を擦る音だけが、遠くでかすれていた。


 ◇ ◇ ◇


 澪は、かつて村の中心だったという広場に私を案内した。


 そこには、ひときわ大きな鳥居と、半ば倒れかかった小さな祠があった。


「ここが、始まりの場所」


 澪はそう言い、祠の前にしゃがみこんだ。


 祠の中には、何もない。

 かつて何かを祀っていたであろう痕跡だけが、かすかに残っていた。


「何を祀っていたの?」


「さあ……。

知ってる人は、みんな、いなくなっちゃったから」


 澪はあっさりと言った。


 私は胸の奥に、小さな引っかかりを覚えた。


(本当に……何もないの?)


 だが、何も起きない。


 空は、ただ静かに、群青色に沈みつつあるだけだった。


 ◇ ◇ ◇


 広場を離れ、澪はかつての民家跡を案内してくれた。


 ここは鍛冶屋だったらしい。ここは共同の井戸。あちらは、学校跡地。どの場所も、ただ静かに朽ちていた。


 不意に、私のポケットの中の仮面の破片が、かすかに震えたような気がした。


 でも、澪は何も言わない。私も、何も言わない。


 ◇ ◇ ◇


 日が沈みきり、夜が来た。


 私と澪は、村の端にある、まだ形を保っている一軒の家に戻った。澪はそこで暮らしているらしい。


「今日は、ここで泊まっていけば?」


「……いいの?」


「もちろん。

君が来ること、ずっと待ってたから」


 彼女は、ごく自然にそう言った。


 私は、少しだけ戸惑いながら、頷いた。


 ◇ ◇ ◇


 古びた畳に座り、小さなちゃぶ台で、簡単な夕食をとる。


 澪はほとんど喋らなかった。


 ただ、時折ふと、遠くの夜空を見るような目をするだけだった。


 外では、風が木々をざわめかせる音。それ以外は、何もなかった。


 本当に、何も。


 ◇ ◇ ◇


 ただ、私は気づいていた。


 この村は、“静かすぎる”ということに。


 夜なのに、虫も鳴かない。風の音だけが、異様に大きく響く。


 そして、澪が時折、何かを「待っている」ような仕草をすることに。


 けれど、その夜は、何も起きなかった。


 私は、ぼろぼろの布団に潜り込み、静かに目を閉じた。


(本当に……何も、起きないよね?)


 自分にそう言い聞かせながら。

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