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第13話 血の記憶

 目を覚ましたのは、まだ夜明け前だった。古びた家の中は、しんと静まり返っている。


 薄い障子の向こうからは、かすかに風の音が聞こえるだけ。

 月明かりがかろうじて、部屋の輪郭を浮かび上がらせていた。


 私は、布団の中で目を開けたまま、しばらく天井を見つめていた。


(眠れない……)


 無理もなかった。ここに来てから、何も起きていない。

けれど、何も起きていないこと自体が、逆に不自然だった。


 ◇ ◇ ◇


 ふと、ポケットの中に手を伸ばす。


 仮面の破片。


 冷たく、固く、しかし、どこか体温を持っているような錯覚。


 指先で撫でると、わずかに震えた気がした。


(気のせい……だよね?)


 私はそっと布団から抜け出し、家の中をそっと歩き始めた。


 廊下はきしみ、壁には細かなひびが走っている。懐中電灯もないので、手探りで歩く。


 澪の姿は見えなかった。おそらく別の部屋で休んでいるのだろう。


 ◇ ◇ ◇


 縁側に出ると、月明かりに照らされた村の風景が広がっていた。


 崩れた家々、雑草に埋もれた道、そして、ぽつんと立つ、あの倒れかけた祠。


(……あそこが、始まりの場所)


 澪がそう言っていた。


 私は裸足のまま、そっと家を出た。


 夜の村は、昼間よりもさらに静かだった。風さえも、今は鳴りを潜めている。


 私は、足音を立てないように、祠へ向かって歩いた。


 ◇ ◇ ◇


 祠の前に立ったとき。ふと、胸騒ぎがした。

 祠の中は、やはり空っぽだ。誰かがいた痕跡もない。


 だけど――違和感。


 目に見えるわけではない。でも、確かに「何か」が、そこにいる気配。


 私は息を殺し、じっと祠を見つめた。


 そして、気づいた。


 ――祠の中に、うっすらと浮かぶ、無数の指跡。


 小さな手。大人の手。爪で抉った跡。


 祠の床や壁に、うっすらと、無数の指で掻き毟ったような跡が刻まれていた。


 月明かりに照らされ、その傷跡が、まるでこちらを見ているかのように見えた。


 背筋に冷たいものが走った。


(なにこれ……)


 私は一歩、後ずさった。


 その瞬間。


 カラン、と音がした。


 祠の奥から、何かが転がり落ちた。


 小さな――白い、仮面の破片。私の持っている破片と、そっくりだった。


 でも、違う。


 それは、濡れていた。月明かりに濡れる仮面の破片は、まるで、血を吸ったように、赤黒く染まっていた。


 ◇ ◇ ◇


 そのとき、背後で、草を踏む音がした。


 振り向くと、そこに――澪が立っていた。


「こんな夜中に、何してるの?」


 穏やかな声。


 だが、その瞳の奥に、ほんの僅かに、何か別のものが潜んでいる気がした。


 私は、答えを喉の奥でつかえさせたまま、ただ、立ち尽くしていた。

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