緒川澪に導かれ、私は廃村へ足を踏み入れた。
夕暮れはすでに終わり、林を越える風が、どこか湿った匂いを運んでくる。足元には、砕けた瓦礫と、折れた木の枝。
歩くたびに、ぱきり、ぱきりと乾いた音が鳴った。
「ここが、緒川村の跡地だよ」
澪は、何気ない口調で言った。私は小さく頷きながら、辺りを見渡す。
かつて家だったものの、骨組みだけが残り、草に飲み込まれた道、朽ち果てた井戸、文字の消えた古びた石碑。
人の気配は、まったくない。
「……誰もいないんだね」
「うん。もう、ずっと前から」
澪は、まるで散歩でもしているかのように、崩れた石段を軽やかに歩いた。私は、その後ろをついていく。
静かだった。鳥の声も、虫の羽音も、しない。ただ、風が草を擦る音だけが、遠くでかすれていた。
◇ ◇ ◇
澪は、かつて村の中心だったという広場に私を案内した。
そこには、ひときわ大きな鳥居と、半ば倒れかかった小さな祠があった。
「ここが、始まりの場所」
澪はそう言い、祠の前にしゃがみこんだ。
祠の中には、何もない。
かつて何かを祀っていたであろう痕跡だけが、かすかに残っていた。
「何を祀っていたの?」
「さあ……。
知ってる人は、みんな、いなくなっちゃったから」
澪はあっさりと言った。
私は胸の奥に、小さな引っかかりを覚えた。
(本当に……何もないの?)
だが、何も起きない。
空は、ただ静かに、群青色に沈みつつあるだけだった。
◇ ◇ ◇
広場を離れ、澪はかつての民家跡を案内してくれた。
ここは鍛冶屋だったらしい。ここは共同の井戸。あちらは、学校跡地。どの場所も、ただ静かに朽ちていた。
不意に、私のポケットの中の仮面の破片が、かすかに震えたような気がした。
でも、澪は何も言わない。私も、何も言わない。
◇ ◇ ◇
日が沈みきり、夜が来た。
私と澪は、村の端にある、まだ形を保っている一軒の家に戻った。澪はそこで暮らしているらしい。
「今日は、ここで泊まっていけば?」
「……いいの?」
「もちろん。
君が来ること、ずっと待ってたから」
彼女は、ごく自然にそう言った。
私は、少しだけ戸惑いながら、頷いた。
◇ ◇ ◇
古びた畳に座り、小さなちゃぶ台で、簡単な夕食をとる。
澪はほとんど喋らなかった。
ただ、時折ふと、遠くの夜空を見るような目をするだけだった。
外では、風が木々をざわめかせる音。それ以外は、何もなかった。
本当に、何も。
◇ ◇ ◇
ただ、私は気づいていた。
この村は、“静かすぎる”ということに。
夜なのに、虫も鳴かない。風の音だけが、異様に大きく響く。
そして、澪が時折、何かを「待っている」ような仕草をすることに。
けれど、その夜は、何も起きなかった。
私は、ぼろぼろの布団に潜り込み、静かに目を閉じた。
(本当に……何も、起きないよね?)
自分にそう言い聞かせながら。